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変転する時代と大学と研究者

タイトル:知のたのしみ 学のよろこび
編:京都大学文学部

2003年発刊。京都大学文学部の先生方(一部他大学)が、自分の研究や興味あることについてのエッセイを集めたもの。

内容は実に多彩で、哲学を取り扱った難解な内容から、研究の楽しさを伝える文章まである。それでも、共通して流れているのは、リゾート地特有の時間とは違う、ゆっくりと流れる時間である。当時の研究者が、のびのびと研究をしていた様子がうかがえる。
2004年に、国立大学が法人化されたのだが、本書が、その直前に発表されたのは興味深い。
エッセイの中には、国立大学法人化について言及しているものもある。例えば、「放浪と学問と人生」を書かれた徳永宗雄さん(1944-2016)は、文章の最後で、このように述べている。

(自分の授業を受講した理学部生の感想を受けて)
「教養とは本来そのようなものであり、大学はそのような、なんともいえない知的経験をする場として存在している。実用教育は専門学校に任せておけばよいのである。平成十六年度に国立大学が法人化されるが、法人化されると、新鮮な知的経験をする場としての大学本来の機能が失われていくような気がする。中期目標や中期計画に基づいて行われる研究から、なんともいえない経験が生まれることはまずないだろう。」

「放浪と学問と人生(徳永宗雄)」より

本書の最後の紀平英作さんのエッセイは、国立大学法人化について、どう考えていくべきかを取り上げている。法人化に反対する先生方の意見に理解を示しながらも、大学が市民によって成り立っていることから、なぜそれが求められているのかを考え、しっかりと話し合いをするべきだ、としている。(また、外部に対しても「社会に役立つ」ということが幅広い意味を持つことに注意するべき、としている。)

更に、あとがきでは、「本書は、このような人文学の意義についての反省の試みの流れのなかから生まれた」とある。グローバル化や日本の長引く不況の中、大学自身も大きく変化している状況下で、研究者が何を考えてこれらの文章を書いたかを想像するのも、また楽しみだろう。

国立大学法人化から20年近く経つ。研究者を取り巻く状況は厳しくなり、人生設計ができない者、優秀が故に研究を諦め、就職する者もいる。また、教員であっても、研究や授業以外の業務に忙殺されるという。しかし、これらは、社会が大学に変化を求めた結果なのかもしれない。
先生方が紹介される「人文学(哲学、文学、歴史、社会…)」の面白さを楽しみながらも、その裏にある、急激な社会の変化を想像せずにはいられない、一冊であった。

最後に個人的に面白いと思った文章をいくつか挙げておく。

  • 人文地理学における「工作」の楽しみ:田中和子

  • ある演習のひとこま:川添信介

  • 放浪と学問と人生:徳永宗雄

  • 売りに出された哲学:福谷茂


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