小さな本物は大きなニセモノに負けるのよ
社会に出ると、不条理の海に放り出されるわけですが
良く思うのは
「小さな本物は、通常サイズのニセモノにすら負ける。まして大きなニセモノと比べてしまえば、小さな本物などホコリ一粒程度の力しかない」
ということです。
例えば、純金3gと、雑鉄塊1kgに金色を塗ったものを純金だと称したものでは、雑鉄塊金塗りの方が本物とみなされるわけです。
社会では、それが本物であるなしなど、殆どの人が興味を持ちません。
「いかにそれっぽいか、ということの方が重要」ですから。
本物は、小さくても本物だからそれで良いのだ、1gでも本物であることが必要だ、というのは、開発者であったり表現者であれば、初動としては正にそうでなくてはならないわけですが、しかし本物であることの価値を社会に認知してもらう、ということになると、量的にも強さがないと難しいんですね。
本物だから小さくても良いとか、本物だからそれで良いのだ、という自己完結は、社会の激流に流されてしまうんですね。
全く、世の中は厳しいのですね。
私のような零細は、コツコツ地道にやるしかありません。
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