聖徳太子〜規矩(きく)と99

九は苦しみを連想させると毛嫌いされる数字。
このイメージを生み出した人々がいる。
よっぽど9が怖かったのだろう。

九進法では、九は消される数字。
八のつぎは十である。
伊邪那美は九進法の循環の世界を象徴する存在で、
白山ククリヒメは、九を消した存在であり、
新たな九をつくった存在である。
九そのものであり、十進法の世界に存在する九にもなる。

十進法では10は10。9は9。
九進法では10は11である。9は10。8は8のまま。9は消える。
それがどういう意味になるのか。
拡大の概念ではなく、循環する概念といえる。
9は8と10をつなぐ橋渡しの存在。9は0。
数字を円の軌道に乗せた。
九十九はただの円ではない。
拡大する渦である。10進法の良さと9進法の良さを掛けた。

聖徳太子像が何故、規矩(きく)をもつのか。
何故、厩戸皇子と呼ばれるのか。
何故、長野に善光寺をひらいたのか。

厩戸
馬は、風の象徴。
射手座は、半人半馬のケイローンが矢を引く姿であるが、矢も馬も風の象徴。変化を運ぶもの。
射手座は銀河系の渦の中心である。


聖徳太子は鵺、風(海人)の一族の人であろう
天文学と気象の計算など論理的思考に秀でていただけでなく、ずば抜けた感性も持ち合わせていたと思う。

規矩はコンパスとさしがね。

聖徳太子は、一族の秘匿の技術を規矩に込めた。

さしがねの角目は表の目盛りの1.414倍単位で振ってある。
つまり、表の目盛りに2の平方根を掛けたものに等しい。
これは、正確な45°を作成するために使われる。
また、角目で丸材の直径を測れば丸材からとれる角材(断面が正方形)の最大幅を求められる。

丸目は、その長さを3.142倍すると表の目盛りになるよう振ってある。
つまり、表目は丸目の目盛りに円周率を掛けたものに等しい。
丸目で丸材の直径を読めば、その丸材の円周の寸法が求められる。

ほかにも幾何学的な応用によって三角関数を計算できるため、直角で無い角度をもつ柱や屋根の傾斜などの組み合う長さを求めることも出来る。
角度の計算、円の計算、関数も計算できるとは、一種の自動計算機である。

そして、一族の歴史を戸隠に隠して、仏教で蓋をした。

日出ずる処の天子の示す日は太陽ではない。
日である光は、明けの明星と月。天子は海人の子。

度量衡は、国家の基盤である。
長さの単位、計算技術、暦、言語は国家の基準となる。
国際情勢と照らし合わせて、統一の基準を使う事が求められた。もはや、時代は10進法。
いつまでも9進法でやっていたら、国際的に遅れをとる。そんな危惧を抱いたのだろう。
何だか明治政府のようである。
日本は二度大きな失敗をしたのである。

殷の暦法は太陰太陽暦であったが、高度な計算を用いたものではなく、自然を観察しつつ適宜ずれを修正するような素朴な暦法であった。

季節のわずかな変化を察知する感性と、それを科学的に観察する力が必要とされた。
変化をもたらすものは風。
空気の温度・湿度、風の向き・風速、雲の動きをつぶさに観測した。
人間の感性だけでなく、動物の感性にも頼っている。
24節気にその視点が導入されている。
24節気をさらに3分割した72節気。
「雉入大水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる)
ありえない話と笑うことは簡単だが、これは、11月17日から21日。
刺すような冬風を雉に見立て、それにより冬の蜃気楼が発生する様を伝えている。
蜃気楼はかつて大蛤が引き起こす現象と言われた。

「腐草為蛍」(枯れたる草蛍となる)6月11日か15日だが
ヨモギを干してモグサとすることだろう。
モグサにするヨモギは初夏の大きな葉が良いそうで、それを乾燥させ、モグサをつくる。
モグサは着火剤としても利用される位、火がつきやすい。その小さな火の灯火を蛍に見立てた。
丁度、蛍が飛ぶ時期であり、蛍に重ねたのだろう。

古代の人々は万事自然現象の「見立て」を行っていた。
それだけ自然と共にあった。
非科学的な話と解説されているが
本来の意味を感じる感性があれば、その表現の豊かさに感嘆するしかない。

この感性こそ、自然と共に暮らす人に不可欠な力だった。
四季の移ろい、風や雨を様々に表現し、微細な違いを区別した。そして暦を作り上げていた。

聖徳太子はただ国際化を推し進めた訳ではない。
規矩に希望を託した。
一族の99の知の全てを規矩に込めた。
日本の建築技術の特徴は曲線美にある。
これを可能にしているのが、規矩術。

ただ国際化に走ったわけではなく、守りたい技術を秘匿の規矩術に込めたのである。
残したい日本の宝、99理。

守る為に、一度封印したものを、今度は活かす為に、解放する時がきているのではないだろうか。












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