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あしびきの山は、葦引きの山〜天然の物差し立山連峰

柿本人麻呂の有名な歌

あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む

このあしびきの山は、足を引きずるほど険しい山と言われる。
だが、この歌の本来の狙いは葦(あし)。
葦引き、葦弾きどちらでも通る。
「人間は考える葦」とは、フランスの有名な哲学者・パスカルの言葉である。

葦というのは水辺に育つ、弱く細い草のような植物のことで、パスカルは著書の中で「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」ということを述べている。
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さて、葦は本当に弱い存在だろうか。

音楽でいうカノン。
カノン形式とは同じ旋律を出発点を変えて同時に演奏することで、追いかけるような印象を与える作曲技法のことで、「ものさし」「規範」を表すギリシャ語kanonを語源としている。
さらに語源を辿るとこの言葉は「葦」を表し、真っすぐに伸びるさまが「ものさし」を表すようになったという。
葦は物差し。正確な物差し。
足を引きずるほど険しい立山連峰は、その稜線が天然の物差しとなり得る。

立山連峰を挟んで東西、長野県安曇野大町と富山県で行われていたのが、定点観測だろう。
太陽と月と星々の出入りを立山を見て観測した。
立山は長野県側から見れば西。星々の沈む場所、死者の国にあたる。
逆に富山県側から見れば、日が昇る、復活の場所になる。
同じ山を見ても、見る方向によって意味が変わる。
星々の出入りを観測するには、もってこいの場所であった。
虎落笛(もがりぶえ)は、冬風をブロックする時に発生するヒューヒューした音であるが、モガリにはもう一つ意味がある。
貴人の葬儀の準備などが整うまで、遺体を棺におさめてしばらく仮に置いておくこと。また、その所をいうとあるが、元々は星が沈む山を言ったのだと思う。
それは風を遮る(虎落)山にかけられた。

また、葦はリード楽器になり、笛となる。
また、琴の原形の楽器は葦の弦から作られている。
葦弾きである。

葦はさらに酸化鉄を生み出す。葦の根に付く鉄バクテリアにより、スズ鉄が採れる。スズ鉄は名前の如く、鈴のような形で形成されるため、鈴なりの語源となっている。酸化鉄が出ているため、水は赤くなる。
血の池と言われる場所は、大概このような原理である。

伊邪那美と伊邪那岐が喧嘩別れし、黄泉比良坂を塞いだ千引石(ちびきいわ)は、血(葦)引きであり線引きである。

黄泉比良坂は、出雲の国の伊賦夜坂というが、
伊賦夜は、言いよる→口説く→九十九→葛籠→九頭竜
九頭竜権現は戸隠山。
天岩戸が飛んできたと言う戸隠山であるが、正真正銘、こちらが本家。

出雲は、長野県頸城一帯。
頸城はクビキだが、恐らく九尾鬼。九尾の鬼。九尾は麻を裂いた大幣である。
神事を取り行っていた鬼がいた。

さて山鳥は峰を隔てて雌雄が寝ると言われる。
それにかけて人麻呂の歌も、一人寝の寂しさを詠んでいると言われる。
古代、赤い山鳥(風)の一族が立山を隔て男女分かれて定点観測を行い、笛を吹いて合図しあっていた。
大国主と沼河比売と青山の鵺の話に繋がっているのである。
謎の歌人、柿本人麻呂。
彼女こそ、万葉集、古事記の原本を書いた人物だと考えている。





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