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いつも全力でやらないとスグに堕ちて行きます

職人仕事・・・職人に限らず仕事人は、いつも100%からそれ以上の意識を持って仕事をしていないとスグに腕が落ちてしまいますよね。

修行中、あるいは独立してからでも、いつも自分よりも上のレベルの人がいる環境にいた人であっても自分ひとりになると途端に「現状の本来の自分」に戻ってしまう人が多い。上の人がいる時は、強制的に引き上げられているわけです。もちろん、逆に制約が無くなった事により修行中よりも厳しく仕事場をつくり、仕事自体も、より高度に成長させる人もおりますが・・・

ビジネスの資質と才能がある人なら、独立してからそれなりに経営的に軌道に乗るようになりますが、ある程度成長して来ると「手抜き癖」が顔を出す人がいます。

・・・人によっては、仕事が増え、順調に行くようになると「ま、こんなもんだろ」と80〜60%の仕事で流して量を扱うようになります。(ようするに軽く手抜きをし、そこに尤もらしい理屈を付けるようになる)そうなると今度はその80〜60%がその人にとっての100%になってしまうんですね。その人の仕事レベルの底が下がってしまうのです。若い時には熱心で良い仕事をしている人でも、そういう事で堕ちてしまった人を私は今まで沢山観て来ました。

規模の大きな企業ならそういう「手抜き」をする構成員がいても、なんとなく個々の欠点は大きな規模の全体に吸収され、それ程問題無く進行したりもしますがピン芸人的な職人であれば、劣化は顕著に仕事に出てしまいます。それは手の技術のみでなく、他人に対する態度や、日常の雑務にも出ます。

一人親方などだと、それを注意してくれる人もほぼいませんし、注意してくれる人がいたとしても仕事レベルが落ちている人程、反比例的に自己評価が過剰に高くなるので他人から注意されると簡単に逆上しますしね。余計に他人から注意される事も無くなります。そうなって来ると自分の恩人からの的を射たアドバイスも聴かなくなります。

プロにとって、100%は底だと思います。(皆同じではなく人それぞれの100%があります)ただし何でもかんでも完成度が100%のものしか出さないという意味ではありません。80%でリリースして後は運用しながら修正して行く事も必要ですから「必要な事をしっかりやり切る事の連続」という意味です。

それは言うまでもなく、経営度外視の仕事をするべきという意味ではありませんし、加工仕事なら加工賃以上の仕事をするという意味ではありません。それはある意味、思考停止の手抜きのようなものですから良くない事です。異様に手の込んだ仕事を採算度外視でやるのは職人の適正がある人にとっては作業的にはむしろ簡単ですから、そうする事が職人の良心という事にはなりません。そこが「生業」の難しさですね。

そしてそれは、ただ単純に死にものぐるいで身を削ってやるべきという意味ではありません。

毎日行う仕事ゆえに「自分を追い詰め過ぎて自滅」もありますから休息は必要です。それは良い仕事にするための仕事としての休息です。自分のエネルギーを全て使い果たしてしまうと自分のメンテナンスのために必要なエネルギーも無くなってしまいますし、毎日切れ目無くずっと張りっぱなしでは体も精神も保ちませんから、ペース配分も必要です。そういう事も含めての100%という事です。ただ手を動かすだけではなく、良く環境を観察し、良く考えて行動する必要があるという事です。

私は環境的にそうせざるを得なかったというのもありますが、独立した当初の青年期から中年期に仕事をし過ぎ、身体の調子がいつも良くないので、その体験からも「心身のメンテナンスも仕事」と思います。ただし、体調が悪い状態での動き方、体調の悪さを軽減する技術は上手くなりました。

特に職人の場合、何も考えずに手を動かしているのは、元々手作業に耐性があり、それを好む職人系の資質を持つ人が多いわけですから、むしろ楽しかったり、快楽であったりするので、そこに陥らない事が大切です。手を動かしていると他人への仕事してますアピールも出来るので心理的には安心出来てしまうのです。だからそういう事も結局手抜きとなります。

普段から「手抜き癖」が染み付いてしまっている人は、本人の根幹部分の底が年々下がっている=自己観察力や考える能力も年々下がっているわけですから、本人は自分の劣化に気づけません。

しかも、職人仕事はプロスポーツ選手ほどシビアに即座に成績低下になって表れないので余計に気づきにくいし、気づいた時にはもう手遅れという事になります。

怖い怖い・・・


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