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オープンDの音色を追って 52 ~村井邦彦の証言~

(約5分で読めます)
 選抜高校野球は今日で終わりです。入れ替わるようにプロ野球が始まりました。
 明日からは新年度です。
 春ですね。

お読みいただき、ありがとうございます。

 まずは、前回に引き続き『永遠のロッカーたち』#11 GAROより、村井邦彦がGAROについて語ったことです。
 村井邦彦はグループサウンズに多くのヒット曲を提供した作曲家で、アルファミュージックの創設者です。GAROが所属したマッシュルームレコードのプロデューサーでもありました。

永遠のロッカーたち #11 GARO

いちばん好きなグループの一つだったね。
コーラスがいちばん痺れたね。
男の人でこういう風にハーモニーを歌う人っていなかったからね。
それが新鮮でいいなと思ったな。

村井邦彦 ロサンゼルスからのリモートインタビュー

 この番組でのインタビューは以上です。

 これではあまりにも短いので、他の番組も追ってみました。
 2015年9月に行われた『ALFA MUSIC LIVE』。
 村井邦彦が70歳になったのを記念し、アルファゆかりのミュージシャンが大集結したライヴがブルーレイになっています。
 もちろんボーカルも出演していますが、歌ったのはすぎやまこういち作曲の『学生街の喫茶店』。村井作品でなくていいの? とちょっと思いました。
 そのライヴでは、村井邦彦から故人にひとこと伝えるコーナーがありました。
 トミーへは

ALFA MUSIC LIVE

日高富明。
君が僕の家に来て、夜な夜な弾いてくれたオープンチューニングの音色が忘れられない。
もう一度聴きたかった。

村井邦彦から日高富明へ

 マークへは

ALFA MUSIC LIVE

 堀内護。
 のちに、スターになったことが、あまり幸せではなかったと聞きました。
 あのとき相談に来てほしかったです。残念です。

村井邦彦から堀内護へ

 なんですかこれは。めちゃめちゃ寂しいじゃありませんか。
 しかもこのライヴに出ていた小坂忠、高橋幸宏も今はもういません。

 そして、これだけではまだ寂しいので、もう一つDVDから。
『HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説』村井邦彦編。

1960年代。当時の文化人、芸能関係者たちが足しげく通った伝説のレストラン『キャンティ』。
この店での交友関係から、のちに大ヒット曲を生むレーベルが誕生します。それが、小坂忠、GAROなどが所属したマッシュルームレーベル。

HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説 ナレーション

村井「ミッキー・カーティスと内田裕也。
  マッシュルームレコードっていうのを作って、日比谷の野音に出てるよ
  うな連中のレーベルを立ち上げたんですね」

ミッキー・カーティス「その当時はもうね、いいアーティストを捜して歩い
  てるっていうとこから始まって、たまたまGAROが日比谷の野音かな。 
  CSN&Yのコピーを。
  面白い。これをちょっと日本語でオリジナルやってみようか」

村井「GARO、そこそこアルバムは売れたんですけど、大きなシングルヒッ
  トがなかったんで、それこそグループサウンズ時代のことを思い出し
  て、これはちょっと、僕とかすぎやまこういちさんでGAROの曲を書い
  たら起死回生のヒットが出来るんじゃないか」

 これではまるでGAROが死に体みたいじゃないですか。
「起死回生」というのはマッシュルームレーベル全体の売り上げに対してですよね?

 こうして、GAROの曲は、村井邦彦が書くと同時に、GSブーム時の戦友・すぎやまこういちに発注されたのです。

HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説

このシングルは当初、村井さんの『美しすぎて』をA面、すぎやまさんの『学生街』をB面として発売されました。

HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説 ナレーション

村井「一応『美しすぎて』ってのをA面にして出したんですよ。
  そしたらなんかそれがひっくり返って『学生街の喫茶店』というのが一
  位になって。
  そのあとGAROがすごく売れて、マッシュルームレコードは息を吹
  き返した。
  それがアルファレコードの母体になるわけですね。

 先ほど書きました『ALFA MUSIC LIVE』関連のインタビューでは、アルファについてこう言っています。

村井「利権商売じゃなくて本当にいい曲を作ってそれをプロモートして売る
  っていう欧米の出版社みたいなことをやりたい」

  「大手のレコード会社は、売れたものをたくさん売るのは上手いけど、
  ゼロから何かを作っていくというのは下手。我慢をしないし」

  「たとえばユーミンは売れるまで三年はかかった。本当に売れ出したの
  は四年目くらい。
  普通のレコード会社であれば我慢していない」

  「YMOみたいなものをやろうなんてハナから思わない、大手レコード会
  社は」

 ……。
 GAROについては我慢してくれなかったんですね。
 ファーストアルバムの高評価と、シングル『地球はメリー・ゴーランド』のヒットでは満足できなかったんですね。
 チャートの一位を獲らなければだめだったんですね。
 メンバーのオリジナル曲で活動するという約束を早々に反故にしておいて、あとから「利権商売じゃない」とか。
 GAROが稼いでアルファの母体を作ったからこそ言えるんだろうなぁ。
 ユーミンやYMOが世に出られたのは、間接的にはGAROのおかげではありませんか。

 ……なんだかなぁ。

 GAROの存在は早過ぎたのでしょうね。
 あの時代にあのレベルは、オーパーツと言っていいかも。

(つづく)
(文中敬称略)

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