深いしわに沈む
そして、アイロンがけの気持ち。
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ぱりっとアイロンがけされてスーツケースに詰められていた洋服が、今では、ベトナムの住まいのクローゼットのなかで、しわが入った状態でしまわれている。まだしわが入っていない服を探してみるけれど、そんな服はずいぶんと少なくなった。
こっちに2週間もいればそうなるよな、と頭ではわかっているのだが、どうしてもさみしさが拭えきれない。
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今回のベトナムの会社は、僕の人生で3社目だ。過去の2社の勤め始めを思い返す。なにをしていいかわからないし、目に映る社員全員がおそろしく見えていた。それでも、常温におかれた氷のような遅さで、僕はそれぞれの場所になじんでいった。
だから、心配することはない。
仕事が始まったこの1週間、退社するたびに自分に言い聞かせていた。
言い聞かせるのだが、冷静な僕が問いただす。いやいや、過去の2社で、ことばが通じなかったことなんてなかったでしょ。
事務所にいる30人程度の社員はみな、ベトナム人なのである。
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ベトナム人同士の会話には、まったく入れず、そもそもなにを言っているのかさえも理解できていない。
今までの仕事であつかったことのない商材を、ベトナム人からベトナム語で説明を受けるが、理解できるのはよくて50%である。あとで自分で調べようと思いながら、ところどころ曖昧にうなずいて話を終わらせている。
ベトナム語のぱきっとした、まるで角があるような発音に心が毎日のようにけずられて、退社後、家につくと逃げ込むようにYouTubeの推しVTuberの配信を開いていた。
なんとかしなくちゃなと考えながら、真っ暗の部屋のなか、ベッドの上で泥のように眠る日々だ。
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今日、やっと服にアイロンをかけた。
友達夫婦から、見送り時の空港でもらったTシャツにアイロンをかけるけれど、スーツケースに入っていたときのようなぱりっとした見た目まではもどらなかった。その伸びなかったしわ1本1本をながめていると、明日からまた始まる仕事の日々をいやおうなく考えさせられた。
別の白いTシャツの背中部分に、洗濯をしても落ちなかった薄いしみがこびりついていた。
このしみが日本でついたものだったらいいな、とほんの小さな部分にも日本のなごりを探そうとしていた。
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