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僕は知らなかった。一人ではなんにもできないことを。

僕は知らなかった

一人ではなんにもできないことを

でも僕は気付かされた

僕だからこそできることを

その背中には挫折と希望が入り混じっていた


Part 4. ネパールが教えてくれた僕の生きる道

2015.4.25

朝から衝撃が走った。

マグニチュード7.8
死者数1万4000人

忘れもしないネパール大地震。

休学という覚悟を決めた矢先の出来事。

学校建設どころじゃない
支援対象の子供たちは無事なのだろうか?

幸い現地のスタッフを始め、支援対象の村でも
地震で知り合いが亡くなることはなかったが
このパニックな状態で学校建設は進めることができない

緊張が走る中、今僕たちにできることは何だろう

居てもたってもいられなくなり
当時、ネパールを支援する関西の学生団体が集まり
とにかく義援金を募るべく街頭で声をあげた

ただただ日本から応援することしかできなかった

学校建設も進めることができず、
歯がゆい休学生活の4か月を過ごした


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2015.8

現地の状況もつかめない中での渡航

僕にとっては1年越しのリベンジ
はじめてのネパールだった

そんな初めてのネパールは
地震の爪痕がたくさん残っていた

インフララインが断絶

道もあちこちで亀裂が入り
日中は計画停電

少し生活は取り戻してきたものの
まだまだ完璧に元の姿には戻っていない様子

そんな環境で僕は休学の残り半年を
ネパールで過ごそうと決意して臨んだ渡航だった

2か月後。。。

飛行機からネパールの街並みに手を振る自分がいた
自分の無力さを感じていた

なぜ僕は帰国することになったのか?
ネパールの村で過ごした日々がそうさせた

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2015.9

僕は学校建設をしている村に居た

はじめて来た時は本当に感動した

首都からガタガタ道を通り8時間
Wi-Fiも通らない山の中
群がってくる生徒たち

率直に感動した

僕はなんてところにいるのだろう

まさに僕が応援したかった人に会えた
そんな人たちと一緒に生活して
僕にもできることはないか

一緒に勉強したり
一緒に農業したり
一緒にご飯を食べたり

そんな生活に心躍らせながら
村で過ごした1週間

僕が求めていたワクワクはそこになかった

ネパール語も話せない
勉強も教えれない
農業の仕方もわからない
学校の建て方もわからない

あれ?
自分は何がしたかったのだろう?

このままここに居て何ができるだろう?

僕が活躍できるフィールドはここにはない

でも目の前の子たちは幸せにしたい

そんな子たちのためにできること

僕の得意なことはなんだろう?
僕が学校建設のために
ワクワクしていたことはなんだろう?

思い返せばいつも僕の周りには仲間がいた
このワクワクを伝え、仲間を集め
その仲間に刺激されここまでこれた


世界の前では何の役にも立たない人間だと気付かされた

ましてや一人では何もできないことを知った


でも一人でも多くこのプロジェクトに巻き込むことはできる


ここに滞在していても
僕ができることはないと気づいた時には
日本に戻って活動することを決意した

飛行機の中
夜明け前の空を窓から眺める僕

挫折を味わい
日本へ帰る僕の背中は
どこか寂しくも
自分の役割が少しづつ
見えてきているような
複雑な気持ちだった

つづく

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