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4年ぶりの里帰り

私には地元がない。
転勤族の親の元、横浜や神戸など、転々と土地を変えて育ってきたからだ。高校時代は九州のある地で過ごした。そこは、どこかへ遊びに行けば「昨日〇〇にいたね」と学校で話しかけられるほど田舎だった。
思春期の私にとって、そうやって話しかけられることはとても窮屈だった。学校と関わりのない場所で過ごしているのに、学校のコミュニティが追いかけてくるような感覚があるから。私は自由に駆け出したいのに、常に周囲の目を意識させられた。

その土地は両親の地元のため、昔から縁が深い。

先日、祖母が亡くなり、急遽その土地へと飛行機で飛んだ。実家はもうないから、夫と相談して、告別式に参加するためにホテルを予約した。

住んでいた記憶が遠くなるにつれて、私は変化していく。雰囲気が変わったであろう私を見て、すぐに「高校で一緒だった〇〇さんだ」と気が付く人は少ないだろう。ましてや夫と子ども連れだ。きっと10代の私と紐づけられる人はいない。4年ぶりに足を踏み入れたその土地には、誰にも見つからない安心があった。

私は東京を好んでいるが、思えばそれもまた私のことを知っている人が街で見当たらないことが理由だからだと思う。例えば私が本屋へ行っても、例えば私がカフェで過ごしても、例えば私が友人の嫌っている相手とお茶をしても。誰も私をとがめない。その時、私の心は自由を感じる。

久しぶりに帰った土地は、告別式と墓参りを終えれば、初夏を感じさせるただの観光地となっていた。海は東京よりもゴミがなく、食事は東京よりも安価で、人口は東京よりも少ない。
最高だった。
宿泊したホテルでは、ご当地グルメも味わった。通っていた店とは違う味だったけれど、それでも十分、記憶の中の「良い部分」だけを掬い取れた。

私に地元はない。それに、生きづらかった土地の良さを、正面から認める勇気も、まだない。けれど、その距離感のまま、住んでいた場所にときどき里帰りしてもいいのかな。愛すべきところが、これから見つけられるかもしれないから。

#創作大賞2023 #エッセイ部門


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