浦島子伝説ー亀と海神の娘

浦島太郎の物語の原型は、浦島子伝説にあり、

古くは、

亀=海神(ワタツミ)の娘、

竜宮城は常世の国である蓬莱とされる。

蓬莱は、中国最古の地理書『山海経』の「海内北経」に、「蓬萊山は海中にあり、大人の市(蜃気楼)は海中にあり」と記されていて、仙人が住む場所とされる。

さて、海神が綿津見と当て字される意味を読み解く事がこの昔話の重要なポイントとなってくると考える。

綿津見

綿は真綿の事である。

絹の一種で屑繭から作られる。

この真綿の津(港)を見下ろす場所ー山で

蚕を飼って、生糸を作り、機織りする女性達。

長野県安曇野は何故、安曇野なのか。

古事記では阿曇連は綿津見神の子、宇都志日金命の子孫なりとある。

安曇野に阿曇氏が入ってきた年代については諸説ある

が、いずれにせよ、海神と深い関わりがあるのは確かなのである。
長野県松本は、日本国内で日本海側、太平洋側どちらにも四方に川を伸ばす水源地となっている。

古代日本において、海と山を結ぶ川ー水運が交易の中心であった事を考えると、

実は、海神が山神でもあったとは考えられないだろうか。川の上流で水の源を牛耳っていた人々。

それが綿津見ー海神。

山の山頂は、天上界ー神の暮らす場所。

神ーカムイー亀

恐らく、天上界の娘である織姫。
川を下って、港に到着し、浦島太郎と出会う。

浦島太郎は、海流であり、交易ルートを開拓した。

亀がウミガメならば、太平洋側の海洋圏でのルート開拓であろう。

ウミガメの産卵場所は太平洋側千葉より南に限定されるのだ。

これは海流が関係する。

親潮、黒潮の交わる千葉銚子付近は海流がぶつかりあい、どこに飛ばされるか分からない。

これは、古事記の大国主の物語、
海幸彦山幸彦の物語に関わっている。        
静岡磐田は天之磐船と深く関わる。

長野の山奥から金を運び出した。

そして太平洋側西日本に交易ルートを作った。

大阪に巨大な港ができる。

これは、経済都市となり、莫大な富が集積された。

古墳時代は、この富の集積により誕生したのではなかろうか。

積石塚の存在と金の採掘がセットになっている。

金の採掘によって排出された大量の石の処理の役割を積石塚が担った。

一方で、日本海側にも古くから交易ルートは存在していた。
対馬海流、リマン海流、季節風の力で日本海側は

小さな円で上手く循環していた。

高天原の人々が、近頃地上が騒がしいと憂いた時、

もはや地上は、経済中心世界に変わっており、

山奥で暮らす生活は不便と見なされるようなっていた。

故に天孫降臨となるのである。

ここで、注意しなければならないのは

天孫降臨の場所である。

瓊瓊杵命は、高千穂に降りたつ。

九州の高千穂ではない。

高千穂は恐らく地形に与えられる名称だろう。

全国的に存在する可能性は高い。

だが天孫降臨の高千穂は、立山連峰。

長野県安曇野と隣り合わせの富山県。

大国主と奴奈川毘売との逢瀬の物語は

立山連峰、糸魚川との関連性を示唆しているが

大国主は日本海側ルートとも同盟を結んだ。

後の渤海航路にあたる。

大国主の父は天之冬衣神

つまり日本海に冬に来る季節風を指す。

この季節風を利用した交易航路が確立された。

奴奈川は糸魚川、翡翠の産地でもある。       絹や翡翠が日本海側の主な輸出品となる。

長野県の積石塚は渡来人との関連性が明らかにされている。

邪馬台国に記される伊都国は、九州ではなく、長野県安曇野にあり、安曇野は海神ー綿津見の織姫らが住む神聖な場所であった。

そう考えると、古事記の海幸彦山幸彦(火遠理命と火照命)の話しも腑に落ちはしまいか。

山幸彦は塩椎神に海神の宮に行くようアドバイスを受ける。塩椎神は塩の道、海岸から山奥へと入っていく。

長野新潟県にまたがる頸城三山。

妙高、戸隠、焼山などある場所で、温泉地である。

伊邪那美の住む黄泉の国、黄泉比良坂(よもつひらさか)は何処か。

硫黄の黄であり、黄金の黄、よもつは四方津、塩津。

つまり、この頸城三山一帯は、女人国の入り口。

海神の娘ー織姫の住む場所。

戸隠が隠す戸は、黄泉比良坂を閉ざす岩戸であり、  沢山の渡(わたり)を隠す渡(と)でもある。

遥か昔、この長野の地に大勢の渡来人達が訪れた。  彼らは機を織り、時には白鳥とも、天女とも言われた。彼らが住む女人達の国があったと考えている。

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