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何をもって「プロ」と呼ぶのか?

陶芸を生業にしたくて、会社を辞めたのが2016年。

それまで会社員として働くことしか知らなかった私だけれど、フリーランスとして仕事をする上で「何をもってプロと呼ぶのか」という議論をよく耳にするようになった。

でもよくよく思い返せば、「何がプロの条件なのか」という話は、会社にいた頃も頻繁に聞いていた。

そして、会社ではそれが明確に定義されていた。


会社員としてのプロ論

はっきりとは覚えていないが、確か会社では「一人で業務遂行でき、改善提案や指導までできる人」のことを、その仕事のプロと定義していたように思う。

特定の分野において流れを把握し、すべてを一人でこなせることは前提条件。その上で、自ら改善策を考えたり人材育成ができるレベルであることが、プロの条件だというわけだ。

会社にいた頃は、まずいろんな業務を経験させて浅く広い知識を身につけさせられた。当然、特定の分野について詳しくなるまでに時間がかかる。

退職するまでに、会社の定義する「プロ」のレベルに達した業務はほとんどなかった。指導までできるレベルに達していたのは、もっと上の層の人たちだった。


お金をもらって仕事をすればプロなのか?

プロとアマチュアの線引きの話になると、必ず出てくるのが「お金をもらって仕事をしているかどうか」という基準。

誰かにお金をもらって仕事をする以上、「プロではない」と言い訳することはできない。

そうは言っても、「お金をもらう」「買ってもらう」にも段階があると思うのだ。

たとえば、少し極端だけれど、このような3つの買い方があるとする。

①家族や友人に割安で買ってもらう
②応援や期待を込めて買ってもらう
③商品の魅力のみで買ってもらう

①はほとんど情けで買ってもらっているので、プロとしての作品かどうかという点にはフォーカスされない。

②は作り手の魅力や期待値が「価値」になっている場合に起こりうる。商品が魅力的かどうか、関係なく買われることもある。

③は、まったく知らない通りがかりの人に買ってもらうイメージだ。パッと見たとき「魅力がある」と判断されれば買ってもらえる。

こうして並べてみると、一概に「お金をもらっている=プロ」とは言えない場合もあるように思えるのだ。お金だけを判断基準にすると、見誤る恐れがある。

ただし、販売する以上はプロとしての商品を提供しなければならない。


全行程をひとりで遂行できればプロなのか?

例えばものづくりの仕事なら、素材の準備から制作、販売、販売後のサポートまでさまざまな工程がある。ときにはマーケティングもしなければならないかもしれない。

このすべての工程を自分ひとりでできるようになれば、たしかにプロと呼ぶことができそうだ。なにしろ、誰の手も借りていないから「一人前」と考えていいだろう。

じゃあ、組織の中で一部の工程だけを長年担当している社員や職人さんは「プロ」ではないのか?

いや、違う。その人たちもまたプロの仕事をしている。一部の工程に特化していても、プロとしての仕事はできる


その仕事で生計が立てられたらプロなのか?

もっとも多く定義されるのが、「その仕事だけで生計が立てられたらプロ」というもの。

たしかにこれは説得力がある。自分ひとり生きていくだけのお金を稼ぐことができれば、それはプロと呼ぶにふさわしいかもしれない

「生計を立てられる」の定義がそもそも曖昧だったりするけれど、ある程度まとまったお金を稼ぐということは、それだけ多くの人に広く価値を提供しているということだ。(もしくは少数の人に大きな価値を提供していてもいい)

では、それまでその仕事で生計を立てていた人が、突然仕事を失い稼げなくなったら「プロ」ではなくなるのだろうか。仕事のクオリティが変わらなくても、収入が減った(またはなくなった)だけでランクダウンするのだろうか。

仮に「生計を立てられるだけの収入を継続して得ている」と定義しても、どれくらいの期間継続すればいいのかといった疑問が出てくる。


最初からプロだった人はいない

新卒で会社に入社した人は、それだけで継続的な収入が確定する。まだ研修を受け、会社になにも貢献できない状態だったとしても、だ。

当然会社としては、それをわかった上で採用しているし、ゆくゆくは貢献できるように育てるのだから、それまでの給料は会社側の投資である。

では、例えば「生計を立てられるだけの収入を継続して得ている」状態である入社半年の新入社員は、その仕事においてプロなのだろうか。

おそらく大半の人が(新入社員である本人も含めて)「No」と答えるんじゃないかと思う。

逆に、ある分野で会社員として働き、十分な知識や技術を身につけた人が、フリーランスに転向して十分な稼ぎを継続的に得るとしたら、それはプロだと判断する人がほとんどだろう。

最初から何かのプロとして働いている人はいない。


まとめ:「プロ」は提供する価値に値段がつく

ここまでの話をまとめてみよう。

・一人で業務遂行でき、改善提案や指導までできる人は「プロ」
・お金をもらって仕事をしていても、その仕事が「プロ」とは限らない
・仕事の全行程をひとりで遂行できなくても「プロ」の可能性がある
・その仕事で生計を立てていても「プロ」でない場合がある

結局、いろいろな判断軸の中にそれぞれ「プロ」の定義があるように思える。

だけどひとつ言えるのは、その人の仕事そのものに値段がつけば、それは「プロ」であると考えていいのではないかということだ。

その人は、その商品を作るための一工程しか担当できないかもしれない。誰かを指導することもないかもしれない。ついた値段は人ひとり暮らしていくために不十分かもしれない。

でも、その人の持つ技術や知識を持って提供できるものに、値段をつけて買いたいと考える人がいる。情けをかけるわけではなく、その人の提供するもの自体に価値を感じて。

それなら「プロ」と呼んでもいいのではないか、というのが今回の話の結論である。

第三者から「プロ」と判断される基準は何か、という話をしているのだけれど、お金をもらって仕事をする以上はプロとしての意識が必須だ。それとこれとは話が別である。

私自身は、自分をプロだと思って仕事をしている。他者からどう判断されているかはわからない。ここまで書いてきた内容も、あくまで私の考えでしかない。他の人の基準においては「あなたはプロじゃない」と判定される可能性もある。

それでも、「プロとしての仕事をしていきたい」という思いだけは忘れずにいようと思ったのだった。


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