見出し画像

週末はいつも山小屋にいます#2「焼石岳/金明水避難小屋」

 十月の一週目は、東北の山々が同時に紅葉の見頃を迎える。
 中でも特に有名なのが、神の絨毯と称される栗駒山だ。赤や黄色に染まった山を上空から見ると、まるで色鮮やかな絨毯のようだという。
 神の絨毯と呼ばれるようになったのはいつの頃からか分からない。しかし、その形容がガイドブックやインターネットで広がるようになった近年は、毎年この時期になると多くの登山者が押し掛けるようになり、登山道や頂上で渋滞が起きるまでになってしまった。
 山に罪はないが、あまり賑やか過ぎる山は敬遠してしまう。
それに、紅葉を楽しむなら、岩手県の焼石連峰も栗駒山に負けてはいない。
 栗駒山に比べて空いているとはいえ、焼石岳中沼コースの登山口駐車場は、朝の六時には三十台ほどのスペースが満車状態だった。
 なんとか止める場所を見つけ、手早く準備を済ませると中沼コースに足を踏み出した。
 焼石連峰は水が豊富な山だ。いくつもの沼や湿地を抱えていて、それをつなぐように大小の沢が流れている。
 その地形や豊富な水のおかげか、焼石連峰は花の名山として名を馳せている。残雪も少なくなってきた六月に入ると、白や赤、黄色とさまざまな色の高山植物が一斉に花を開く。その光景は圧巻で、一眼レフを抱えたたくさんの登山者が屈みながら撮影する姿に出会う。
 登山道は歩き始めてすぐに斜度を上げていく。岩場や階段のように土留した急登をゆっくりと登る。ここで焦っては、その疲労が後で響く。
 三十分ほど頑張ると中沼に到着する。ベンチに腰掛けて小休止。水分を補給する。
 中沼の向こうには横岳の稜線が見えるはずだが、上空はガスがかかっていて見えない。天気予報では午後から晴れるとのことだが、果たしてどうなるか。
 曇り空にあまり気分が上がらないまま、中沼の横を過ぎる。ここからはもう厳しい登りはない。
 壊れた木道に気をつけながら、湿地や小さな沢沿いの道を登っていくと、そろそろ休憩しようというちょうど良い場所に銀明水避難小屋がある。
 小屋への階段を上り、重い鉄の引き戸を開けようとすると、扉は中にいた人によって先に開けられた。
 歳は三十代半ばくらいだろうか。短めに整えられた髪型と、チェックのネルシャツが昔風の好青年という雰囲気だ。
「こんにちは。どうぞ」
 青年は見た目の通りに礼儀正しく、中に入ろうとする私のためにドアを抑えてくれた。
 ふと青年の後ろを見ると、隠れるようにして小学校の高学年くらいの男の子がいた。私は青年に礼を言ってから、彼の方に「こんにちは」と挨拶をしたが、彼はそれには応えず、先を急ぐように階段を降りていった。
「すいません、失礼します」
その様子に青年は申し訳なさそうに頭を下げ、男の子を追いかけていった。
 少しの間、中に入らずに登山道を頂上に向かう彼らの姿を目で追った。どこかよそよそしいような雰囲気で、親子喧嘩でもしたのだろうか。
 小屋で十五分ほど休憩し、私は登山道に戻った。小屋から先は灌木帯となり、徐々に視界が開けてくる。
 ミネカエデやドウダンの赤、ダケカンバの黄色が高度を上げるに従って鮮やかさを増す。そこに混じって緑を保つハイマツの頑固さも良い。
 泉水沼まで来れば焼石岳の頂上はもう少しだ。沼のほとりのベンチは、原色のウェアを身に纏った登山者たちが腰を下ろして休憩している。シャッターチャンスを狙うカメラマンたちが立てている三脚も三つや四つではない。
 上空の雲は思ったより早いスピードで動いている。その動きの隙間に青空が広がり、太陽が顔を見せると紅葉が明るく輝く。それを待っていたカメラマンたちのシャッターの音が一斉に響いた。
 比較的年配の登山者が多く、方言の混じった笑い声が響いている。まさに地元に愛されている山という雰囲気だ。
 わずかなガレ場を登り詰めて頂上に立った。これで何度目だろう。有希とは三回、いや、四回は登っているはずだ。
 頂上も多くの人で賑わっていた。眼下の泉水沼の向こうに広がるパッチワークのような紅葉は、やはり栗駒山の神の絨毯に負けず劣らず素晴らしい。
 空は青さを取り戻してきたものの、遠くの雲は居座ったままで、月山や鳥海山は顔を見せていなかった。
 私は登ってきた道とは反対側の岩場を下り、焼石神社という標柱だけが立っている分岐を東焼石岳方面に進んだ。
 目の前には南本内岳。その手前に湿地が広がり、茶色く色づいた草原が揺れている。
 東焼石岳から経塚山に続く縦走路に足を踏み入れると、途端に登山者の姿はなくなり、全く違う山域に来たかのように静かな山歩きになった。
 私も有希もこの縦走路が大好きだった。
 縦走路の周りの紅葉は赤の割合が多く、まるで山が燃えているようだ。左手に並ぶ沼を見ながら六沢山に上り、休まず下って今度は尖ったトクロウ岳に登ると、目の前に経塚山が圧倒的な存在感で現れる。そしてその手前にポツンと赤い屋根の小屋が見えた。
 金明水避難小屋、今日の宿だ。
 左手に夏油三山の牛形山を眺めながら登山道を快調に下る。この縦走路に入ってからすれ違ったのは、六沢山手前の三人パーティのみ。鮮やかな紅葉を独り占めするかのように縦走を楽しみ、小屋に着いたのはまだ午後二時過ぎだった。
 荷物をデポして経塚山までピストンしようか迷ったが、たまには早い時間から小屋でのんびりするのも良いと、今日の行程はここまでとした。
 約二十年前に建て替えられた金明水避難小屋は、どっしりとしたコンクリートの土台を持つ堂々とした姿で、ウッドデッキとそれをトラス状に支える柱が、まるで避暑地のペンションのように洒落ている。
 夏用の簡易水洗トイレと、冬用の非水洗トイレがあり、真ん中が吹き抜けになった明るい室内は三十人から四十人は収容できるはずだ。
 今日の一番乗りかと思ったら、一階に見たことのあるザックが置かれていて、二階から物音が聞こえた。
 私はザックを下ろして登山靴を脱ぐと、二階への階段を足早に登った。ザックの主はウッドデッキで何やら作業中で、私はその背中に「菅原さん」と声をかけた。
「おお、久しぶり。なんだか今日あたり来るんじゃないかと思ってたよ」
丸顔でハの字眉毛の菅原さんは、いつもの人懐っこい穏やかな笑顔を見せた。
「何してるんですか?」
「ウッドデッキのペンキ塗りだよ。随分ハゲちゃったからね。雪が降る前にさ」
 菅原さんはこの避難小屋の所有者である岩手県から委託を受けて管理をしているボランティアの一人で、毎年花のシーズンと紅葉シーズンには必ずこの小屋で顔を合わせる。
 歳は六十台後半だろうか。盛岡の近くから来ていると言っていたはずだ。
「手伝いましょうか」
「そうかい?悪いね、じゃぁ頼むよ。そこに刷毛があるから。仲間が来れなくなっちゃったから助かるよ」
 栗駒山を眺めながら茶色いペンキを塗っていく。
「栗駒はすごい人でしょうね」
「そうだなぁ。いつからだろうな。昔はあんなに人は来なかったんだけどな」
「今はくりこま高原駅からシャトルバスが出てますもんね」
「道も随分荒れてるって聞くし、人が多いのも考えもんだな」

 風が冷たくなる頃になって、ペンキ塗りは完了した。
「いやぁ、助かったよ。今日は終わらないかと思ってた」
「いえいえ、私もお手伝いができて良かったですよ。小屋にもお礼ができた感じがします」
「お、誰か来たな。泊まりかな」
 菅原さんの目線の先、小屋へと下ってくる階段状に整備された道に二つの人影が見える。
背格好とシャツの柄を見ると、銀明水避難小屋で出会った親子のようだ。
 それから五分ほどして、親子は小屋に到着した。
「こんにちは。また会いましたね」
私は親子に声をかけた。
「ああ、朝に銀明水でお会いしましたね。よろしくお願いします」
頭を下げる青年の後ろで、男の子もちょこんと頭を下げた。
 青年は津田と名乗った。子供の名前は翔太。私たちは一階を使うのでと彼らには二階を勧めた。
あたりは暗くなってきて、すっかり雲がなくなった空には気の早い星たちが光り出した。今夜の宿泊者はこの四人らしい。
 まずはそれぞれの寝床をしつらえる。私と菅原さんは一階の北側に。南側には荷物をまとめて、そこで煮炊きをして食事をすることにした。
 私がいつものように飯盒でご飯を炊きながら、ドライフードのカレーを取り出すと、菅原さんは「まぁ、待て待て」と言ってそれを制し、コンロの上にアルミの鍋を置いた。小屋の前の水場である金明水から汲んできた水を注ぐと、ザックから山で採ったらしいキノコや、豚肉、切ってビニール袋に入れた白菜やネギを取り出した。
「キノコ鍋ですか?」
「そう、仲間と鍋をするつもりで持ってきたんだけど、ほら、来れなくなっちゃっただろう?余っちゃうからさ、一緒に食べてくれよ」
それは私も嬉しい。
「上の親子も呼んでくれるか」と促され、私は二階に声をかけて津田さん親子を誘った。
 私たちはそれぞれ持ってきたビールで乾杯し、菅原さんの作るキノコ鍋に舌鼓を打った。
 津田さんも私と同じ仙台からだった。登山歴は三年ほどという津田さんに、菅原さんは「それなら早池峰は登ったか?和賀岳は良いぞ」と岩手の山を紹介していく。
 私と菅原さんは、時々翔太くんに、学校では何が流行っているのかとか、面白い先生はいないかという質問を投げかけていったが、彼は言葉少なに返事をするのみで、黙々と食事を続けた。その様子に津田さんは恐縮して頭を下げたが、私たちは「いやいや」と言って気を遣わないようにと制した。
 アルコールで気分が良くなり、笑い声が絶えなくなってきた頃には、キノコ鍋も私が炊いたご飯もすっかり空になっていた。
「先に寝ていい?」
 食事を終えた翔太くんが津田さんに訊いた。津田さんが「良いよ、ちゃんと寝袋に入って、寒かったら呼んで」と言って二階に見送る。あまり口を開かなかった翔太くんが居なくなると、なぜか私たちも少しの間、無言になった。
 それぞれに持ってきたガスランタンから発せられる、シューという音がその隙間を埋める。
「なんか、すいません」
 津田さんが小声で言う。すぐに翔太くんの素っ気ない態度のことを詫びているのだと分かった。
「なになに気にすることはない。大人の会話も面白くないだろうし。な?」
 菅原さんが私に同意を求める。私も津田さんに向かって首を縦に振った。しかし津田さんは晴れない表情で「実は事情があって」と小声で続けた。
「妻の連れ子なんです」
 津田さんが結婚したのは半年前。相手の女性は離婚して一人で子育てをしているシングルマザーだった。一年前に山を通じて知り合い、半年ほどの交際期間でスピード結婚。
 その女性と翔太くんを守っていきたいという気持ちが強かった。それは守らなければならないという使命感にさえなっていたが、
「なんか、自己満足というか空回りというか」
 翔太くんとの関係は今でもギクシャクしたままだと、寂しそうに、少し自虐的に笑った。
「今日は、本当は妻も一緒に来る予定だったんですけどね、仕事が入ってしまって。それで翔太に聞いたんです、二人で行くかって」
「そしたら行くって?」と私が後を促すと、津田さんはだまってうなずいた。
「それじゃぁ」
腕組みをしたまま、黙って聞いていた菅原さんが少し大きめの声で口を開いた。そして二階の翔太くんに聞こえないようにボリュームを落とし、「あの子だってあんたとの関係をなんとかしたいってことじゃないか」と続けた。
「え?」
「だってそうだろう?そう思ってなかったら来なくて良いじゃないか」
 なるほど、考えてみればそうだと、私と津田さんは顔を見合わせて頷いた。
「あの子にそういう気持ちがあるんだから、無理して親子にならなきゃなんて考えなくて良いんだよ」
「どういうことですか?」
「だってあんたはあの子の父親じゃないだろう?でもあんたは父親になろうとしてるんじゃないか?それじゃどこかに無理が出てくる」
 津田さんと私は先を促すように黙って菅原さんの顔を見つめる。
「俺も同じなんだよ」
「同じって?」
「翔太くんとさ。俺もオフクロの連れ子だったんだよ。だからなんとなく気持ちがわかる気がするよ」

 俺の家は農家でな。親父が死んだのは俺が小学校三年生の時だ。それからは親戚が助けてくれたりしながらなんとか農家を続けてた。俺も頑張ったよ。親父が死ぬときに、お前は男なんだから、お母さんと恵美を守ってくれよ、頼んだぞって言うからさ。あ、恵美っていうのは五歳下の妹だ。
 学校から帰ると遊びに行かずに、田圃に行って草むしりしたり、トマトの脇芽をもいだりしてな。農家ってのは結構やることあるんだよ。
 親戚の紹介で新しい父親が来たのが小学校六年生の終わり頃だ。家を守っていくためにこっちの家に入ってもらったわけだ。
 で、初めて会ったときに俺に言ったわけだよ。「今までよく頑張ったな。これからはもう大丈夫だ」って。それが悔しくってなぁ。

 菅原さんはそこまで一気に話すとビールの缶を口に運ぼうとして、それが空であることに気づき、ぐしゃっと握り潰した。
「悔しかったんですか?」
 その私の質問に菅原さんは答えず、
「この床の下、その端っこの方に箱があるだろう?それ出してくれ」
と津田さんの背後を指刺した。
 津田さんが床の下を覗き込むと段ボール箱があり、開けてみると日本酒の四合瓶が出てきた。
「それ、仲間が持ってきたんだけどな、飲んじまおう。ハハハ」
 私たちはそれぞれ持ってきたステンレスのカップに「南部美人」と書かれた四合瓶から日本酒を注いで、改めて乾杯をした。
 その日本酒は優しい米の旨味が口の中に広がるものの、甘ったるさはなくキレがあって旨かった。私たちは顔を見合わせてニヤっと表情を崩した。
「な、美味いだろう?これが岩手の酒だよ」
 菅原さんは自分が作ったかのように自慢して笑った。
「それで菅原さん、悔しかったって?」
「ん?あ、そうそう、話が途中だったな」
私たちは日本酒の入ったカップを両手で抱えるようにして、菅原さんの言葉を待った。
「俺が家族を守るって頑張ってきたのに、もうお役ごめんだって言われた気がしてな、悔しかったんだよ。もちろん、新しい父親にそんな気がないのはわかってたよ。わかってたけどな、自分の役目を奪われた気がした。でもその方が良いこともわかってた。小学生の自分じゃ満足に稼げないしな。それも悔しかった」
 菅原さんは視線を日本酒が入ったカップに落としたまま話し続ける。

 新しい父親は公務員で役場に勤めてたからもう安泰だ。農地の半分以上を貸すことにして、残りで自分たちが食べる分の米や野菜を作ることにした。それも寂しかったな。オフクロは楽になったって喜んでたけどな。
 新しい父親は良い人だったよ。真面目で温厚で。妹もすぐに懐いてよく遊んでた。でも俺はすぐに中学生になって登山部に入ったからな。長い休みは合宿だ。まぁ、だから入ったんだけどな。なるべく家に居たくなかったんだよ。
 高校に入ったら今度はアルバイトだ。金を貯めて、なるべく早く家を出ようと思ってた。だから大学も東京の大学を選んだよ。まぁ、わざわざ東京まで行く必要ないような大学だけどな。ハハハ。
 生活費は自分で稼いだよ。毎日アルバイトしてな。でも結局、高校も大学も、学費はその新しい父親に出してもらってたワケだよ。それが悔しくもあり、申し訳なくもあった。
 その人のことは嫌いじゃなかったんだよ。嫌いじゃないけど、どうも素直になれない。そんな俺の態度を、オフクロが申し訳ないと思っているのもわかってた。
 そのまま俺は東京の会社に就職した。実家にはほとんど帰らなかったなぁ。就職してからその人と会ったのは、俺の結婚式と、本家の爺さんの葬式くらいかな。
 俺にも子供ができて、仕事も忙しくて、田舎のことなんか忘れてた頃、久しぶりにオフクロから電話が来た。「お継父さんが入院して、もう先が長くないらしい」ってな。
 嫁さんにも「孫の顔を見せてないじゃない」って言われて、息子二人を連れて、何年ぶりかで岩手に帰ったよ。
 喜んでくれてなぁ。血もつながってないのにさ。小遣いも用意しててな、息子二人はすっかり懐いちまった。現金なもんだよな。
 それから俺と二人にしてくれって言うんだよ。それでオフクロと嫁さんは息子二人も連れて病室から出て行った。何か言われるのかと思ったよ。大学まで学費を出してもらって、礼のひとつも言ったことなかったしな。そしたらさ、「すまなかったな」って言うんだよ。「お前から家族を奪ってすまなかった」って。
 もちろん奪おうなんて気持ちがなかったのはわかってる。家族のために働いてくれたこと、俺の学費も出してくれたこと、妹も立派に嫁に出してくれたこと、俺は全部感謝している。それを初めて口に出して、気持ちを伝えようと思ったんだけどな、なんか先に涙が流れてきちゃって言葉が出てこないんだよ。
 そしたらその人が布団からこう、手を出すワケだよ。だから俺もその手を握ったよ。それが冷たくてな。まだ死んでないのに冷たいんだよ。もうすぐ死んじゃうのか、この人は俺たち家族を助けるためだけに人生を費やしちゃったんじゃないかと思ったら、申し訳ない気持ちになって余計涙が溢れてきた。声を出して泣いたよ。でも、ありがとう、ありがとうってそれだけは言えた。

 菅原さんの目に涙がにじみ出し、こぼれそうになっていた。私たちは黙ったまま、その表情を見つめていた。
 突然、菅原さんは我に帰ったように私たちを見て、親指の腹でこぼれそうな涙を拭きながら「悪い悪い、話がそれちまったな」と恥ずかしそうに笑った。
「まぁ、だからさ、無理して家族って形にはめなくても良いと思うんだよ」
「家族の形ですか」
「そう。お父さんがいて、お母さんがいて、子供がいる。そんなふうに役が決まっているなんてことはないんだよ。他人から見てどうだとか、普通と違うとか、そういうことは関係ない。それぞれが互いに思いやって、感謝して、大事に思うことができたら、それが家族なんだよ」
 そこまで言って、菅原さんはカップの日本酒を飲み干した。
「君たちの場合は、お父さんと息子じゃなくて同志だな」
「同志ですか?」
「だってそうだろう?あんたも翔太くんもひとりの女を守りたいと思ってる。同じ志を持っているってことじゃないか」
「そう言われればそうかもしれません」
「それじゃ、それで良いじゃないか。無理に親子だって思わなくたって良いと思うよ、俺は」
 私はふと、翔太くんが津田さんを、お父さんと呼んでいないのはもちろん、津田さんの名前でも呼んでいないことに気がついた。
「そうなんです。大体、ねえとか、あの、です」
「じゃ、まずはそこからだな。ふたりの関係に合う呼び方を決めれば良い。俺も結局、お父さんとは呼べなかったよ」

 翌朝、先に金明水避難小屋を後にしたのは菅原さんだった。
「今度は花の季節に待ってるよ。またここで会おう」
 後ろ姿はすぐに藪の向こうに見えなくなったが、しばらくするとその藪の向こうの登り坂に再び現れた。
「ありがとうございましたー」
 津田さんが小さくなった背中に、そう叫びながら手を振る。
 菅原さんは振り向くことなく右手を軽く振り、やがて坂を登り切ると、雲ひとつない青い空を支えているように見える丘の向こうに消えていった。
 私たちは中沼登山口まで最短距離の直登コースを降るだけなので、三時間〜四時間あれば下山できる。そこで出発前に小屋の中をいつも以上に、綺麗に掃除することにした。
 一階、二階ともに掃き掃除をして、さらに雑巾掛けをする。トイレも夏用、冬用ともに掃除をすると、小屋からも「また来いよ」と言われているような気がした。
 小屋の前のベンチにザックを置き、私たちは小屋を見上げながら別れを惜しんだ。
「また来ます」
 津田さんが小屋を見上げたままそう呟く。私も初めて泊まった時からこの小屋が好きになり、今も通い続けている。
「良い人だよね、菅原さん」
翔太くんも小屋を見上げたまま口を開く。
「そうだな、また会いたいなぁ」
「会えますよ、花の季節になれば。六月の一週目からは毎週来ているはずですから」
「ねぇ」
 翔太くんが津田さんに話しかける。
「なんて呼んだら良い?」
 私も津田さんも、それがすぐに昨夜の私たちの会話を聞いての言葉だとわかった。
「聞いてたのか、昨日の話」
「うん」
「どこから」
 津田さんが小屋から視線を離し、翔太くんを見下ろす。翔太くんも視線を合わせる。
「最初から」
 私は思わず吹き出してしまい、「参りましたね」と津田さんに言った。津田さんもこちらを見て照れたように笑顔を見せた。
「ぼく考えたんだけどさ、隊長はどう?」
「隊長?」
「だって仲間だったらさ、どっちがリーダーか決めた方が良いじゃん。それなら年上の人でしょ」
 津田さんは少し考えていたようだが、受け入れた表情でザックを肩に担ぎながら言った。
「よし、じゃぁ、隊長の最初の命令。怪我をしないで無事に下山すること」
「了解」
 雪解けの小川のように、二人の気持ちが静かに流れ始める音が聞こえた気がした。

つづく


この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?