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自分の仕事を見直すと、恵まれているなと思う

私は昭和生まれの女性で結婚していて子どもがいる、という理由も影響しているが、仕事を見直すタイミングが多かったように思う。

そもそも私は建築の仕事がしたかった。できれば一級建築士になりたかった。

そのためには大学に行った方がよくて、母子家庭だったから自分で奨学金とバイトで学費を全額工面して4年間大学に通った。

無利子の奨学金を受けるために成績もキープしながらだったし、大学の課題は大変だったし、我ながらよく頑張ったと思う。

そして、住宅を設計したくて住宅メーカーに就職した。でも結婚を機に、その会社を辞めて千葉から愛媛に引っ越すことになった。

頼れる身内はいないし、夫の帰りは遅いし、子どもに持病はあるしで、専業主婦を10年以上続けた。

子どもたちが小学校に上がって、病気が落ち着いて、事務職のパートを始めた。建築はブランクがあり過ぎて戻る自信がなかった。

でもやっぱりどこかで建築に関わりたくて、周囲に一級建築士の免許を持っていると言っておいたら、知人の知人が紹介してくれて、フリーの一級建築士として某大手賃貸経営会社と建物点検の業務委託契約をし、個人事業主としてスタートした。

個人事業主、いわゆるフリーランスは、自分で時間を調整できるし、子育て中はありがたかったが、いかんせん外回りなので、更年期にさしかかると体がつらくなってきた。

外だとトイレもままならず、生理の量が増えて汚したこともあるし、真夏は暑過ぎて気分が悪くなるし。

そうしたらまた知人の紹介で、地元の工務店にアルバイトとして雇ってもらえることになった。設計補助のアルバイトだ。

久しぶりに設計や図面作成に関われてうれしかった。もちろんブランクが長過ぎるので、変わったことだらけで教わりながらだったけれど、こんなおばさん相手に根気よく教えてくれる、10歳以上下の先輩がいた。

でもこんどは私が乳がんになった。がん闘病中でも仕事を続けるひとも多いそうだが、その工務店までは片道20㎞運転しなければならず、抗がん剤の副作用で危ないと判断して退職した。

その工務店は家族経営の会社で、私のがんがわかっても、体調を見ながらできる範囲でやってくれたらいいよ、と言ってくれていた。本当にありがたいことだ。お言葉に甘えて、1回目の抗がん剤投与の結果を見てからどうするか決めようとしたのだけれど、投与後1週間ちょっとは気持ち悪いしめまいもあって、これはご迷惑をかけるし無理だなと思った。

「また働きたくなったら言ってね」と会長の奥様がお見舞いまでくださった。ご迷惑をかけた上に重ねて申し訳ないしありがたい。

振り返ってみると、恵まれていたなと思う。

最初の住宅メーカーの上司も、「愛媛に支店があればよかったのになあ」と言ってくれたし、辞めた後もやりとりをしてくれていた。

専業主婦だって、別に嫌ではなかった。私は一級建築士になりたかったけれど、お母さんにもなりたかった。娘と息子が生まれて、お母さんになるという夢をかなえてもらえた。ママ友と集まって編み物をしたり、子連れでランチに行ったり、ワンオペ育児で大変だったけれど楽しい思い出もいっぱいある。

一般事務の仕事も、やってみてよかった。PTA役員の仕事も引き受けたけれど、やってみてよかった。限られた時間の中で、工夫して仕事をこなす練習になったと思う。

フリーランスになる時は、かなり勇気が必要だったけれど、チャレンジしてみてよかった。ただのおばさんだけれど、実はできることっていろいろあるのかもしれないと思えた。

そして工務店にしてもフリーの仕事にしても、知人の紹介で決まったことだ。ひとを探していたときに、私と言う人間を思い出して声をかけていただけたこと、本当にありがたい。

今、私はまた仕事を探している。

こんどは在宅でできる仕事を。
副作用で体調が悪くても対処しやすくて、働く日や時間が調整できる仕事がいい。
落ち武者のような頭になっても気にせず働ける環境がいい。
すぐにトイレにも入れる自宅がいい。

多様な働き方が考えられるようになった今なら、見つけられる気がする。

最初はうまくいかなくても、なんとかなるような気がするのだ。

そしてたぶん、後から振り返ってみたら、やってみてよかったと思えるだろう。

楽観的過ぎるかもしれないが、行動あるのみ。

#私の仕事

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