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私はピピンでした

ブロードウェイミュージカル『ピピン』の再演が決まったけれど、2019年に『ピピン』を見た私の感想は、「え、結局なんだったの?」だった。
作品を理解できてないなんて恥ずかしくて言えなかったけど、最近は自分の恥をさらすことによる気づきも多いので、私は自分の中に閉じ込めていた「?」を取り出すことにした。

「特別な何か」を求めて進み続けるピピン

ローマ帝国の王様の跡継ぎであるピピンが、生きる意味を見いだせる「特別な何か」を求めて、戦争で活躍してみたり、革命してみたり、いろいろしてゆく。
サーカスみたいなアクロバット演出がたくさんあって、ストーリーそっちのけで「わ~すごい!」ってなったかと思えば、ピピンが「これじゃない!他に何かあるはずなんだ!」みたいな感じの台詞を言うので、私も「そうだった、そういう話だった」と、ピピンの視点で次の挑戦を見守る、みたいな感じで進んでいった。

特徴的なのが劇中劇ということで、Crystal Kayさん演じるリーディング・プレイヤーが、観客に説明をはさむ。
『キャバレー』のMCのような感じの、狂言まわしだ。


怒るリーディング・プレイヤーと、戸惑いながら笑う観客

ただ後半になると、リーディング・プレイヤーの意図していない流れとなり、「何やってんの?」「違うでしょ!」みたいな感じで、演者に怒り出す。なんだか険悪なムードだけど、それも演出なんだろうな、という感じで観客は笑っていた。

そして最後の最後。
ピピンが"火の中に飛び込む”というフィナーレを拒否すると、リーディング・プレイヤーが怒って、セットを全部撤収させる。
本当に全部、全部だ。
バックステージツアーかよ、というほど舞台の裏のところまで見えたし、衣装も脱げと言われて下着姿のピピンとキャサリンと息子。

リーディング・プレイヤーが怒ってオケに対して「なんでまだ演奏してんじゃ!」ってな感じでキレてるのも、ツッコミみたいで、どんな感情でいればいいのか戸惑った。
私が見たのが初日ということもあり、お客さんも理解しきれていない人が多かったのだろう。
みんな笑ってた記憶がある。
だから、あのまま終わってしまうなんて思ってもみなかった。

そう、最後に盛り上がる曲も、リーディング・プレイヤーからの説明も、何一つなく、暗転したのだ。

「え?」という感じで
ゆっくり「これで終わりだよね?」的な感じでおそるおそる始まる拍手。
たぶん私と同じように「?」のままだった人も多かったと思う。

人生という壮大な旅物語?

そこから2年経ったいま、Wilipediaや何件かのブログなどの解説記事を読んでわかったこと。

この作品のメッセージは、最後に「作られた世界から完全に立ち去る」というピピンの行為によってあらわされていた。
「人生の目的」「特別な何か」を探し続けていたピピン。でも、人生に目的なんか無いし、大それたフィナーレなんて無い。というメッセージだったのだ。(もちろん他にもいろんな捉え方あります)

私は当時それに気づけなかった。
なぜなら、私自身が「人生の目的」を探し求めている最中だったから。
私ならではの役割とか、使命みたいなものは何なんだろう?って、ずっとずっと考えていた。

目的や使命を探し求めてやったことは山ほどある。
それは仕事で成果を出すこともしかり、プライベートでもやったことないことに誘われればなんでもやった。就業後は毎週のように何かしらの勉強会か交流会、イベントに参加したし、週末はボランティア、トライアスロンまで挑戦した。(25mプールさえ泳ぎ切れなかった人間なのに)

そんな中始めたのがYouTubeだった。
それでも他者のコンテンツをもとにしていて、ゼロから私が生み出したものではないことに引け目も感じながら進めていた。
実際登録者はまだ200人程度で、本当にこのまま進めるのかどうかも分からない。正解を探しながら進んでいた時だった。

たぶんプログラムの解説を読んで理解はしたのだろう。インスタの感想を見返すと「奥深い作品」と書いてある。でも心には響いていなかった。

追い求めなくなれば幸せなのか

正直、今もこのことについて、完全に腑に落ちている感覚は薄い。
なぜならすぐに「このままで良いのかな?」という不安に襲われるからだ。
本当に人生の目的なんかなくて平凡で良くて毎日のなんでもないことが幸せ、と思えていたら、そんなことあまり思わないはず。

とはいえこういう欠乏感というのは、人間にとって必要なことでもあるとも思う。さらなる幸せを目指して人生を豊かにすることができるからだ。

だから本当にバランスがいいのは、
今が不足してるから、幸せを探して動く、のではなく
今も十分だけど、もっと幸せになるために動く、という考え方だなあ、と思う。

だからピピンはすごい。
自分が探し求めていた、人生の目的、「壮大なフィナーレ」が用意されているにもかかわらず、そこから去ったのだから。

不足を感じながら生きていたあの頃の私ならば、そこに飛びついただろう。

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