見出し画像

【エッセイ】表があれば裏もある

ボクの生活圏にコンビニエンスストアができたのは、小学5年生の時だった。
それ以前は小さな商店街の店しかなくて、夜7時には閉まっていたけど、誰も不便だなんて言っていなかった。
必要なものは足らなくならないように、チェックしたり計算したりしていただろうし、調味料などは足りなくなれば近所に借りにいくというコミュニティもあった。

便利になるように考えたり、工夫したり、努力するのは良いと思う。そうやって人間は進化してきたし、本能でもあるし。
だけど、便利なのは本当に良い事なのか?
時々、言われている事ですけどね。
前述の例で言えば、計算しなくても、なくなれば夜中でも買いに行けば良いのでチェックや計算を怠るようになる。調味料を借りるなんてこともなくなり、その分の人間関係も薄くなっている気がする。
ジレンマですね。

現代の登山ではGPSマップを使うのが常識になっている。ヤマレコやYAMAPというSNSにはこの機能が付いているし、もっと高機能な専用機器を使う人もいる。

道を逸れているか、どっちに向いているかが分かる


これは確かに便利。地図上で、今どこにいるのか、どっちを向いているのか分かるし、あとどれくらいで頂上に着くかも表示されたりする。
常にGPSをチェックしていれば、よっぽど分かりづらい場所でなければ、登山道から逸れる可能性は低い。
メリットばかりのような気もするが、やはりデメリットはある。

便利の裏には「考えなくなる」というデメリットが隠れているようで、それは登山でも同じ。
GPSがある上、SNSにはたくさん登山レポがあるので、登山のハードルは低くなる。
そこには油断も生まれる。
無事に帰って来ることができれば良いが、登山道から逸れてしまった、さらにGPS機器も落としてしまったというような時には、かなり厳しい状況になる。
普段から紙の地図とコンパスを持って歩き、地図と見える風景や地形を照らし合わせて、自分がどこにいるか意識していれば、かなり状況は違う。ここから北西に500m登れば登山道がある、というような判断もつく。
つまり、便利さや豊富な情報があるが故に、遭難につながるということ。
だから、山での遭難は危険度が高い山より、油断しがちな低山が多い。

ボクは、この世にメリットしかないということは何もないと思っている。
表があれば裏もある。
登山道がない藪を苦労して歩くのは、側から見れば理解し難いかもしれないが、達成感は大きく、それは自信や自尊心につながる。
ボクにとってはメリットの方が大きい。
今住んでいる家も、目の前まで車は入れないし、坂の上にあって毎日階段を登り降りしなければならないけど、その分トレーニングにもなるし、良い風景も見られるし、何より家賃が安い。
デメリットを受け容れれば、大きなメリットになったりする。

そういえば、最近は同じような考え方をする人が増えてきたように思う。田舎に移住する人とかね。若い人が多い。
そろそろ「便利さ」に関しての転換点なのかもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?