見出し画像

雑記①

随分前に大学の授業で「永久喪中」という脚本を書いた。内容は大晦日、坊さんのもとにいろいろな人が年越しの挨拶に来るという、支離滅裂なものだった。

わたしは、失ったものは永遠に失い続けるのだと思っていた。仄暗い意味でもなく、体感としてそう思っていた。ないものが、ずっとあるというとても大切な感覚。

失われたことを忘れられず、

失われたこととしてずっと存在する。

出逢った人と永遠に出逢い続けるように。

何にも区切りなどない。

ただ自分の周囲のそこかしこに生活があるばかりだ。

小さな1日の終わりが時折安息をもたらすような、そういう拙い終わりを繰り返しているだけだ。

高校受験を控えた中学三年生の夏、大規模な水害にあった。

家の前まで泥水が押し寄せ、進路指導で呼び出された学校から皆、家に帰れず、堤防脇にあった幼馴染の家は一番に冠水した。

昼過ぎに学校を出て夜に家に帰り、ガスコンロを囲んで、自室に置かれたウサギのゲージを目の前にしてぐっすりと寝た。

朝起きるとすっかり雨はおさまっていて、家の前のゆるやかな坂道が、泥水に侵されて静かな古い湖のようになっているのを、ベランダから眺めた。その坂道を中年の女性が突き進んでいく。のろのろと腰まで泥水に浸かって歩いていく。そのうち胸まで浸かってしまった。それでも中年の女性は、両腕を高く掲げ、時折後方を伺いながら、突き進んでいく。掲げられた両手にはビニール袋がふたつ。浸水して孤立してしまった家の人へ何かを届けようとしていただろうその女性を遠くの自衛隊が大声で諫めた。すぐに戻って、戻ってください。少し呆れたような、けれど硬い男性の声がした。

その日の昼間、母から風呂場を洗い、風呂を溜めるように言われた。苦々しい顔で母は「人が借りにくるかもしれないから」と言葉少なに言った。この被害の中で、断水を免れたのは、おそらくうちと周辺の少しの家だった。水はこんなにあるのに、水がなくなってしまうことを不思議に思いながら、しばらく無心で風呂掃除をした。あまりよその人が使う風呂ではなかったけれど、毎日母が掃除をしていたので、古い水色のタイルはひややかにきれいだった。このお風呂場のタイルは、この水害のすこしあと、高校受験直前の長岡の地震でひび割れてしまった。

母は偽善でもなく、ただ、苦しかったのだろうと思う。家を泥に攫われた周囲の見知らぬ人のこと、それを免れてゆるやかに平穏を取り戻そうとすること。

水害の当日は弟の、翌日は祖父の誕生日だった。

誕生日ケーキを頼んでいた菓子屋も案の定浸水したのだけれど、隣の町にある姉妹店が車で来れるぎりぎりところまでケーキを運んでくれると言うので、また母に言われて、わたしが橋の向こうに受け取りに行くことになった。

よく思えば、橋の多い町だった。一つの橋は、水害の日に崩落した。

泥に巻かれて自転車にも乗れないので、7月の炎天下を歩いて橋を越えると、まるで違った。なにもかも普通にまるで不便なく、車や人が行き来をしていた。

橋の向こう側で落ち合ったお菓子屋さんと交わしたことはなにも覚えていないけれど、わたしは帰りながら、まだすこし幼かった弟のことを思った。保冷剤のたくさん入った重たいケーキをしっかりと抱えて、いつもよりゆっくりと歩いて帰った。弟が生まれてきたことについて他意もなく感動した。胸が打たれるほど嬉しかった。おまえは強く生きろと心のそこから思った。崩落した橋の下で黒い水がざやざやと流れていた。

学校の体育館は水で腐り落ち、街からは泥の臭いが数ヶ月消えなかった。少しの間、自衛隊が駐留して、あらゆるものを片付けていった。非日常の中で、人は日常を繰り返していく。いま過ごす日常の所在が明確でなくなっていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?