見出し画像

「左利き」で生きる勇気

2024年4月1日。
私は、MBAや社会人教育の機会を提供する「GLOBIS」から、ウェディング業界のスタートアップである「CRAZY」に転職しました。

「どうしてウェディングなの?」「どうしてその会社なの?」とたくさん質問を頂きましたが、そこにはずっと抱えてきた葛藤があって、きちんと伝えられていませんでした。

「教育の次は愛だと思って」とはぐらかした皆さん、ごめんなさい。笑

でも正直に言って、これを書き残すことには勇気が要りました。
でも、私を育ててくれた人たちに、ちゃんと伝えたかったんです。
みんながいたから、ここまで来れたんだよ。ありがとう、と。

そして、もしこれを読む人の中に、自分の「願い」と「恐れ」の間で葛藤している人がいるならば、小さな勇気になってほしい。
そう思って、このNoteを公開することにしました。

少しでも何かが皆さんの心に残りますように。

Inteviewed by 大野雛子
Photo by kuppography & Shu Ishihara


「人の可能性を広げる」ことに強く燃えられると気づき、グロービスへ

 新卒で総合商社に入ると決めた時は、自分がやりたいことはあまりわかっていなかったんだと思います。周りの友だちからは「意外」とか「なじめるの?」という声があがってましたし。(笑)でも、大学の同級生にも商社を志す仲間がたくさんいたし、留学時代にかっこいい商社マンにも出会ったことがあり、最終的には商社に入ることで落ち着きました。

 ただ、商社勤務時代は配属が想定外のバックオフィスで、熱中できていると感じられない会社と自宅の往復に悶々とする日々を送っている時期が長かったです。一方で、仕事の傍らではじめた就活支援のコーチングやシェアハウスの仲間のおかげで、徐々に会社に依存せずに、自分自身で人生のオールを漕がなくてはと思うようになりました。

シェアハウスの仲間と過ごした最高の日々・・・?(笑)

 多くの人をコーチングしながら気がついたことは、自分は「人の可能性を広げること」に強く燃えるということ。こんなにも燃える領域を見つけられたのに、目を背けて環境を変えないでいることはできないと思い、「本気でやりたいことがあるなら、そこに向かおう」と決め、転職先として選んだのがグロービスでした。

 大学院や研修を通して社会人の方々を日常から離すようなサービスを提供しているグロービスであれば、「人の可能性を広げること」に携われるのではないかと希望に満ち溢れていたのを覚えています。

多くのポジションを経験しつつ、ショックなフィードバックを受けたことも

 グロービスで経験を積んだ日々は、本当に充実していました。僕が次の挑戦にチャレンジしようと思えるのは、この5年があったからです。どんなことにも挑戦できると思えるように、そして、人生において何を大事にしたいのかに気づかせてくれた職場でした。「人の可能性」を信じていて、「人の夢を笑わない」素晴らしい人たちが集まっています。グロービスという会社に出会えたこと、僕を迎え入れてくれたことに心の底から感謝しています。

 グロービスにいたのは5年間。入社当初は法人営業を経験させていただき、目の前の悩みを抱える企業の人事の課題をどう一緒に解決し、想いをどう実現するかに燃えました。

 その後、新規事業室に異動し、開発以外のあらゆるポジションを経験させていただきました。正直に、誤解を恐れずに書くと、いつだって僕は結果やアウトプットされるプロダクトや施策よりも、そこに至るまでのプロセスが一番楽しくて、「人の可能性」がその先に見えるような、誰かと向き合っている時間が一番好きでした。

 悩みを抱える人事の方々やメンバーと共に難題を解き、1on1を重ね、一緒だからこそ気がつける課題を見つけ、一緒だから形になるものを作り出すことに夢中になっていました。

大好きな仲間たちと仕事ができたことが何よりの幸せでした

 ずっと順風満帆だったわけではありません。事業を前に進めることにチャレンジしたいと考え、新規事業のリーダーを任せていただいたときのことでした。

 リーダーに就任して2週間後、事業責任者に「結構いい感じです」と伝えたところ、「実はメンバー全員からクレームが入っているんだけど」と切り出されます。その時はもうショックで吐きそうで、空を見上げながら事業責任者の話を聞いていたと思います。でも、その後湧いてきた感情は「ありがとう」という気持ち。信じてくれているから、強いフィードバックを伝えてくれるんだと感謝して、気持ちを切り替えて次に進みました。

 「人の可能性を広げること」に関わり、企業の課題解決や新規事業の推進と、本当に大変でしたが、大好きな仲間とともに働けるのは面白かったですし、自分らしく働いていたと今も感じられます。

社内外で特に支えてくれた仲間たち

 もうひとつ、グロービスにいたことで得られたことがあります。
「人は変われる」と感じられ、感謝をもとに生きることができるようになった経験について、書かせてください。


父親とのわだかまりを溶かし、「変われる」自分になれた

 グロービスで働く中で人生の恩人と出会いました。先述した事業責任者の方です。僕が悩んだ時には、めちゃくちゃ忙しいはずなのに飛んできてくれて、相談に乗ってくれるような人です。僕のことを本当に深くみてくれていました。

 ある時、ふたりで焼き鳥に行ったときに「5年後、どうなっていたい?」と聞かれました。「事業開発のチームリーダー的な役割ができたらいいですね。」なんて答え方をしたら、「そんな小さなことは1年後にだってできる。いっしーの可能性はそんなに小さくない。自分の可能性を小さく見積もるな。」と言われました。彼はそんな事をしっかり伝えてくれる人です。

可能性の芽を絶対に見出す彼に引き上げてもらいました

 新規事業室で働き始めて1年目のことでした。1年間の総合的なフィードバックが年度明けにあるのですが、彼から「お父さんとしっかり向き合ってほしい」という言葉が出ました。仕事に繋がるフィードバックじゃないように聞こえて、正直驚きました。「いっしーが抱えてる問題は、お父さんとの関係性からきているものだと思う。」と、彼は言うのです。

 父親とのわだかまりや葛藤から、自分が心から望んでいない行動が出ている自覚が心のどこかであったからこそ、その言葉から目を背けられませんでした。

 彼からのフィードバックがあった年の父の日、僕はそれまでの思いを込めた長文のメールを父親に送ります。

「あなたが期待した人生じゃないと思うんだ、ごめん。でも僕は今の人生が本当に楽しくて、幸せに溢れている。」そんなことを書いて、送信ボタンを押したと思います。でも父親からの返事は自分が思ってもみなかったもので、「辛く当たってきてごめんな。今は自分が想像もしない人生をお前が歩んでいることを誇りに思うよ。」というものでした。

 一番の恐怖の対象、一番理解してくれない人が自分を理解してくれたことで、すべてが解放されたように力が抜けました。翌日から世界が違って見えてしまうほどには。深い愛ゆえだったんだと思えるようになり、今は心の底から感謝をもとに生きられるようになった自分がいます。

結婚式で交わした握手

 中高生時代、社会人生活を経て「大人になると、変わることができないのだろうか?」と思い続けてきました。しかし、グロービスでは変化し続ける人に恵まれ、何歳でも人は変わることができると感じられる経験を得たことは、何ものにも代えがたい大切な宝物です。

 愛情の塊のような大好きな事業責任者、大好きなチームで何も不満はないけれど、僕はさらに前に進んでいくために、環境を変えることにしました。

新たな道へ。

「優秀であり続けたいなら、うちには来ないで欲しい」

 今回、転職のきっかけとなったのは、なんと「結婚式」です。パートナーと選んだ結婚式場は(株)CRAZYが運営するIWAI。結婚式開催に向けて打ち合わせを進めていたところ、スタッフのひとりから「うちにきませんか?」と言われました。

 僕はあまり真剣に受け止めていませんでしたが、パートナーにそう言われた打ち合わせの帰り道に「合うと思うよ」と言ってもらったんです。そこで、CRAZYのホームページにあがっているパーパスを見てみると、「まさに僕の人生と重なっている...」と驚きました。自分が会社をやるとしたらこんなパーパスにするとイメージしていたものとほとんど同じでした。(笑)

一度読んだら忘れられなかったPURPOSE

「人と人が分かりあった先に本当の変容がある」と信じる僕にとって、まさにCRAZYはぴったりの会社だと確信しています。

驚かれるかもしれませんが、その後10回以上の面談を重ねました。社長面談の直前の面談で、採用担当の方から「いっしーさんは優秀であることを大事にして生きてきましたよね。それも生き方のひとつだと思う。でも優秀であり続けたいと願うなら、うちには来ないで欲しい。」と伝えられます。

その時はじめて、自分自身がこれまで、理解してもらうために優秀であろう、魅力的な人であることで誰かと繋がり続けていられると考えていたことに気がつきました。いや、ずっと前から気がついていたのかもしれないです。

「でも、いっしーさんが心から願っている事に対して、泥臭くても向かっていきたいと思うのであれば、私たちも一緒に歩いていきたい」という声をかけていただきました。この時改めて自分自身と向き合い、自分の奥底の願いや価値観に沿って生きていきたいと強く思いました。

一人の人間としてどう生きるのかを問われる日々でした

これからどう生きていきたいかが左手、これまでの生き方が右手

 これまで一緒に働いた人や友達によく言われることは「とにかくコーチャブル(自ら変化ができること)」。フィードバックを感謝して受け取って、吸収して変化していくということが僕の武器だと言ってくれる人がいました。

 それは、変われない人をみてはもったいないと感じ、心の根っこから「変われないことが嫌だ」と思ってきたからこその生き方だったと思います。

 みんなの期待するような優秀な人間でいたいというのがモチベーションだったからだと思うんです。でも、その考えを手放した今、コーチャブルさは持ち続けながらも、すべてのフィードバックを受け取らなくなった自分がいます。

 今は、取り繕った自分ではなくて、「自分」で生きるっていうことをしたい。優秀な自分じゃなくても、人と人はちゃんと深いところで分かり合えると証明したいと思えるようになりました。

 最近はCRAZYの社長の森山さんからいただいた言葉をもとに、これからどう生きていきたいかが左手、これまでの生き方が右手(利き手)と考えています。利き手じゃない方はぎこちなくなってしまうし、うまく使いづらい。利き手は頭を使わなくても自然に使えてしまう。でも僕は左手で生きていきたい。これまでの利き手も生かしながら。まだぎこちなくても、新しい生き方を選んでいきたいんです。

不器用な私で。
(大好きな弟が撮ってくれたお気に入りの1枚)

 ここからはまた新たな挑戦が待っています。
自分が一番恐れていながらも、実現したいことに向き合うからこそ、嬉しいことも悲しいことも2倍で感じるような、そんな毎日になると思います。

 でも仲間がいる。だから大丈夫。

 「寝ても覚めても向き合いたい」と感じるようなテーマを、在りたい自分で生きていこうとする仲間たちと追い求めていく。その先で事業を通じてどんな価値を世の中に届けられるのか、どんな自分の新たな可能性に出会えるのか、ワクワクしています。

入社式で仲間たちと

<インタビュー後記>
 はじめましてとは思えないほど、朗らかで柔らかく、だけど燃える心が垣間見えるように、自分のことを開いてくださる石原さん。人の可能性を信じているのだと嘘偽りなくまっすぐに仰っていたけれど、それ以上に石原さんが自分自身の可能性を強く信じ、前に進んでいるから、その姿が言葉により確かさを持たせるし、誰かの背中を押すのだと思う。

 大人になればなるほど、自分自身を知った気になるし、核が確立されたような気がしている。変化は減っていくと思っていたし、大きな変化を選ぶことは、学生時代と比べたら減るように割り切っている人も多いのではないか。石原さんは、インタビュー時に韓国へ短期留学していた。ノリと勢いで決めたという。

 自分にとことん素直で、十分すぎるほどには「変われる大人」だと思った。自分ととことん向き合いつつも、人の言葉にもしっかりと耳を傾ける。インタビューと執筆を重ねれば重ねるほど、コーチングをしていただいたわけではないのに、じんわりと私が救われた気がする。

退職・転職おめでとうございます。
石原さんも、読んでいただいたみなさんも、素敵な春をお迎えください。

大野雛子

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

これからは「心が願う方へ踏み出す勇気を渡したい」と思っています。
転職というキャリアチェンジを前にする方々に、魂を込めてコーチングを届けていきます。

「ここまで本気で仕事に向き合ってきたけれど、ここでキャリアチェンジを見据えている」という方がいらっしゃれば、こちらのフォームにてお声がけください!(初めましての方でも大歓迎です!)

この記事が参加している募集

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?