茨の道 / わたしの住んでいるこの世界ではそれをはじまりというらしい
4月
わたしの住んでいるこの世界では
4月。
はじまりが始まるとき
それはなにがはじまるときなのでしょう
茨の道かもしれません
まだ始まっていないこの道を
ザクザクと歩いていけるのでしょうか
そんな不安と期待と未知数と
わたしたちは歩いていけるのでしょうか
大丈夫
茨の道に咲く花はとても綺麗な薔薇
イバラノミチ。が、茨の道と書くと知ったのはごく最近のこと。何歳になっても未知数の無知には驚きます。ジブンの無知におどろき知らないことの多さをうれしいと感じます。はじめて社会にでたときわたしはなにを思っていたのか?おもい返しているのだけれど思い出せない。きっと、不安も期待もなにも持ち合わせていなかったようにおもいます。
思い出せないのは「思い出」として残っていないということなのでしょうか。
それでもやはり、noteの世界でたくさんの言葉をうけとめることができるのはイバラノミチの軌跡があるからなのだと思いたい。
あなたの薔薇でわたしの道をかざってくれますか
それはきっと綺麗な薔薇
薔薇色の人生ではなく
茨の道で咲く薔薇のような強くたくましくやさしいそれ
◻︎この季節、新生活をスタートさせるたくさんの人たちを見かけます。どんなふうにそれを感じているのでしょうか。わたしはといえば、まったくなにも感じるものがありませんでした。「新生活」となるとわたしにとってはまさにnoteの世界がそれになるのかもしれません。はじめての公開、はじめてのスキ、はじめてのコメント、はじめてのフォロー。この緊張感と不安と期待と未知数をワスレナイようにこれからもザクザクと歩いていきたいと思います。
オトナになるということはたくさんのことを忘れていくことなのでしょうか
綺麗なものをキレイだと受けとることができなくなる。ということなのでしょうか
大丈夫。
たくさんのことに巻かれて進んでいく私たち
それならば
私たちも巻いてやろうじゃありませんかたくさんのことを
人生はいつでも巻き返し
ぐるぐると巻き返して巡り巡ってまきかえしなのです
と、おもいたい
辿りついた先にみえるのは
とても美しいあなたの薔薇なのですから
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