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一人っ子論の歴史(7)~なぜバッシングされてきたのか

▼今回の記事のハイライト▼

教育者が手を加えることではじめて一人っ子は正常な道を歩める(1970年代の書籍から)
二人っ子の場合は嫉妬深い人間に育ちやすい(1970年代の書籍から)
1978 年から 1988 年までの間に、A 型の人は自分の性格を几帳面と思いやすく、B 型は自分の性格を変わっていると思いやすくなっていったとする研究もある

この記事は連載企画「一人っ子論の歴史~なぜバッシングされてきたのか」の第7回です。
▼第1回無料公開しました▼

前回の記事では、1960年代、高度経済成長期の日本において、一人っ子批判に、働く母親へのバッシングや粉ミルク批判が重ねられる様子について書いた。

今回の記事では、1970年代において、一人っ子の肯定、否定、両論併記が行われる様子と、出生率の低下の中で二人っ子にも批判が向けられる様子について見ていきたい。

●1970年代の時代背景

1974 年は国連が定めた「世界人口年」にあたる。

1960 年代から 70 年代にかけて世界的に人口増加が問題になる中、日本でもオイルショックなどを受けて、人口過剰による問題が多数指摘されるようになっていた。
同年、日本で開催された「日本人口会議」では、大会宣言に子どもは二人までとしようという主張が盛り込まれた。
つまり「子どもは一人か二人が望ましい」という主張がされたのである。

時を同じくして、合計特殊出生率は次第に下がり始めていた。

この頃の日本では大衆教育社会が成立し、家庭の背景や経済状況が違っていても、横並びで全ての階層の子どもを教育することが社会で普通に行われるようになっていった。

1970年代の一人っ子論は、依然として否定論の存在感は大きいが、肯定、否定の両論併記が行われるという点は特徴的だ。
一方で、一人っ子だけでなく二人っ子にも批判が向けられている。

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