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私たち夫婦にとっての「はたらくということ」

おはようございます。といです。
もう募集も審査も終わってしまったけれど、「はたらくってなんだろう」について考える、私の頭の中はモヤモヤしたままです。

そこで、休職中の今、「働くこと」についていろいろな角度から考えてみることにしました。

今回は、夫婦編です。

家庭という環境

私は幼少期から専業主婦の母を見てきました。
下校して家に帰れば母がいて、「お帰り」と迎え入れてくれることが普通だと思っていました。

大学生になり家を出て、初めて料理をした時、当たり前のように母の作ったご飯を食べていた日々を思い起こしました。(もっと感謝の言葉を残してこれば良かった)と。


20代後半は前半よりも、あっという間に月日が過ぎて、30歳を目前にして、私は体調不良を理由に会社を休むこととなりました。
その間、処方薬の影響で運転も妊娠も出来ません。
それを折り込み済みで、結婚を決めてくれたことに、旦那さんやご家族には大変感謝をしています。

同年代の人たちは2児の母や父になっていたりするなか、「焦らないか」、といえば嘘になります。嘘は苦手です。だからこの話は、私達夫婦の間では棚の上に挙げた問題として扱われています。

まだ子供のいない我々にとって、猫が大事な家族の一員であり、「猫を食わせ養い健康寿命を全うさせること」が目下の我々夫婦の目的であります。

「はたらく」は役割分担である

結婚してから日は浅いものの、ルールが出来つつあります。
それは、「互いに無理しないこと」です。
つまり、苦手を補い分業し、ときに協働するということです。

休日は、平日やりたいことが満足にできない旦那さんから自由時間を取り上げること(特に睡眠時間)はしません。
事前に「何をしたいか」をお互い共有した上で、家事を分担します。このとき重要なのが、互いに何ができて、やりたくなくて、苦手かを把握すること。

例えば、我が家は週末まで洗濯をしません。
ですから、週末が近づくに連れ、洗濯機周りはたいへんなことになります。週末一気に洗濯してコインランドリーへGO!派なので致し方ありません。

朝が得意な私の仕事は、決まって、常識的な時間から洗濯機を4-5回回すこと。1回あたりの引き上げ重量はそんなに重くないので負担ではありません。しかも、隙間時間を読書に充てたり他のことができるので、自分で時間を仕切っている感じがして割と好きです。

一方、旦那さんはそれらが終わった頃に起きてきます。大きな袋に入った水気を吸ってとても重たい洗濯物を抱えてコインランドリーに向かうのは彼の仕事です。


日々の暮らしはただの消費ではない

家庭内でのアレコレは会社での労働と異なり賃金は発生しません。だから「消費するだけ」と勘違いしてしまう時も正直あります。

それはきっと、主婦や主夫の経験を積んでいない、大変さや重要性をまだ理解しきっていないからなのかもしれません。

しかし、日々を着実に重ねていくことで、私の中の凝り固まった固定観念がゆるゆると揺らいでいくのを感じます。

母が一生懸命作ってくれていた、私の帰る場所は、ちょっとやそっとの努力ではできないことなのだと、(まだなんとなくですが)感じます。

働き方はいろいろある

数年間でも、「働いた対価として金銭を支払われていた」身としては、自分の体調管理が出来なかった人間(私)が休職手当をもらっていることに対して、後ろめたい思いを拭うことが出来ませんでした。

休職の為の診断書をもらっても尚、会社のことを考えたり、復帰について考えたりと、正直休んでいるようで休めていなかったのかもしれません。

しかし、沢山の本やnoteの記事を読むうちに、いろんな働き方があって、見方があって、共感してくれる人が世の中にいることに気付きました。

私の今の役割は最小限コミュニティを守りつつ、自分自身を休ませること。その方法はいろいろあるけれど、自分にプラスだと思えることを積み重ねていこうと思います。

「しゅわしゅわ。」について

メロンソーダの記事は、私がこのテーマを考える核なのです。答えは人それぞれでいいし、変わっていってもいいと思っています。

一番大事なのは、「抑うつ状態」を経験した私たちの経験を無駄にしないこと。だから、しゅわしゅわと湧いてくる泡の数だけ考えていこうと思っています。

どうせなら逆境に付加価値をつけて復帰したい。
それが私の考えです。

夫婦編、おわり。
朝から読んでいただきありがとうございました。

とい。

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