高いイヤホンを買うのはいつ?
ずいぶんと格好の悪い話だ。
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霧雨が降るハノイの街を歩き、スマホのアクセリーが売っている店に入った。入ったといっても扉などない、カウンターだけの小さな店であった。
「パソコンでも使えるイヤホンは売っていますか」と垢抜けない若い女性店員につたないベトナム語で訊ねると、4種類をカウンターにならべてくれた。「男性向けは、イヤーピースの大きいこの2種類だ」と言われて、そのうちのひとつを選んだ。
値段を訊くと、日本円で600円程度であった。購入して帰路につく。雨はやんでいた。
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中学生のころ、犬のさんぽのときに携帯電話で音楽を聴いていた。そのときに使っていたのが、1,000円ぐらいのイヤホンだった。
イヤホンのちがいで音質がどこまでちがうのかを昔から今まであまり気にかけたことがなかった。
いや、そもそも僕は音楽にそんなに興味を持たずに生きてきた気がする。大学に入学したとき、みんな当然のように好きな音楽グループがいて、その話でまわりが大いに盛りあがっていて心底驚いた記憶がある。
ときどき聴く音楽はなんとなくで、イヤホンはそのなんとなくをまあまあ補助できればいいツールにすぎなかったのだろう。
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家に帰ってきて、さっそくパソコンにつなぎ、推しているVtuberグループのライブのアーカイブを視聴する。僕はこれが見たくて、この2週間程度をもんもんとしてすごしていた。
Vtuberたちが、この日のために練習してきた歌を幕張メッセで披露している映像。この歌を生で聴けたらよかったのに、と苦く思うが、ベトナムにいたのだからしょうがない。せめて生で聴けないのなら、いい音質で聴きたいなと考えて、もっと高いイヤホンを買うべきだったんじゃないかと後悔してしまう。
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中学時代も高校時代も本当は音楽はいろいろ聴いていた。でも、アニソンだったりボカロだったりで、大学時代、僕は好きな音楽を語るみなの輪にはずかしくて入れなかった。「僕は音楽に興味がない」という自身へのごまかしをいつまでも持っている。
過去使っていた安いイヤホンは、自分のはずかしい好みにお金をかけるのはなんだかおかしいことなんじゃないのかという気持ちもたぶんあわらしていた。
でも、音楽は、ときには僕の人生をまちがいなく支えていた。
このライブをすべて視聴するのに必要なチケットは25,000円。後悔はない。
600円のイヤホンから流れるVtuberの歌声に、僕はもたれかかっていた。
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