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【記憶の街へ#3 】H君の背中が揺れていた

幼稚園に入る頃から、中学3年生の終わり頃までの約10年間を、ボクたち家族は小さな借家で過ごした。
家族全員が布団を並べた六畳間。三畳の居間はテレビと炬燵。家族4人が座ると残る空間はほとんど無かった。
居間と台所をつなぐようにニ畳という中途半端な部屋があり、そこにボクと妹の勉強机が並んでいた。
外装は青く塗られたトタンで、すりガラスが嵌め込まれた木の窓枠はサッシではなく、強い風が吹くとガタガタと鳴った。
敷地内には同じ大きさの借家が、広場兼駐車スペースを囲むように12軒並んでいた。

砂利が敷き詰められた広場は子供たちの遊び場で、鬼ごっこや缶蹴り、ドロケイなど、いろんな遊びができた。

子供がいる家が半数以上で、歳も性別もバラバラだったが、年上の子が下の子の面倒を見たりして、ボクたちは仲良く遊んでいたと思う。

一番年上だったのが、ボクの2歳上のH君。
下に妹が2人と弟がひとり。それに両親で6人家族。そして雑種の犬が1匹。
あの狭い家に暮らすのは大変だっただろう。

H君はガキ大将っぽい荒さはあったが、いじめたりするような事はなかったので、ボクたちは彼について遊んでいた。
道路を挟んだ向こうは分譲住宅地で、そこの子供たちと争うこともあったが、そんな時もH君は頼りになるリーダーだった。

やがて彼は中学生になり、ボクたちと遊ぶこともなくなった。
次第に疎遠になり、時々は顔を合わせたが、そんな時も言葉を交わすことは少なかった。
それはボクが同じ中学に通うようになってからも同じで、むしろより遠くなったように感じた。
学校内で見かけても、お互い声を掛け合うこともなかった。
あれはなぜだろう。
ボクはどこか恥ずかしいように感じていたが、それは彼も同じだったのだろうか。
それはボクたちがあの借家に住んでいたからだったのだろうか。

ある日、ボクが学校を終え、冬の関東平野らしい赤い夕焼けの時間に家に帰ると、狭い居間にH君の父親がいて、ボクの父と何かを話していた。
そして、その父親の後ろに首をうなだれたH君もいた。
「その借金のこと、知らなかったんだろう?じゃ、大丈夫だ」
ボクの父はそのようなことを言っていた。
大人の会話の中から、保証人、取り立て、弁護士という言葉が聞こえてくる。
「おい、お前はチビ連れてちょっと外に出ててくんねぇか」
狭い借家の居間と繋がった玄関に立ち尽くすボクに父が言った。
母が妹を連れてきて靴を履くように促す。
玄関の引き戸を開けて振り返ると、H君の背中が微かに揺れていて、声を殺しながら泣いているのがわかった。

外に出ると空っ風が首筋を撫でる。
ボクは一度外したマフラーを再び首に巻いた。
ポケットに手を突っ込んで、当て所なく歩き始める。
夕暮れ時の街は帰宅の人、買い物の人が忙しそうに行き交う。
しかしいつもの喧騒が、今日は遠くで聞こえているように感じる。
「ねぇ、Eちゃんたちどこに行ったのかな?」
妹が後ろを着いて歩きながら、H君の妹の名前を出す。
「どこ行ったんだろうな」
Eはボクとは同級生だったが、なぜかあまり話したことはなかった。
同級生だから照れもあったのかもしれない。
彼女も一緒に家を出たのか。
なぜか学校の教室の、主人を失った机と椅子がポツンと佇んでいる様子が脳裏に浮かんだ。

いつの間にか近所の公園に着いていたので、ボクたちはブランコに腰掛けた。
妹はブランコに立って漕ぎ始める。
ボクはぼうっと地面を眺めている。
H君が泣いていた。
あれだけ頼りにしていたH君が小さく見えた。
それが悲しいのか寂しいのかよくわからなかったが、涙がじわりと溢れてきた。
H君の妹のEはボクと同じ中学一年生だが、その下は二人ともまだ小さかった。
小学校一年生と男の子は保育園だったと思う。
Eはいつも面倒くさそうに妹たちの世話を焼いていた。
これからどうなるのだろう。
彼女は学校も行かずに二人の面倒を見て暮らすことになるのだろうか。
やがて、母が公園までボクたちを探しにきた。
妹はブランコから飛び降りて母に向かって走っていく。
ボクはゆっくりと腰を上げた。

「どうしてるんだろうねぇ」
年末年始の休みで帰省し、正月の用意でボクは母と買い物に出掛けた。
その車の中で、H君一家の話になった。
H君の母親は16歳で結婚してすぐにH君を産んだという。
計算すると、Eたちを連れて家を出た時はまだ30歳を過ぎたばかりだったということだ。
十代の後半から二十代を子育てに費やした。
少し時間ができた合間に始めたパチンコにはまってしまい、借金を重ねるに至ってしまった。
そういうこともあると分かるくらいには、ボクも年齢を重ねた。
しかしなぜ一人で出奔しなかったのだろう。
幼い子供たちを置いて行けなかったのか。
その面倒をEにさせるつもりだったのか。
結局、H君の母親も兄弟も見つかることなく、H君と父親はその後もその借家に5年くらいは住んでいたと思う。
ボクたち家族はその前に引っ越した。
「無口だったけど、真面目な父親だったよ」
母が前を向いたまま言う。
H君の父親はダンプカーの運転手で、家にいる時はいつも白いランニングとステテコだった。
しかし、H君の母親が失踪すると、近所に借金をしていないかを訊いて周り、貸していた人には少しずつ返していって完済したという。
遊びに行っても、ボクたち子供に目を向けることもなかったので、少し怖い印象があったが、話すと秋田弁で、昔の東北人らしい寡黙な人だったのだろう。
H君は高校には行かず、中学を卒業すると就職したはずだ。
Eはどうしたのだろう。
10代後半の真夏の季節をどう過ごしたのだろう。
同年代の女の子たちと、恋の話などをしながら、弾ける笑顔で戯れることはできただろうか。
今はもう、彼らとすれ違ってもわからないだろう。
あれから40年が過ぎた。
H君の家族が揃っていた時の風景は、記憶の街に生きている。




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