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なぜ勉強しなくてはいけないのか

 子供に「なぜ勉強しなくてはいけないの?」と聞かれたことがあります。
 そのとき私は、たしかこんなふうに答えました。

「なぜ勉強しなくてはいけないのか、というのはね。いっぱい勉強して頭がよくならないと、わかってこないことなんだよ」

 まずは勉強してごらん。勉強する意味は、そのうちあとからわかってくるよ。と教えたわけです。
 こんな不親切な答えじゃなくて、きちんと全部かみくだいて教えてあげてもよかったのかもしれません。
 でも、勉強する意味って、勉強を積み重ねていくうちに、あとからわかってくるものなんですよね。

 それにもしかしたら、この子は将来、何かのめぐり合わせで人生にゆきづまったりするかもしれない。
 そして、「なぜ生き続けなくてはいけないのか?」と自分に問うことが、もしかしたらあるかもしれない。
 そのときに、「子供のときに、お父さんがあんなふうに教えてくれた」ことが、役に立つかもしれないと思うのです。
 答えを教えるよりも、考え方を教えたほうが、将来この子のためになるのではないかと思ったんです。

 そこまで考えて、ああいう不親切な答え方をしたんだけれども、わかってもらえてるかな?

私が考える「なぜ勉強しなくてはいけないのか」の正解

 いちおう私が考える「私なりの正解」も書いておきますね。
 まず前提として、大人は言葉によって他者と関係を築き、社会のルールを守りつつ、自己を確立していくんですね。
 子供も言葉は使うんですが、子供の世界ってそれでもまだ、幼児的な欲望が勝っちゃったりするんですね。宿題があるのに先に遊んじゃったりとか。
 そういう子供の、ありのままの欲望は、「父親的な何か」によって、いったん「断念」させられる必要があると思うんです。
 そうやって子供は、欲望をただむき出しにした自分では、社会に受け入れられないことを知る必要がある。
 それがわかって初めて、子供は言葉によって他者と関係を築き、社会のルールを守って、自己を確立していかれるようになる。つまり大人になれるのだと思います。
 そのために欠かせないのが、「勉強して自分の欲望に打ち勝つ体験」だと私は思うんです。

 私の考えは、ラカンが言っていることと(途中までは)似ているように思います(ラカンは「だから勉強しなさい」とまでは言ってませんが)。
 父親的なもの、父性の復権などというと、なにか時代錯誤の昭和的な考えだと批判されるかもしれませんが、べつに昔気質の頑固親父になりなさいなどと言いたいわけではありません。
 そうではなくて、人間の幼児的な欲望に制限をかける無意識的な「象徴」(これを私は「父親的な何か」と呼んでいます)が必要なのだとラカンは言っています。

 勉強して高い学歴を手に入れて、お金を稼げる人になってほしいとか、そういう即物的な考え方を、私はべつに否定しません。
 私も、こんな偉そうなことを言っていても実は、子供には高い学歴を望んでいたりもします。
 でも根本のところでは、しっかりした考えをぶれずに持っていたいと思っています。

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