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レ点方式の採点では測れないもの

生き物に対しての良し悪しの判断は「レ点方式では“採点”は出来るが“良否の判断”は出来ない」というのがありますね。

生き物は、欠点こそが魅力になったりもしますから。

例えば、ダメ猫、ブサ猫だからこそ、何とも魅力的なんて事が普通にあります。

なのに、レ点方式で人だけでなく、生き物である作品、製品を判断してしまうことは良くあります。

そういう姿勢で、ものづくりをすると「美人ではあるけどナゼか魅力を感じない人」みたいなものが出来上がってしまいます。

例えば「演奏技術は高いし、ソツが無いし、ミスも無いけどもなんだか面白く無い演奏」みたいなもの・・・などもありますね。・・・そういう類のもの。

レ点方式でモノの良し悪しを決めてしまうと「欠点すらも魅力の一つという、そのモノ自体が持つ個性と強さ」を捨ててしまうことになります。

「その欠点をなくしてしまうと、魅力も同時に無くなってしまう」というように、欠点と魅力は結びついているものも多いですし。

しかし、実際には「その製品には元々そのような“強さ”は無かった」という事も多いものです。

そうなると、それはレ点方式でチェックした「欠点の無い事が長所」という「だけ」になります。そういうものは、欠点は無いけども魅力になるほどの飛び抜けた良さも無いのです。

ものづくりの現場では、実は初動から、これから産み出すものへの未来像が無く、「なんとなく何かつくらなきゃ・・・」と「今までやって来た事の延長線の、手慣れや精神的手癖の範疇で作り出そうとする姿勢」「オレたちは高度な職人技術があるんだから、それで何かつくれば社会は感銘を受けて売れるはず!なんて態度」で始めてしまう事が多いものです。

強い創作的衝動や、そのビジネス自体への熱量による社会への綿密なリサーチから導かれる・・・などが初動にあるのではなく「こういう高度な技術があるからこれで何か作ってみるか」という安易な態度・・・

これは、職人仕事をしている人だけで何か新しい提案を・・・という際に陥りやすい傾向がありますし、プロデューサー的な役割の人が入っても、最終的には「内輪ウケ」的な方向に流れてしまう場合もあります。

それと、ものづくりの現場では、どうしても習慣的に「クライアントにケチをつけられないような仕事に仕上げる」ように感覚と手が動きますから「欠点を削って行く」方向で仕事が進行して行きそういう風に仕上がってしまう事になりがちです。

そうすると「数値的なスペックは良いけども魅力的ではないもの」が出来上がります。

「話を聞くと、エライ大変で高度な技術が使われているらしいけど、ダサいし、値段がバカ高い」

ものが出来上がる傾向があります。

やはり「何が何でも欲しい!!」という強い衝動が起点なのが強いのでしょうね。

が、最近は分野を問わず、職人集団のような所からのものでもセンスが良いものが増えて来ました。

あれは新しい世代のセンスが格段に良くなったのか、プロデューサー役の人に素晴らしい人が増えたのか、その両方なのか・・・とにかく良い流れだと思います。

私もがんばりたいと思います。


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