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【記憶の街へ#2】17歳、スピリチュアルな夏の夜

高校生2年の夏休み、ボクはトラックの助手という短期アルバイトをしていた。
助手と言っても、荷下ろしの手伝い。
名産地から西瓜を満載してきたトラックの助手席に乗り込み、築地や所沢などにある青果市場で下す。
西瓜は割れやすいので手作業になる。
大きな西瓜がふたつ入った重い箱を、ひたすらトラックから下し、指定されたパレットの上に積んでいく。
シートが取り払われ、11トントラックの荷台に現れる西瓜の箱の山は、ベルリンの壁のように高く威圧的で、いったい何時に終わるのだろうと気が遠くなった。
深夜にトラックに乗り込み、解放されるのは、そろそろ出勤ラッシュが始まろうという時間。
流れた汗がエアコンに冷やされ、冷え始めた体を気温の上がり始めた夏の朝に晒すのは、不思議と気持ちが良かった。

会社は足立区の外れにあった。そこの和室の休憩室で、ボクたちアルバイトはトラックを待った。
深夜に残っている社員は宿直の一人だけで、アルバイトはボクを含めて4〜5人。ボク以外は大学生だった。
その中にKさんがいた。
Kさんは大学で宗教学を専攻していると言った。
「神様の正体を知っているか?」
まさに学問という内容から、少々スピリチュアルな話まで、彼の話題は高校生のボクにとって刺激的だった。
その日に誰がどのトラックに乗るかは事前に決められていて、どういう順番で到着するかは分からない。
しかしなぜかいつも、ボクとKさんが残された。
「なぜだか分かるか?」
ボクは首を横に振った。
「俺が君と話したいと思ってるからだよ」

ある日、Kさんはボクにこう質問した。
「宗教の共通点って何だと思う?」
しばらく考えても答えが出せないボクにKさんが続けた。
「毎日拝むことだよ」
確かに拝まない宗教というのは聞いたことがない。
どの宗教でも最低1日に一回、イスラム教のように1日に5回の礼拝があるという宗教もある。
「あれは、その宗教のお経に意味があるのではなく、毎日拝むこと自体に意味があるんだよ」
熱心な信者が聞いたら怒りそうなことを彼は言った。
「毎日、同じことをすれば良いんだ。でも簡単にできることはダメだ。ほんの少し難しいことが良い」
そしてKさんは、1日の終わりに貯金箱に100円玉を入れてごらんと言った。
「毎日、必ず入れるんだ。どんな時も。そうすれば、そうだなぁ、3ヶ月くらいすると変化が感じられると思うよ」
それがどんな変化かは教えてくれなかった。

その日から、ボクは言われた通りに、1日の終わりに100円玉を貯金箱に入れ始めた。
それは簡単にできることのように思えたが、すぐに「ほんの少し難しいこと」であることがわかった。
すっかり忘れていて、ベッドに入った時に思い出すことが多かった。
財布を開くと100円玉がない。風呂に入り、パジャマも着た状態。
眠い、面倒という気持ちを打ち消して着替え、外に出て自動販売機などで両替をしなければならない。
「意外と難しいだろう?ほんの少しだけどね。そこが良いんだよ」
そう笑うKさんは、相変わらずどういう変化があるかは教えてくれなかった。

やがて夏休みが終わり、そのアルバイトも終わった。
それ以来、Kさんと会うことはなくなった。
それでもボクは3ヶ月を目指して100円玉貯金を続けた。
毎日カレンダーにチェックをして、どれくらい続いているかを目で確認できるようにした。
毎日、毎日、忘れずに100円玉を貯金箱に入れる。それは徐々に習慣になっていった。
いつでも、財布の中に100円玉があるかを意識するようになった。
1日のどこかで、財布の中に100円玉を確保する。
昼食で飲食店に入った時や、コンビニでお釣りが来るようにお金を出す。
そういう機会がなかった日は、帰り道の自動販売機で何かを買う。
あらかじめ、何日分も100円玉を用意するのは趣旨にそぐわないと思ったので、そうやって毎日の意識を少しだけ使っていった。

100円玉貯金はすっかり習慣となり、どんな変化があるのかという期待は薄れていたが、それでも続いていた。
2ヶ月、3ヶ月。
4ヶ月目に入った11月、その「変化」は突然ではなく、ぼやっとなんとなく始まっていた。
教室で一番後ろの席から眺める同級生たちが、なんとなくグレーに見えるのだ。
はっきり色として見えているというより、色として認識しているという感覚。
そしてその中に、色が変化していく同級生がいた。
なんとなくピンクに見えたり、薄い青に見えたり、それは人によって違った。
しかし彼らに共通したのは、それまで大した会話を交わしたこともなかったのに、色が見え出した後から、ボクに興味を持つように話しかけてきたことだ。
彼らといっても同時に話しかけてきてグループのように行動することはなく、なぜかいつも一人ずつだった。
ボクはグループに所属するのを嫌って、いつもひとりでいたので、その期間はその同級生とふたりで話をするという機会が増えた。
Aという同級生が少しずつ離れていくと、今度はBという同級生。
その時はAの色はだんだんグレーにもどり、Bが青に見えているという具合。
こちらから話しかけることはなく、決まって同級生からだった。

さらに4ヶ月、5ヶ月と年を越してもボクは100円玉貯金を続けた。
すると今度は、同級生たちの「本心」を感じるようになった。
休み時間にどこかのグループが話をしているのをぼうっと聞いていると「ああ、あいつは話を合わせているだけで、本当はそう思ってないな」ということを、頭で考えるのではなく、なんとなく感じるようになった。
それは自分が含まれる会話の中でも表れるようになった。
ああ、こいつは「良いよ」と言ってるけど、本当はそうは思っていないな、という具合に。
大人になった今では、経験からそれを感じることはできるけど、その当時は突然、脳に響くように感じた。
それはアルバイト先の居酒屋で、年上の人たちからも感じるようになった。
同級生たちから感じるのは、彼らが子供に見えるようで優位性を感じることができたが、年上の人たちから感じるのはなぜか怖かった。

そして半年が過ぎた頃、ボクは100円玉貯金をやめた。
その後、貯金をやめたことでボクにどんな変化があったかは覚えていない。
しかし、いつの間にか色が見えることはなくなっていた。
あれこれ仮説を立ててみたが、どこれもその域を出るような知識もないし、検証もできない。
あれはなんだったのだろう。
スピリチュアルな夏の夜から続いていた魔法だったのだろうか。
半年間の100円玉貯金で、18,000円が貯まっていたはずだが、その遣い道も覚えていない。

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