見出し画像

週末はいつも山小屋にいます#4後編  【船形山/山頂避難小屋】

 標高756mの小ピークを過ぎると、ルートはやや緩やかになり、ようやくのんびりとブナの森を眺めながら歩くことができる。
 昨日に歩いたらしい登山者の踏み跡が続いている。これは助かる。雪山登山で踏み跡があるのとないのとでは、疲労度が大きく違う。
 尾根筋からやや外れてトラバース気味に登っていくと三光の宮。太陽、月、星が刻まれた石碑まで登ってみると、わずかな雲が浮かんだ青空の下、くっきりと栗駒山が見えた。
 今日は穏やかだ。ここでルートは二つに分かれるが、私は迷わず稜線歩きができる蛇ヶ岳へ向かった。

「稜線歩き大好き!テンション上がるよね」
 有希はいつも稜線に出るとスピードが上がった。一緒に歩くようになって一年、私は山歩きにも慣れ、体力もついたのか、有希のスピードにもついていけるようになった。
 それでも稜線の絶景を急ぎ足で通り過ぎるのはもったいない。私はいつも「ほら、ゆっくり楽しもうよ」と言ってギアにを落とさせた。
 言われるたびに有希は、ぺろっと舌を出した。

 付き合い始めて三ヶ月くらいの頃、有希には過去に付き合いをしていた男がいたことを知った。
 もちろん、三十歳を過ぎて付き合った相手がいないという方が珍しいことは分かっている。
 しかしその相手は、有希が過去に所属していた山岳会の先輩だった。
 昔の男に嫉妬してしてしまうことは過去にもあったが、その気持ちはいつも、わずかな時間で消化できた。
 しかし今回はそこに劣等感がのしかかってきた。
 有希の先輩であり、有希にクライミングの手解きをした相手だ。登山初心者の私とは比べるべくもない。
 有希はその男とたくさんの山に登り、達成感を共有していたはずだ。どこの山に登っても、そこには有希とその男の思い出があるように思えて、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
 仕方のないことだと分かりつつも、私は嫉妬に劣等感が絡まった、どうしようにも解けない気持ちに苛まれた。そして自分がそんな小さな人間だということを思い知らされた。
 しかし、有希は私のその気持ちを受け止めて、理解しようとしてくれた。
「ごめんねとは言えない。過去のことだからどうしようもない。でもね、あなたと歩いていきたいの。過去は消せないけど、上書きならできる。たくさんの山を、あなたとの思い出で埋め尽くしたいの」
 その言葉に私は、今の有希にとって、一番大切なのは私だということを実感できた。有希からしてみれば当たり前のことかもしれないが、私を受け止めて、理解しようとしてくれた気持ちに、有希の深い愛情を感じることができた。
 それから、ニ、三の山は、あえて有希がその男と過去に登った山に登ったが、それからはもう上書きをしようという意識はなくなった。
 私はまた、有希との時間を心から楽しむことができるようになった。そしてもうひとつの疑問を有希に投げかけた。
 どうして初心者の私と歩く気になったのか。
「安心できたからかな」
「安心?安心ならもっとキャリアがあって、体力も技術も確かな人の方が安心だろう?」
「違うのよ、そういうことじゃないの。何ていうか、見守られている感じ。最初に一緒に歩いた時、お父さんのことを思い出したな」
「お父さんを?」
「そう。ずっと見守っていてくれて、胸が暖かくなる感じ。だからこれからも山でだけじゃなくて、ずっと見守っていて欲しいな」
 その言葉に、私はたまらない愛おしさを感じると同時に、ずっと見守っていくと強く心に決めたのだ。
 そして半年後、初めて一緒に船形山に登った季節に、私たちは結婚した。

「スコーヤカナルトキモ〜」
「いや、マスター、外国人神父の真似しなくて良いから」
「あ、そう?ごめんごめん。じゃ、やり直すから」
 私たちは、晩秋の船形山のブナの森にいた。ここで結婚式がしたいと言ったのは有希だった。ここなら父親に見ていてもらえる気がすると。マスターに立会人を頼み、三人で黄色く染まったブナの森まで登ってきた。
「じゃ、俺なりの誓いの言葉で良いかな?」
「もちろん」
「お願いします」
 マスターは二、三回咳払いをしてから目を閉じて、やや上を向きながら誓いの言葉を言い始めた。
「元気な時も、元気じゃない時も、いつも相手を気遣い、どんなに苦しいことがあっても、どこかに希望はあると諦めず、二人で手を取り合いながら、人生という険しい山の頂を目指すことを誓いますか?」
「誓います」
 私たちは声を揃えて答え、マスターとブナの森が見守る中、指輪を交換した。
「ほら、まだすることあるだろう」
 そうマスターに促されて、私たちは照れながら軽いキスを交わした。
「おめでとう!」
 マスターの声と拍手が森に響き渡った。
 それからマスターはコーヒーを淹れてくれた。マスターの淹れるコーヒーはいつでも美味しいが、山の湧水で淹れたコーヒーは格別だった。
「どこかに希望はあるって、お父さんの言葉よね」
 有希がマスターに訊いた。
「そう、和樹さんがいつも言ってたことだよ。いいか、諦めるな、どこかに希望はあるって。山で弱気になるといつも言われたなぁ」
「私も言われたよ」
「有希ちゃんの名前でもあるしな」
「え?そうなの?」
 有希がキョトンとした顔をする。
「あれ?知らなかったのかい?希望が有るで有希だろう」
「ほんとだ!気がつかなかった!」
 驚く有希にマスターが、ブナの森を眺めながら話し始める。
「和樹さんはさ、有希ちゃんが生まれた時、すぐに俺に電話してきてさ、生まれたぞ!俺の希望が生まれたぞって泣きながら叫んでた。うるさくて受話器から耳を離したよ、ハハハ。有希ちゃんは和樹さんの生きる意味だったんだよな。だから幸せにならなくちゃダメだぞ」
 有希は黙ってうなずいた。そしてマスターは私に「頼んだぞ」と力強く言い、私もしっかり「はい」と答えた。マスターは頷いて立ち上がり、上を向きながら大きな声で語りかけた。
「和樹さん、有希ちゃん結婚したよ!俺が見届けたからな!これからもずっと代わりに見守ってるから、安心してくれ!」
 ブナの木々が風に揺られて、黄色く染まった葉っぱたちがヒラヒラと舞った。私たちは皆、そこに有希の父親の存在を感じていた。

 蛇ヶ岳に登ると、これから歩く稜線の先に、船形山の山頂が現れる。反対方向には長倉尾根とその先に泉ヶ岳。さらに向こうには仙台市街。月山などの山形の方面の山々も見渡せた。
 そして下を見ると、私たちが結婚式を挙げたブナの森が広がっている。
「有希」
 私は思わず呟いた。

「有希ちゃんね、地震前に納品は済ませたんだけど、老人ホームに戻ったらしいんだ」
 有希が勤めていた介護用品会社の友田社長が「申し訳ありません」と言って頭を下げた。有希の遺体が安置された、陸前高田市の体育館でのことだ。
 有希は海沿いにあった老人ホームに車椅子の納品を済ませ、帰路に着いたところで、あの東日本大震災に遭った。おそらく心配になったのだろう、津波のことが頭にあったのかどうかは分からない。有希はすぐに老人ホームに引き返した。
「津波が来るって言ってね、私たちは入所者さんたちを高台に移動させてたの。有希ちゃんも一度は高台まで来たんだけど、まだ残ってるからってホームに戻ったんです」
 老人ホームの施設長は、ぼさぼさの髪をただまとめて、疲れの滲んだ顔で泣きながら言った。この老人ホームでも五人のスタッフが亡くなり、入所者の犠牲者も十人に近かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 施設長は何度も泣きながら謝ってくれた。私に怒りはなかったが「頭を上げてください」と言うのがやっとだった。
 なぜ戻ってしまったんだという気持ちはあったが、そういう有希だからこそ好きになったんだということが理解できた。しかし、遣り場のない悲しみを、どうにかする術を私は知らなかった。
 私が職場に復帰するまでには一ヶ月という時間を要した。そして私の足は、山から遠のいていった。
 有希に会いたい。
 日々の生活を取り戻し、職場で同僚と笑顔で話せるようになっても、ふとした瞬間にその想いが湧き上がってくる。
 有希に会いたい。
 少しの間、仕事の手が止まる。目を閉じて有希との思い出を反芻する。記憶の中で、生き生きとした有希の笑顔に触れる。そしてまた仕事に戻る。
 有希に会いたい。

 震災から三年が過ぎた五月のある日。私は仕事で宮城県の北部に出かけた。帰りの車の中から、なだらかに横たわった船形山が見えた。
 そしてそこに、なぜか有希がいるような思いに囚われた。
 翌日、私は仕事を休んで船形山に出かけた。
 五月末の眩しい新緑の季節。明るい緑色に輝くブナの森を歩いていると、少し先に登山者が見えた。見覚えのあるウェア。
 有希だ。
 そんなわけはないと思いつつ、私はスピードを上げた。すると、その登山者は立ち止まり、こちらを振り返った。
 やはり有希だった。
 有希は再び前を向いて歩き始める。私はその後ろを追う。足元に気をつけながらスピードを上げ、再び目線を上げると、有希の姿はなかった。
 幻覚か。少し残念に思いながら、再びゆっくりと歩き出す。すると、やはりブナの木の向こうに有希の姿が見え隠れする。
 幻覚でも良い。有希がいる。
 私は再びスピードを上げて有希を追った。三年ぶりの登山で体はすぐに音を上げ、どんどん息が荒くなっていく。たまらず足を止めて息を整える。しかし整いきる前に足が出ていく。
 有希、待ってくれ、有希。
 稜線に出ると有希の姿が見えなくなった。私は頂上の避難小屋へ急いだ。そこに有希はいる、確信のようなものがあった。
 肩で息を弾ませながら、小屋にだどり着いた。焦りを抑えきれずに入口のドアを開けると、果たしてそこに有希はいた。
 登山靴を脱いで、板の間に足を伸ばし、私に向かって、
「もう、遅いぞ」
と言って、あの柔らかく膨らんだ、初夏の花のような笑顔を見せた。
 私はその場に崩れ落ち、泣いた。声を出して泣いた。
 顔を上げると、有希の姿はなかった。それでも私には有希の存在が感じられた。それで充分だった。
 その日はそれから、山小屋でふたりきりだった時のように過ごした。
 シュラフにくるまり、眠くなるまで順番にお互いのことを話す。思いつくままに話す。
 子供の頃に近所のカミナリ親父に怒られたこと、プールで25m泳げるようになった時のこと、小学生の時の初恋のこと。
 有希は私のことを知りたがった。私も有希のことがもっともっと知りたかった。
 私たちにとって、相手のことを知りたいと思う気持ち、自分のことを知ってほしいと思う気持ちが愛情表現そのものだった。
 そしていつも、有希が先に眠りについた。私は有希のおでこに優しくキスをする。その瞬間、私は例えようのない幸福感に包まれた。

 蛇ヶ岳からコルに向かって下る。コルには小さいながらも樹氷が立ち並ぶ。その樹氷の向こうに有希が見えた。
 有希はリズムを刻むように、楽しそうに、軽やかに頂上へ向かって歩いている。

 震災から五年が過ぎると、もう有希への気持ちは整理して、前に進んだ方が良いと、心配して言ってくれる人が何人もいた。
 中には相手を紹介してくれようとする人もいたが、私は全て丁重に断ってきた。
 有希への気持ちを整理する、その意味が私には分からなかった。それが前に進むことだとは思えなかった。そもそも、その気持ちを整理するつもりは全くなかった。

 最後の登り。雪面にしっかりと足跡を刻み込み、一歩一歩、体を持ち上げていく。
 有希はもう登り切って、その姿は見えなくなった。もうすぐ頂上だ。頂上の小屋には有希がいる。

 私はあの時、船形山で有希に再会してから、再び山に登り始めた。
 残雪の月山、ハクサンイチゲが咲き乱れる飯豊連峰の稜線、大朝日岳までの美しい稜線を眺められる以東岳。どの山ででも有希に会うことができた。
 幻覚だと言ってしまえばそうかもしれない。それでも私は、有希が現れるのを心待ちにしながら歩いた。そしていつでも有希は笑顔を見せてくれて、一緒に山小屋で夜を過ごした。

 2023年3月11日の船形山山頂は、青空と穏やかな風に包まれていた。
 初めて有希と登った時のように、蔵王から朝日連峰、月山、栗駒山まで見渡せた。
 山頂小屋の雪は落ち、もうお菓子の家ではなくなっていた。
 有希が待っている。私は焦る気持ちを抑えるように、ゆっくりと息を整えてからドアを開ける。
「おつかれ。フフ、まだまだ私の方が速いな」
有希が悪戯っぽくニヤリと笑った。
 出会ってから、一緒に過ごしたのは、たったの四年半だ。
 しかし、その間にいくつもの山に登り、感動や達成感を共にし、お互いを知り尽くそうと言葉を交わし、時にはケンカもしながら、愛を育んでいった。
 有希はいつでもそばにいてくれる。そして山に来れば有希に会える。その存在を感じることができる。有希が残してくれた愛と共に生きる。

だから私はいつも、

週末は山小屋にいます。

(完)

船形山のブナの森




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?