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いち。

最初の投稿になります。どんな方がこの記事を見てくれるのか。誰に届くのか。全く予想ができないまま書いています。きっちり更新する!と張り切るとまるでダメになってしまう人間なので、何にも縛られず、「ゆるりと」書いていこうと思っています。

♡はじめに♡

まず、このnoteはこんな人が書いています。


名前は「 M I H O ♡」と申します。これでも両親に青学に行かせて頂き、2つ余計に年を食って卒業しました。在学中に色々ありまして、「鬱病」やら「対人恐怖症」やらそれに纏わる様々な症状を発症しました。ですが、暗い話だけではなく、憧れのTaylor Swiftに会えてしまったり、小学生の頃から大好きなKAT-TUNの亀梨和也さんに「壁ドン」をしてもらえたり………と、それ以外の運をそこで使ってしまったかのようなバランスの人生を歩んでいます(笑)。なのでもれなく「それ以外」の部分で大変苦しみました。

♡メンタルヘルスのお話♡

ここで発信していきたいのは、私自身が痛感した「メンタルヘルス」についてのこと。中学生の頃、いじめにあって不登校をしていた経緯もあって小さい頃から親に苦労をかける子でした。高校に入って少し持ち直して、大学進学で田舎から上京しました。そこでまたも、面倒な子に巻き込まれ、あれよあれよという間に鬱病が発症しました。我慢して、我慢して、我慢して、し続けた結果、「いつ自殺してもおかしくない」とお医者様に通告されました。初診が19才の頃でした。それから7年たちます。完治したわけではありませんが、私は生きています。

今年27歳になりますが、この歳になってからこそ視野が少し広くなったような気がしています。しかし学生の頃は「今いる世界以外に居場所がある」なんて思えませんでした。中学生の頃なんて、なおさらです。人の助けになりたいなんて大きなことは言いません。ただ負の感情に悶々としているときに、少しだけ読んでもらえるような文字を結んでいきたいのです。これは、自分のためにも。

「自殺してもおかしくない」診断から、今まで「過剰投薬・向精神薬依存」ももれなく経てきました。本格的な投薬をしていた頃、私の記憶はかなり曖昧です。1週間のうちの1日の記憶を覚えているか否か、というくらい………。療養中は両親に看病をしてもらっていたので、母親の話が主軸になってきますが、「相当やばかった……」とだけ。ただこの話はしっかり記事にしていく予定です。自分が知らないうちに傷つけられることがないように。

♡おわりに♡

今日からゆるりと文字を結びます。一人でも、少しでも、心が軽くなったと思ってくださったら、心底嬉しいです。”執筆初心者”よろしくお願いします!

M I H O ♡

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