矛盾

タイプ8は、エニアグラムの中でも、「ゴリゴリの個人主義者」です。

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8w7は独立した人とも呼ばれている。にもかかわらず、なぜリーダーをやりたがると言われているのだろうか。矛盾していないか、と私は思う。



全員が全員リーダーをやりたがるわけではない


8にとってリーダーになるということは、仲間に対しての責任を負うに等しい。だから彼らが傷つけられたら怒りを見せ、身を挺して守ろうとするし、率先して前に立とうとする。相手のことを好ましい・または大切だと思わない場合、リーダーになるデメリットが大きすぎると私は考える。どうでもいい人間のために、なぜそんなことをしなければならないのかと。
例えば、クラスで理不尽ないじめが起こっていたらムカつくので私は仲裁に入る。その子のためにリーダーをやることも厭わない。しかし、学級委員などクラスのリーダーをやりたいかと言われれば、教員に使われる立場になるから絶対にやりたくないと答えるだろう。何とも思っていないクラスメイトのために責任を負うのも御免だ。それに、予め用意された優等生のためのポジションに意味もなく収まるのは、なんだか癪である。リーダーになることにより自分の行動が制限され、皆の手本になるような行動を求められるのであれば、自分の独立性が損なわれると私は感じてしまう。自由と責任がセットになっていない場合、そして自らの意志がそこに絡まないときは、リーダーを本気でやりたくない。

以上のことから、力を示すためだけに8がリーダーをやるのは不自然だと個人的に考えている。

少し話は変わるが、8はビジネス志向だと本によく書かれているのを見るが、私は個人差があると考えている。

たとえば、タイプ4だからといって全員が全員芸術を好むだろうか。芸術を創造する側なのだろうか。同じことが8にも言えると思う。

私はビジネスにほとんど興味がない。むしろ働きたくないとさえ思っている。私のような8ももちろんいるだろう。現にヒプマイの波羅夷空却は自分がやりたいとき以外寺修行を拒んでいるし、ルルーシュは社会に組み込まれるのは仕方ないと1話で発言していた。

共通点は二人共トライ2持ちで自己保存盲点だということ。

こちらではso優位のタイプ8はリーダーを拒むとはっきり書かれている(本人談)。


リーダーとして


成熟した8であれば、個人の感情や価値観に配慮するのではないかと私は考える。統合先が2であるし、何より相手に歩み寄る姿勢を見せないリーダーになんて誰がついていくものかと、反骨精神旺盛な8は思うことだろう。というのも、8は小さい頃スケープゴート扱いされた過去があるため、理不尽にはねのけられてしまうことの辛さを誰よりも知っている(スケープゴートの記載に関しては、エニアグラム実践編を参照)。だから、そんな風に他者を扱ってはならないと日頃から感じている。
合理だけ求めて心に配慮しないのは逆に非合理的だと考える8もいるかもしれない。使えるものは何でも使い、その人に眠る可能性を引き出す。それが8のNeでもある。それができない場合、自分が無能だと感じてしまう。適材適所を見極められなかった自分の落ち度だと。そうして8は下の者の責任を全部自分が負う。責任を負うことを好む。それが独立の証拠でもある。人を育て、成長を見守ることに8は喜びを感じる。
また、成熟した8は人を動かす術を心得ているはずだ。理論だけでは人は動かないと知っているからだ。必要なのは納得を生み出すこと。心への配慮を疎かにしない。


表面だけを見ないこと


エニアグラムは恐れや囚われに由来する。リーダーをやりたがる、ビジネスで独立したいなどの表面的な特徴だけを見て判断しないことが大切。

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