見出し画像

173. Everything is earned, not given - 与えられることを待つよりは自分で掴み取る方が楽しい


今日は、自分が試合に出れなかったときの経験をもとに「与えられることを待つよりは、自分で掴み取る方が楽しい」というテーマについてお話したいと思います。

それは、大学2年生のときの話です。このシーズンは、アイスホッケー選手として最もつらい日々だったと思います。なぜかといえば、当時は怪我もなく、コンディションも良かったにも関わらず、実力不足で試合に出れない時期が続いていたからです。

試合に出場できないといっても、選手によっていろいろなシチュエーションがあります。全く出番が来ない選手もいれば、たまに試合に出ることができるレギュラーと控えの境目の状況などがあります。それで言うと、私は後者でした。

完全にチーム内で控え組に入っていたわけではなく、スポットで試合メンバーに入ることがたまにあるという、本当にボーダーラインギリギリの選手でした。

私が試合に出るためには、まず遠征のメンバーに入ること、そして遠征メンバーに入れたら今度はその中で試合メンバーに入る、という二つの大きな壁を乗り越えなければなりませんでした。

その点で言えば、私は、二つ目の壁を超えることに特に苦労していました。遠征メンバーに入ることは多かったものの、試合メンバーに入ることがなかなかできない、という状態が続いていました。遠征に帯同しても試合メンバーに入らない選手はたった2人ぐらいでしたが、私はその中に入ることが多かったのです。

当時の私は、レギュラーになることを諦めていたわけではありませんでした。いつでも試合に出るための準備をしていました。そんなある日の出来事です。

ある試合の日、私は13人目のフォワードとしてベンチ入りをすることができました。アイスホッケーは3人のフォワード×4セットの合計12名が基本的に試合に出場するため、あくまで私は控えフォワードとしてベンチに入っていた状況になります。

イメージとしては、例えば調子の悪い選手がいたり、怪我人が出たり、誰かが反則をした際に、そのスポットに入るような形です。「何かあったときのための選手」といった位置付けでした。

その試合は、同じ相手との遠征2戦目でした。1日目は、私は試合メンバーにそもそも入れず、観客席メンバーでした。初日の結果は、チームは敗北でした。

そのような状況で次の日の試合にベンチ入りできたため、「昨日チームも負けたことだし、何かを変える意味でも今日の試合は僕を使ってくれるんじゃないか、出番は実は結構来るのではないか」と思っていました。そんな期待をして、試合前のルーティンをこなしました。お昼もしっかり食べて、お昼寝もして、体も動かして、ホテルを出て、リンクに行きました。

さて、いざ試合が始まりました。しかし、待っても待っても自分の出番がありません。自分の名前が呼ばれないままベンチに座り続け、そのまま1ピリ、2ピリ、3ピリとどんどん試合は進んでいきました。結局その日は、一度も出場することができませんでした。ずっとベンチに座ったまま、試合が終わりました。

一般的には、13人目としてメンバーに入ったら、大抵各ピリオドに1-2回ぐらいは出番があるのですが、試合がかなり均衡していたことや、出場していた他の選手たちのみんなが良い動きをセットとして続けていたこともあり、私は一度も氷の上に試合中に立てないまま、試合が終了しました。これは、私にとって初めての経験でした。

コーチの立場からしても、格上相手との対戦で、しかも接戦で試合を進めていた中では、私を使いづらかったと思います。試合がどう転ぶかわからない状況の中では、控えの私を使うことはリスクが高い行動です。

出れなかったことはもちろん悔しかったですが、勝利のために最善策を尽くしているコーチに対して、自分を使わなかったことへの文句なども一切浮かびませんでした。

むしろ「今自分は、チーム内ではこの立ち位置の評価なんだ」ということを、はっきりと理解できる良い機会になりました。

試合後、コーチから話しかけられ「優希のことを試合に出せず申し訳なかった。試合に使うつもりではいたけど、他のメンバーもいい動きをしていたこともあり、なかなかそこを変えることができなかった」というようなことを言ってもらいました。

また続けて、

「もしまた、13人目の選手としてメンバーに入ったときは、いつ出番が来ても良いように準備を続けていて欲しい。最近の練習のパフォーマンスもとても良いと思うから、引き続きその調子で頑張り続けて。今回は使ってあげられなくてごめん」とも言ってくれました。

自分の正直な感情としては、もちろん本当に悔しい思いでいっぱいでしたが、そこで私は自分自身のマインドセットが間違っていたことに初めて気づきました。

当時の私は、「試合に出してもらうこと」をずっと待っていただけでした。そもそも、その姿勢自体が間違いだったんです。

もちろん、試合に出すメンバーを決めるのは監督ではありますが、当時の私がいつの間にか無意識に抱いてしまっていたマインドセットは「まずはメンバーに入ってちょっとでも試合に出れればいいな」というものでした。

しかし、私が本当にやらなければならなかったのは、どうやったらレギュラーメンバーに食い込めるかを、もっともっと貪欲に求め続けることでした。誰が見ても納得するくらいの実力と結果を残すことでした。

もちろん、チャンスをもらえたときに活躍できるよう準備をしておくことは、控えの立場にいる選手にとっては大切だと思いますが、その場を繰り返しているだけでは、なかなかその上に到達することはできません。最終的には、その少ないチャンスを生かさなければ新たなステージには上がっていけません。

今振り返れば、そもそもの話、普段から自分が控え選手としていることを当たり前だと思ってしまうこと自体が、無意識のうちに自分の中で作られていた一つの壁だったと思います。

自分がこのチームの役に立つ選手になるためには何をしなければいけないのか、この状況を自分で変えるには、何をしなければいけないのか、と、この頃から「自分で掴み取らなければいけない」という強く覚悟が生まれ始めました。

私は、心から、この大切な信念に気づかせてくれた当時のコーチに感謝をしています。

試合に出れない時間は、もちろんプレーヤーとしては苦しいです。だからこそ、何かをコーチから変えてもらうのを待つのではなく、自分が能動的にチャレンジをしていくことで、常に自分が準備をし続けた状態を作り、チャンスが来たときにそれを活かすことが大事だと思います。

当時の僕は、それが全然できていなかったし、そもそもこの事実に気づくまでに時間をかけすぎてしまいました。もっとできたことがたくさんあったのでは、と今振り返って思います。

一方で、そのような経験を当時このタイミングでできたことは、自分のプロキャリアにも大きく役立っていると思うし、もっと言えば、自分自身の人生観にも大きな影響を与えてくれた出来事だと思います。

僕の大好きな言葉に、

Everything is earned, not given.

というものがあります。「すべては与えられるのでなく、掴み取るものだ」という意味です。そして、僕はこれこそがチャレンジにおける最大の楽しさだと思っています。これからも、自分の手で掴み取ることを意識し続けていきたいとおもいます。

今日のお話は以上です。今回の内容が面白いと感じた方は、ぜひSNS等でもシェアしていただけると幸いです。(気になったものは全力リツイートさせていただきます!)今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?