心に隙間をつくる
仕事に追われる状態がときどきやってくる。ひとりアップアップして、少し息苦しくて。その状態を自覚するとさらに苦しくなる。だからいつも追われないように、追い越せるようにとがんばって走るのだが、急にぷしゅーっとスピードが落ち始める瞬間がある。
これはまずい、と思った休日。外へ出かけた。
隣駅のレトロな喫茶店。分厚いホットケーキが有名なそのお店は、何回か行ったことはあるがホットケーキはまだ注文したことがなく。一駅分てくてく歩きながら向かった。
じっくり焼く必要があるのだろう。ホットケーキは25分かかるらしい。スマホを閉じて、持参した本を読む。時間があるとついスマホを触ってしまうが、こういうとき紙の本の活字に救われる気持ちがする。以前に一度読んだ本。もう一度読むと、違った箇所が目にとまる。
ホットケーキは本当に分厚く、2枚重ね。ドリンクもついて800円とはかなり良心的なお値段だ。シロップをたっぷりとかけて味わう。外はサクサク中はふんわり。量はあってもくどくなく、あっというまに平らげてしまった。
その後の予定は何もない。適当に買い物にでも行くかと思ったとき、本の言葉が浮かぶ。
”神様にフェイントをかける”
自分でもなぜと思うが、山手線一周をしてみようと思い立つ。バスや電車に乗り、移動する時間がもともと好きだからかもしれない。自分は座ってるだけなのに、風景が移り変わり、今いる場所がどんどん変わっていく。ひたすらにぼーっとできるあの感覚。
喫茶店を出て駅まで歩き、電車を乗り換え、山手線内回りに乗車する。どこで降りるかは決めてない。渋谷や品川など、大きな駅では人がたくさん降りる。乗車するお客さんの層が駅によって違うなぁ…なんて思いながら、ひたすらに乘る。
気づくと次は浜松町。浜松町といえば羽田空港に行くときに乗り換える駅だ。降りようか、いやでも。今から空港に行ってどうする。そんな葛藤が数秒あった。
”神様にフェイントをかける”
数秒後には浜松町で下車していた。
モノレールでは窓際の席に座った。窓が電車に比べて広いこと、動き出すと風が気持ちいいこと、今までモノレールに乗車したときは気づかなかった。そういえばもうすぐ夕暮れだ。空港でちょうど夕焼けが見えるかもしれない。期待とワクワクが膨らんだ。
第1ターミナルの展望デッキに向かう。デッキへ来たのは初めて。平日なので人が少ないかと思いきや、ガチの撮影機材を設置してる人(仕事かな?)、一眼レフを持った人、観光で来ているっぽい人など、見やすいスペースは比較的人で埋まっていた。
空いている場所を探す。椅子はないけれど、ゆっくり見られる場所があった。時刻は日没少し前。びっくりなことに富士山が見える。あのとき浜松町で下車した私よ、よくやった。飛行機が離陸、着陸するゴォーッという音が、夕焼けの空を引き立てているように思えた。
一段下がったデッキへも行ってみる。太陽はすでに見えなくなっていたが、残った陽の光が絶妙に空を照らし、まるでカーテンのようになっていた。
この空の感じと色がめちゃくちゃ好きだった。心を掴まれた。きれいだ、と心から感じた。リアルではもう少しオレンジがかっていただろうか。1秒、1分経つごとに少しずつ表情を変える空。まるで絵画だ。自動で移り変わる、前の絵には二度と会うことができない、空いっぱいの絵画。
この風景に出会えるとは、家を出る前の私は全く想像していなかった。神様にフェイントをかけるつもりで足を動かしたら、美しい空との出会いがあった。天気、日にち、時間帯などがうまく合わさったこともあるのだろう。たまたま動いたからといって、出会えるものでもない。だからこそ余計にありがたかった。
一日歩き回り、心地よい疲労感が残った。気づけば追われていた気持ちが、少し和らいでいたように感じた。
仕事は次々にやってくる。楽しくてやりがいがあるけれど、しんどいこともある。でも、しんどい、つらい、苦しいと思ったら、また足を動かしてみよう。動かさずに、頭ばかりぐるぐる動かしているのは良くない。人間はきっと体を動かすことで、多少頭がリセットする生き物なのだ。見ている景色を変えることで、心に隙間ができる。
この日の私は、神様にフェイントを2回かけた。きっと神様は「お!?」「え!?」と驚いたに違いない。
さあ次はどんなフェイントをかけようかな。
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