えっ!?誤解です!〜虐待だと罵られたユキヤナギ〜

子どもがまだ小さかった時に出会った人のことを書いてみる。


その頃の子どもは夕方頃になると疲れて眠くてお腹が空いてグズグズすることが多かったが、その日は機嫌が良かったのでスーパーに買い物に行った。

ついさっきまでご機嫌だったのに突然グズグズし始めたので一旦買い物は中断し、店員さんに軽く理由を説明してカートを邪魔にならないところに置かせてもらい、気分を変えるために外に出た。

私も風邪気味で鼻がグズグズしていたし、なんとか宥めて買い物をサッと済ませて早く帰ろう。
そのためにも無理に買い物を進めるのではなく、一度外に出る選択をした。


お店の出入り口付近の何もないところで、話し掛けたり黙ってみたり、時々子どもに聞こえるかなー?ぐらいのボリュームで歌を歌ってみたり…落ち着いてもらうために試行錯誤していた時だった。

通りかかった年配の女性が、露骨に興味と少しの不信感を浮かべた表情でわかりやすくジロジロと見てきた。
正直ものすごく不快だった。

子どもだって泣きたくて泣いてるわけじゃない。
きっと自分でも落ち着こうと頑張っているけれど、どうにも涙が止まってくれなくてどうしたらいいかわからないのだろう。そう受け止めていた。
それを興味本位でジロジロ見られたことには不快感しかなかった。

無視して子どもに『そろそろお店に戻ってアイス買って、お家に帰ったらママと一緒に食べない?』と話し掛けた直後。

『え!えぇ!?ちょっと!今私にババァって言った!?』
と、ジロジロ見てきた女性が振り返って鬼の形相で戻ってきた。

ババァなんて一言も言っていないので言っていないと伝えたが、その女性とほぼ同時にお店から出てきたもう少し年齢が上であろう別の女性までもが『私も聞こえた!』と応戦してきた。
(思うに、鼻が詰まっていたのでボソボソ喋っていた中の“ママ”が“ババ”に聞こえたのではないかと…)

それからはいくら否定しようとしつこく絡まれ、最終的には子どもと早く帰ることを最優先にすべきだと判断し、不本意ながら『そうですか。それは申し訳ございませんでした』と謝ってお帰りいただいた。
人に文句つける前に耳鼻科に行け。と思いながら。


この時2人の女性からは今でも忘れられないような言葉を公衆の面前で散々浴びせられた。

  • ババァと言った。絶対に言った。この耳で聞いた。間違いない。

  • (ジロジロ見てたのは)泣いてるから心配だっただけ。

  • あんたみたいなガキにババァと言われる筋合いはない。

  • 今の若い親は子ども1人まともに面倒見られない。

  • どうせスマホばかり見せているんでしょ。

  • あんたがやってることは虐待。

  • こんなに泣かされて子どもが可哀想。

  • 親になりきれてない。

  • 非常識。

  • スマホに育児させてるからこうなる。

  • あんたみたいな親に育てられるのは気の毒。

  • 悪い見本。

  • 人にババァと言って八つ当たりして最低。

  • 八つ当たりしてないで子どもを泣きやませなさいよ。

  • 他のお客さんにも迷惑。

  • こんな所で恥ずかしいと思わないの。

  • 虐待で通報されてもおかしくない。

  • あんたの顔覚えたからね。しっかり覚えたよ。

ざっとこれらの言葉を言われた。実際はもっとある。
たくさんのお客さんが出入りするお店の出入り口付近で、たくさんの人と子どもの目の前でぎゃあぎゃあと言われ続けた。

何を言っても自分達こそが正しくて正義で、若い私(と言っても当時は30は過ぎていた)が完全に悪で非常識という主張は変えなかった。

通りすがりにジロジロ見る人、見てませんよーという顔で通り過ぎて行く人、面倒くせーという顔をする人、舌打ちする人、あらあら可哀想に…という顔をする人…。
たくさんの人が通り過ぎたけれど、誰ひとり助けてくれる人はいなかった。(そりゃそうか)

ただ私もずっと黙っていたわけではなく、前半はジロジロ見てきた自分達の行動はどうなのか?これだけ違うと言っているのだから自分達の聞き間違いだとは思わないのか?ということは言わせてもらった。
一応見ず知らずの目上の人なので、努めて丁寧に勿論敬語で。

でもそれすら全否定。しまいには嘘つき呼ばわりまでされた。

腹が立つなんてもんじゃない。悔しかったし、警察呼ぼうかと思った。

だけど私が優先すべきはこんな言いがかりつけて絡んでくる【正義のオバサマ方】より子どもだと思ったから、穏便に済ませようと後半はひたすら謝ってお帰りいただいた。
それが最短で最善の解決方法だと思った。

なんとか解決?はできたが、そのお店にはよっぽど急いでる時にしか行かなくなった。
お店に行くと思い出すから、会いたくないのではなくて思い出したくないから行かない。
思い出すと今も怒りで震えるぐらい悔しかった。


子どもはというと、ママが知らないおばさん2人と目の前で喧嘩しているものだから不安で涙も止まっていた。

ごめんねと謝って買い物して帰ろうと言うと、私の手を力一杯握って素直についてきてくれたので無事買い物は済ますことができた。


このおばさんは泣いてる子どもとそばにいる私を見て、私が虐待していると思ったというのはハッキリしている。
でもババァと言われたと勘違いしなければ、虐待されていると思っているにも関わらず興味本位でジロジロ見るだけで通報する気は一切なかったように見受けられた。

結局興味本位でしかないのだと感じた。

小さな子どもは泣くこともイタズラすることもそれが仕事のようなもの。
泣いてるから宥めている場面、イタズラしているから叱っている場面…遭遇することは珍しくはないと思うのだが、それを虐待だと思う人がいることには驚いた。

店内をキャー!と大きな声を出しながら子ども達が走り回ったりかくれんぼしたりしているのに見向きもせずに涼しい顔で買い物をしているより、自分の子どもに責任を持って良くないことは良くないとその場で注意をしている親のほうが虐待しているように見えるのだろうか。

叱られた子どもがギャンギャン泣いているところだけを見て虐待だと言われるのは心外もいいところだ。


以前店内のグレープフルーツやオレンジをボールのように転がして遊んでいる子どもに遭遇したことがあるのだが、その子達の母親は子どもではなく全然別の商品を見ながら『やめなさいよー』と言うだけだった。

見かねた年配の男性が子ども達に
『おぅ、面白いか?よく転がるなぁ。オレンジは好きか?うん。じゃあ床を転がすのはやめたほうがいいんじゃないか?おいしく食べられなくなるぞ。食べ物は遊ぶ物じゃない。おいしく食べるもんだ。食べたいなら母さんに買ってもらえ』
と話し掛けると、子ども達は床にグレープフルーツとオレンジを置いたまま去って行った。

母親は見て見ぬふり。男性はグレープフルーツとオレンジを拾って店員さんに渡していた。
その子ども達はお菓子売り場でも床に商品を落として知らん顔。
店内は運動場かのように走り回る。
さすがに周りの目に耐えられなくなったのか、母親はパンコーナーからパンを2つ持ってきて子どもに手渡し、子ども達は買い物をする母親にパンを食べながら付いて歩いていた。
そのパンはお会計時に『子どもが食べちゃったんで』と言って袋を差し出してお会計していた。


上記の母親が非常識だと言われるのならぐうの音も出ない。

だけど買い物を中断して泣いてる子どもと外に出て落ち着くまで待つのはそんなに非常識なことなのだろうか。

私もそうだったが、世の中の幼い子連れの親はみんな必死だと思う。
一瞬の隙をついてパッと興味のある方へ行ってしまいそうになる子どもを見ながら必要な買い物をするのは大変なのだ。

カートに乗せればいいと言われたことがあるが、カートに乗りたがらない子だっているし、カートに乗ったはいいけれどスルッとすり抜けてかえって危ないこともある。

どうしたらそうなれるのか、髪も顔もキレイに整えて素敵なお洋服に素敵な靴を履いて、上手に連れて歩いている親御さんも見かける。

だけどみんながみんなそうなれるわけじゃない。
イライラするけれどイライラしないように。
早くしたいけど、急ぎつつ子どものペースに合わせて。
そうやって必死になっている親に対して、ジロジロ見たりコソコソ話したり、あろうことか虐待だと言ったり。

なぜ小さな子を連れているだけで肩身の狭い思いをしなければいけないのだろう。

自分だって大昔は小さな子どもだったのに。
自分だってだって親を困らせて育ってきたのに。
品行方正でいつだって親の言うことを完璧に聞いた聞き分けの良い子だった人なんているのだろうか。

もう少し子どもを連れた人に優しい世の中になってくれたいいのにと思わずにはいられないユキヤナギです。

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