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ゆるく繋がりタイミングを待つこと

皆さんこんばんは。わたしを生きる実験中のゆきみです。

引っ越し騒動でとても書く気力がなかったのですが、小さなアウトプットの積み重ねが大事だと思うので、またぽつりぽつりと書いてみようと思いnoteを立ち上げました。

今日は「タイミング」について考えたので、それについてエッセイ風に書いてみようと思います。


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今日は仕事が終わったあとにZoomを立ち上げ、少しソワソワした落ち着かない気持ちで、これから話しをする相手の入室を待っていた。

その人は、たぶん肩書きだけを見たらギャ!と身体に力が入っちゃうような経歴の方で、前職のNPO時代に「寄付企業の関係者」と「寄付を受ける団体のスタッフ」の関係性で出会った人だ。当時はお互いの身の上話や深くお話する機会がなかったのだけど、ひょんなことから、4年くらい経った今日繋がり直すことができた。

きっかけをくれたのは、青梅のアトリエで新しく出会った友人で、人の仕事場の上司が今日話した彼だった。

どんな繋がりやねん!と思う出会いや復縁が人生でたまに起こる。いや、たまにどころじゃなくて、ちょいちょい起こるかもしれない。そんな出会いを加速してくれたのはFacebookの共通の友人欄なので、Facebookもまだまだ捨てたもんじゃないと思う。

話が逸れたので戻すと、縁が再度つながった今日の会話を通して、4年後の今の私だからこそ繋がり直せたんだなと思った。きっと数年前の自分だったら堂々と話すことができなかったと思う。いや、正確にはちょびっと緊張した。

4年も空いたのでまずはお互いの現在地や数年間の変遷を伝えあった。青梅のアトリエ借りた話の流れで「よかったらいつでも絵を描きにきてください!」と言ったら、「実はプライベートの時間では他に優先したいことがあるからまたタイミングが合えばぜひ」という言葉が返ってきた。

少し前の私なら、すごくネガティブにこの言葉を受け取っていたと思う。なぜならやんわりした断り文句として使える言葉だから。でも今日の私は、「あ、私もまじでタイミング信者なんで、ノープレッシャーで!」と軽やかに返せた。

焦らずに、気が乗らない自分を偽って無理をするでなくタイミングを待つ姿勢や、「またお互いのタイミングが合うときにぜひ」という言葉を掛け合える関係性って素敵だよなと思った。


そういえばタイミングというと、今日はずっと興味を持っているメンタルヘルス系のアプリを開発してる会社の社長さんに副業の機会がないかを聞くためにメッセージをした。結果、諸事情で今はタイミングじゃなくて、「またお互いのタイミングが合うときにぜひ」となった。ちょっと残念だったけど、「あ、今はベストな時期じゃないんだな」って、ポジティブかつ素直に受け入れてみた。そして、まずは生活面を整えなさいというお達しだと受け取って、しばらくは全エネルギーを引っ越しの家探しに使うことにした。


タイミングがガチってハマる時って、スピード感がぜんぜん違う。思考よりも身体が先に動いている。それは仕事探しや家探し、人との出会いや何かの学びを始めることも全部同じだなと実感することが増えた。

そういう体感を持てるようになると、いい意味で焦らなくなって、私は何にエネルギーを投下すべきか選択できるようになった。

書きながらまた思い出したのは、人生のフェーズが変わってくると、これまで近かった人と距離が生まれることだ。これもまたタイミングだよなと思った。気持ちが離れてく自分に対して昔はちょっと引け目を感じたりしてたけど、今はもう堂々と距離を取れるようになった。人間の関係も、深まるときにいっきに深まるし、急に温度が冷めて、サーーっと引いていくことがある。ほんと、全部タイミングだなと思う。でもゆるく繋がっていれば、またお互いのタイミングが合えば何かがスタートする。そんなスタンスで軽やかに、でも深くいろんなお付き合いしていきたいなと思った。

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もう一つ「タイミング」で思い出したのはこのやりとり。一大アートプロジェクトのメンバーとして参加してみたけど、参加当初と比べて気持ちが離れちゃってたときに、「どうしようかな・・あんまり気乗りしないな」と考えていたらドンピシャなタイミングで確認連絡が来た。こういうふうに自分の現在地をまずは確認してもらえることって、ほんとうにありがたい関係性だよなと感謝している。(許可をもらって原文そのままスクショで掲載しています)


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