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消えない罪

5年前、僕は友人の首をしめた。
始めて他人の首に触れたのは、多分あの日だったと思う。


「殺してくれ」と涙ながらに訴えられた僕は、それを断るに十分な理由を見つけられなかった。

僕が知ってる限りでも、あいつの置かれた環境は決して幸せとは言えないのを知っていたから。

水泳の時間、長袖の水着からたまに見える腕が痣だらけなこと、
入学式の日までに制服を購入できず、私服登校して先生に目をつけられていたこと、
家で兄弟の世話をしていて、授業中が唯一睡眠を確保できる時間だったこと、
僕が夕飯を作って持たせてやると、いつも泣いて喜んでいたこと。

ただ、僕らは友人と言うには余りにも都合のいいだけの関係で、お互い共に行動していた。
お互い、恵まれているとはお世辞にも言えない環境の中で、似たような境遇の人といるのが嬉しかっただけだった。
要するに傷の慰め合いのような関係。
端から見れば成績最下位同士のつるみ合いにしか見えなかっただろうけど。

筆箱を買えなかった僕らは、家庭科室からチャック付きの袋を盗んでペンを入れていた。
教室の落とし物コーナーから消しゴムを頂戴することも多々あった。
黒板の通りに余裕をもってノートを書けと言われても、隙間が勿体なくて読めないほど小さい文字で詰めてノートをとっていたせいで度々説教をされた。
先生たちからしたら、さぞかし迷惑な問題児2人組だっただろう。

でも僕らは仲が良かった。
正確に言えば、お互い「この人しか居ないから一緒にいる」状態だったけれど。


そんな関係は夏休み明け、突如として壊れた。

夏休み明け初日、僕は早めに学校に行った。
おそらく6時前には着いていただろうか、校舎はまだ暗くて人気が無かった。
学校のリュックを椅子がわりに地面において、一人、うたた寝しようと試みたとき…あいつが来た。

寝巻きのまま、学校のリュックを前に抱えて。

何かあったんだろうなと察しがついて、僕は何も言わずに、ただ目だけで彼の行動を追った。

リュックを地面に下ろすと、あいつは何も言わずに僕のもとに歩いてきた。
どこか違和感のある、片足を庇うような歩き方で。
彼の元から3mも無い、僕のもとに来るまでかなり時間がかかった。

途中、大きくよろめいたあいつに、思わず手を伸ばす。
僕の肩に寄りかかる形で倒れこんできたその身体は、奇妙なほどに軽かった。
給食の無い、この長期期間中、こいつは何か口にできていたのだろうか、僕が何か作って持っていくべきだったんじゃないか、そもそも寝ることすらままならない生活のなかで十分な休憩をとることすら出来ていなかったんじゃないか…
考え始めると一向に自分の落ち度ばかりが目に入る。

その直後、
延々と続くと思われた沈黙を破ったのはあいつのほうだった。


「もう疲れた、殺してくれないか?」

僕は断らなかった。
…断れなかった。

生きることに希望など、どうやったら見いだせる?
明日を迎える恐怖など、どうやったら克服できる?
僕にもわからない、わからない…わからない。

早朝の静まり返った校舎の隅で、僕はあいつの首に手をかけた。
首は思ったよりも細く、僕の指先が首の後ろで重なった。


その瞬間の僕は、常軌を逸していた。
恐怖や罪悪感など無かった。
ただ、救ってあげたいと言う気持ちだけが、強く脳内を支配して離さなかった。

両手に力を入れる。


あいつは…笑顔で僕を見上げていた。


だが、僕の両手に力が入るにつれて、直ぐに顔をしかめた。
口を開け、眉間にシワを寄せると、苦しそうに声を出す。
脚を突っ張らせ、腕を振り回していた。





その後、あとから来た他学年の生徒が慌てて先生を連れ、僕のところに走ってきた。
複数の教師が僕をあいつから引き剥がす。
大人の力に逆らい、抵抗することなどできなかった。

あいつは、手を離した後も虚ろな目をしたまま動かなかった。
細い、呻き声混じりの吐息のような呼吸音が、早朝の校舎に響く。

真っ白で細い首には、くっきりと僕が押さえていた跡が付き、赤く目立っていた。
教員共は慌てふためき、口々に「大丈夫?!」「可愛そうに…」と言いながら、各自のスマホで救急要請をしている。


あぁ…なんだ、こいつらは。
結局、現場を自分の目で見なければ、行動もしないのか。
あいつは、普段から明らかに[普通]じゃなかっただろ。
枯れ枝のように細い手足、指定の学校用品が買えない環境、集会中何度も倒れる程の貧血や低血糖、それでも一度として迎えに来なかった親…。
今まで、それを知っておきながら見て見ぬふりをして、面倒事や大事にしたくないが為に、問題児として扱っていたくせに…!
何が今更「大丈夫?」だよ…とっくに限界越えてるに決まってんだろ。



まるで強盗犯が取り押さえられるかのように、僕は教員に押さえつけられながら、そんなことを考えていた。

「何でこんなことをしたんだ!」とか言う大人の叫び声は、僕の耳には届かない。
逆に僕が、「何故、あいつが自ら死を望むほど苦しめられていたことに、気づいていながら知らないふりをしていたんだ!」と雄叫び混じりの大声で対抗しても聞き入れては貰えなかっただろう。

人間は、自分の行動に何らかの正当化できる理由をもってしまっている。
僕も、
教員も、
そしてきっと、僕に自分を殺してほしいと言ったあいつも。



あいつは、その後救急搬送された。

幸いなのか、どうなのか、命に別状はなかったらしい。
入院中の看護師からの通報で、一週間の入院後は児童相談所で保護される事になったそうだ。

やっと…やっと、あいつが少しでも安心して寝れる場所に連れていかれるんだと思うと、別れる寂しさより、安堵の方が大きかった。



僕はと言うと、今回の一件で別館の障害児クラスに転入させられる形になった。

普通なら未成年とはいえ警察案件になるだろうが、学校がそれを許さなかった。
流石、虐待を受けてる児童が死ぬ直前まで外部へ通報しなかった学校だなと、幼いながらに情けなさを通り越して感心した。

あの日以来、あいつとは接触・対面共に禁止とされ、会うことはなかった。


あれから5年。

今でも僕は、あいつの首に手をかけたことを後悔していない。
それほどまでに、僕に死を懇願するあいつのあの時の姿は、本物だったから。
ただ、せめてもう少し、楽に苦しませない方法もあったんじゃないかと思うことはある。

今、あいつが平穏な生活を送れているなら、もう僕は何も望まない。
だが、もしもあの頃と同じ生活を送り、死をねがっているとしたら、僕は、殺してあげられなかったことを今後も一生後悔するだろう。

けれど、どちらにせよ、
一度ついた傷は、
完全に癒えることはなく、
一生被害者が抱えて生きねばならない事を思うと、
あいつが親につけられた心身の傷も、
僕が善意で触れた首の傷も、
変わらない程大きな罪のように感じてならない。


これは、僕が一生背負い、償っていかなければならない[罪]なのだ。



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