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京都に移住したい。鴨川に通いたい。

唐突ですが、京都に住みたいのです。
「京都に行きたい」ではなく「住みたい」。私は現在富山に住んでいるので、正確に言うなら「京都に移住したい」といったところでしょうか。
ちなみにこの話で出てくる京都とは「京都市」を指すのですが、便宜上ここでは「京都」と表記させていただきます。


別に京都に何度も訪れたことがあるわけでもないし(確か人生で1~2回)、これと言って熱烈な京都ファンでもマニアでもありません。それでも「京都に移住したい」と思わせるほどの魅力が私の中にぽっと生まれているのです。


きっかけは2冊の本です。私は入院(精神科)するたびに石井ゆかりさんの「後ろ歩きにすすむ旅」を愛読しているのですが、この本を購入してからの入院は多分5回は経験しています。よって5回以上はこの旅行記を読んでいるのですが、この中に石井さんご自身が京都に移住したという話がありまして。そのたびになんとも説明のし難い気持ちで京都生活に惹かれるのです(ちなみにですが同様の理由でベトナム旅行にも惹かれています)。



なんとも説明のし難い気持ちを今ここでぱっと言葉に変換するのなら、「京都の暮らし、なんかいい」。そしてこの前購入した森見登美彦さんの「四畳半神話大系」を読んで私の京都生活の憧れはもう少し具体化するのです。「鴨川にふらっと行ってぼーっとするような生活がしたい」。「鴨川を庭にしたい」と。


京都に移住したいも、鴨川にふらっと行きたいも、別に憧れを持つ分にはいいのです。
問題は、どうやって移住するかそしてどうやってそこでの生活を維持するか、です。
私は精神と発達に障害があるゆえに働くことができていません。お金という、現実をどうこうするものをほとんど持っていないのに、移住なんて現実することも維持することもできません。


うーん。でもいいな。京都生活。
ふらっと鴨川に行って、ぼーっとしたり、パンを食べたり…


別に、私は今の暮らしも富山という土地が嫌だというわけでもありません。そして鴨川にふらっと行く生活に慣れてしまったらそれはそれで物足りなくなってしまうのではないか…とも思っています。

それに、私は自閉症スペクトラムの特性から来る、「環境の変化」や「(急な)予定の変更」がとてもとても苦手です。
京都に移住するということは、今の生活が全部変わることです。住む街も、人間関係も、通院先も、歩く道も、みんなみんな変わります。

「私は環境の変化が変わることに耐えられるのか?」「全部いつもと違う中で、それでも私は移住することに憧れるのか?」と自分に問います。なんとなく、それでも京都というのは魅力的に思えて、でも現実的ではないなぁというところで今は落ち着いています。


よっぽど、京都在住の恋人を見つけて移住するとかそういうミラクルでもない限り、京都に住むということは私の中のふわふわした憧れのままなんだろうなぁ…と、思いながら、とりあえず「鴨川には一度は行っておこう」と思い、京都に旅行に行くことは漠然と計画しました。

障害年金と実家からの援助で暮らしているのですから、工夫して旅行へ行くお金をコツコツと貯めなければなりませんが、これでひとつ「ひとまず京都には行こう」という目標ができました。

鴨川に行って、パンをかじってくる。これが最大で唯一の目的のような気がします。
これで満足するか「やっぱり京都に住みたい!!」と気持ちが過熱するかは分かりませんが、いつか鴨川に行ける日が来ることを楽しみにしています。


「障害者だし」「通院先があるし」「入院しちゃうし」「家族や医療スタッフさんの援助は必要だし」…今までこう思って地元から離れるという選択肢は私の中で存在すらしていなかったのですが、とりあえず1人の人間という見方としては、「やろうと思えば自分の好きなところに住むことができる(かもしれない)」ということを知りました。
もちろんハンデもありますからそれ相応の制約はありますし、本当に京都に住んじゃうかどうかは分かりませんが、私も自分で気付かない手札をまだ持っているようです。

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