嵐にハマった思い出があることに感謝

嵐の活動休止を知ったのは嵐ファンの母からのLINEだった。びっくりした。

そんな気がしてた、そうかぁ良かったなぁ、というのが最初の感想だった。

年末に帰省した際、ちょうど母とそんな話をしていたのだ。嵐のこれからの活動や解散の可能性などについて。なんにせよオリンピックがあるから2020年まではということになりそうだね。アイドルだからとそこまでさせてしまうのか、気持ちはもつのか、もっと自由にさせてあげたらいいのにね、など。

もう嵐としての番組観れないのかぁと少し残念だけど、悲しみに打ちひしがれるということはなかった。そうかぁ、そうなのかぁ、あと2年あるし心に焼き付けよう、くらい。あとは自分が一番嵐にはまっていた頃のテレビ番組や好きな曲のことを考えたり。

だと思っていた。

今日、『ミュージックステーション』で嵐が歌う姿を観ていたら、「翔くんの目が会う感じの歌い方、あの頃と変わらない」「みんなの目もうるんでいる」「まだキラキラしてるなぁ」などと浮かぶと共に泣けてきた。

私はいまいち自分の感情の動きに鈍いところがあり、その場で反応出来ないことがある。幼稚園の卒園式、先生に抱きつきワンワン泣く子を「泣いてるなぁ」と見ていたのだが、母と二人になった帰り道にようやく涙が出てきて、静かに涙をぬぐいながら歩いた。

今日もなんだかようやくという感じで泣けてきたけれど、悲しいわけではなくて、めちゃ感動したわけでもなくて。「あぁ、そんなときがあったのだ」ということと、どうしても連想するその時期の出来事にもただ涙が出てきた。

私にとっての“あの頃”を思い出す。あのとき、どん底かもしれない一人暮らしていたとき、私は確かにこの人達の存在に支えられていたなぁって。生活を小綺麗を保ち、どこかのんきな思い出にできたのは、強い楽しみがあったからなんだろうって。

新しいCDの発売が楽しみで、いつも初回限定版を買っていた。そのうち人気が爆発しすぎて初回限定版は買えなくなり、嵐メンバーの主演するドラマが続いてCDの発売やテレビを追いかけるのに疲れ、自分が忙しくなったのもあり、徐々に離れた。

今も応援しているけれど、一時のような激しいエネルギーはない。それでも夫に少し話しただけでうんざりされるくらいの情熱はあり。

書ききれないエピソードがある、そんな人生の一部分。嵐のファンでいた時間、たとえば10年が生涯の十分の一になるくらい長生きしたとして、それでもその時間をよき思い出として大事に持っていたい。そのためにこういう形になったと考える。

活動休止の先も楽しみにしている。応援している。



※気持ちは熱いうちに書かないと、と勢いで書いた。時間が経つと記憶が薄れ、変わってしまう。

※嵐は一人暮らしになった母も支えてくれて感謝。母が心配なので、今のうちにビデオを撮りためDVDを入手するなどしたほうが良いかもしれない。

※どん底…仕事を辞めて試行錯誤していた時期。

※ちなみに私は相葉くんファンです。母はニノのデビュー前からのファンです(演技が上手いの、と好んで見ていた)。

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