「舞台 灼熱カバディ」観劇感想②

 こんにちは、雪乃です。「舞台 灼熱カバディ」の感想、延長戦です。1回で書き終わるわけがなかった。前回の感想はこちら↓から。

 前回はファーストインプレッションだったのでとんでもない乱文になってしまいました。今回は多少はまとまる……かな?

 今回は印象に残った点をいくつかに分けて書いておこうと思います。

カバディへのリスペクト

 前回の感想で完全に書くのを失念していたので今回書くのですが、すごかったのが幕開き。ここ、普通にキャストがカバディしてたんですよ。本当に、キャラクターとかも抜きにして、本当にカバディをしてたんです。
 この、舞台上でキャストが「普通に」カバディをするということ。コート自体もそう広いスペースは必要とせず、なおかつ道具のいらないカバディだからこそできたことです。この時点で、すごくカバディというスポーツへの敬意を感じました。また、カバディに対する敬意だけではなく、舞台化と、舞台に対する敬意にも思えて。
 キャストがカバディをする、というのは舞台だからこそできることです。実写による映像作品は現実とは切り離されすぎてしまって、きっとできない表現。生身の人間が、目の前で物語を紡ぐ、現実と虚構の間に存在する舞台だからこそできること。マンパワーで舞台を作るぞ、というクリエイター陣、役者陣のただならぬ意気込みを感じました。

 そういえば開幕前に公式Twitterで「カバディの試合をしました!」みたいな投稿があったんですよね。あの投稿を見て、競技人口が増える瞬間を目の当たりにできたように思えて、なんかすごく泣きそうになっちゃったんですよ。カバディを演劇に手繰り寄せるよりも前に、まず演劇がカバディの世界に歩んでいく。カバステの、カバディという競技への向き合い方はスポーツを扱った作品としては最高だと思います。
 そして観る前から気になっていたキャント。予想以上にしっかりめの正統派キャントでした!もっと感情が乗るかな、と思っていたのですが、そこもしっかりと「競技上のキャント」を貫いてくれていた印象。なお私は王城さんのキャントを生で聞くことができて死ぬかと思いました。というか1回心臓止まったのでは……?
 余談ですが、リアルカバディの世界ではマジでカバステばりにキャントがよく聞こえる選手の方もいらっしゃったりするので、リアルな選手のキャントも1人でも多くの方に聞いていただきたいです。

 カバディという大河から分かれた支流のような、漫画の中のカバディ。そのカバディと現実のカバディが舞台という海の上で出会ったカバステは未知の体験でした。

人間の肉体のすごさ

 「マンパワーで舞台を作る」と前述したように、カバステはとにかくマンパワーによる舞台。そもそも私の好きな演劇は「ジーザス・クライスト=スーパースター」や「ミス・サイゴン」のような、人間の力を最大限に感じられるタイプのものなので、カバステは演劇的にもかなり好みです。
 カバディの、道具を一切使わず肉体のみでプレイするシンプルさが舞台のマンパワー的な演出と上手く共鳴していて、演劇としてのカバディが生まれていました。
 そしてアクションで印象的だったのが、やはり受け手の存在。いわゆる「斬られ役」です。レイダーがメインとなるシーンではアンティが斬られ役となり、アンティがメインになるシーンではレイダーが斬られ役となる。どちらの立場でも斬られ役になりうるが故に、レイダーとアンティのどちらにも「受ける」巧さが問われる。素人目に見ても、すごく難しいアクションだと思います。
 「るろうに剣心(松竹版)」では日本刀による殺陣を、「フィスト・オブ・ノーススター」では主に素手による殺陣を見て思ったのですが、殺陣は受ける側の技術力がないとできないこと。カバステではどのキャストも受け手になる要素があるので、殺陣の中でも一番ヤバいのでは……?と思います。しかし全員とにかくハイレベル。宵越のロールキックや王城さんのカウンター、高谷の高さが求められるレイドなど、漫画的なカバディをいかにリアリティを伴った「人間の動き」として見せるか。キャラの動きではなく、選手の動きとしていかに説得力を持たせるか、というポイントにすごく力が入っていました。
 一方アンティでは、レイダーが受け手となります。パワーを持ったアンティを表現する上で、レイダー側は、自分の体をいっそ軽くすら見せなくてはならないし、ガチな接触が発生している分、相手にある程度委ねなくてはならない。このアクションの受けは、殺陣というよりかはデュエダンやパ・ド・ドゥのリフトされる側に近いアプローチなのかな、と勝手に思っています。勝手に。

 さて、受け手の巧さといえば前回の感想でも少し触れましたがやはりカウンターの表現で際立っていました。レイド側の上手さもさることながら、キャスト陣の高い身体能力に裏打ちされた、アンティが浮く瞬間は漫画そのもの。カウンターの描写は原作、アニメ、舞台で見ましたが、舞台が一番わかりやすかったです。

見せる身体

 前回の感想で、バイトのお役の多さに関しては少し触れました。奏和の1年生を演じる能京メンバーには遊び心も感じられてひたすらニコニコしていたのですが、バイトの中でもすごかったのが、練習試合における審判。ここ、確か伴くんがやってました。しかもレミゼのバイトとは違って、髪型とかはそのまま演じてるんですよ。なのに、まったく伴くんに見えない。確実に視覚的には伴くんを認識しているはずなのに、違和感なく「奏和との練習試合の審判」になっている。見せる身体、見えている身体が見えなくなるというのは「ロボット・イン・ザ・ガーデン」のタングにも通ずる、舞台ならではの魔法。可視と不可視、認識できるものと認識できないものの狭間を縫う絶妙な存在感。伴くん役の人、ここ地味にめちゃくちゃすごかったです。

時間の魔法

 舞台だけが使える魔法といえば、やはり異なる時間軸を同時に板の上に乗せられること。「るろうに剣心」では「剣心の影」という役を登場させることで過去との対峙を描いているし、「フィスト・オブ・ノーススター」や「アナと雪の女王」でも過去と現在で役者を分け、さらにその役者を同時に登場させることによって異なる時間軸を同時に見せています。
 カバステでもこの時間の魔法が、主に井浦慶という人間のパーソナリティを表現するのに使われています。
 過去と現在で役者を分けていないからこそ、現在の井浦さんが過去を見つめるからこそ際立つ、蟻が毒を持つまでの過程。役者を分けないからこそ過去と現在が切り離せないことが一層色濃く描かれ、カバステならではの時間の魔法にはただただ痺れました。あと役者を分けずに1人が中学生(過去)と高校生(現在)を演じるからこそ、六弦さんの「六弦歩、そういうとこだぞ……」な面が強調されていて良かったです。本当、そういうとこだよ……。

熱量を先取りする

 カバステのクライマックスは、なんといっても練習試合。原作の流れや結果に寄り添いつつも、熱量だけでいったら完全に公式戦の方の奏和戦の熱さを先取りしていました。
 もちろん練習試合の熱量も凄まじいんですけど、あの段階ではまだまだ宵越も熱を取り戻し始めた段階というか。「燃える世界」で「灼熱の世界」のリプライズが完成するのはずっと先なんですよね。そして井浦さんもしかり。19話が完成するのは168話なので、練習試合の段階から見ると相当に先です。
 しかしカバステ、このリプライズを先取って完成させていました。しかも、その完成の方法にまったく無理がない。「この流れだったらそうなるだろうな」というのがすごく納得できました。そして各キャラクターの行動原理もきっちり見せていたことで、脚本上の流れだけではなく、「このキャラならこうするだろうな」と思えたのも大きいです。「戻っていく」という主題を熱量を以て冒頭、中盤で提示し、終盤できっちり掘り下げ明確に作り上げてくれたてくれたカバステ、私が好きな芝居の作り方をされていて信頼しかない。


生身の肉体で演じるということ

 舞台化の醍醐味といえば、やっぱり生身の肉体!やはり「本能」の解像度は、生身の肉体が目の前で躍動する舞台がとにかくすごい。カバディ自体が両立させている野生と理性のバランスが芝居に落とし込まれた結果、とんでもないものが完成していました。
 人との距離が近いコンタクトスポーツを題材としているからこそ描ける、否が応でも本能が引き摺り出される感覚。スポーツマンとしての本能をカバディを通して取り戻し、再獲得していく宵越。本能を内側で燃やし続けた井浦さんに、研ぎ澄まされた本能で周囲を焼き尽くす王城さん。他のキャラも含めキャスト陣の熱演で、本能に対するスタンスの違いが明確になり、それがコートの上でぶつかり合うことで灼熱の試合を生み出していました。
 私が王城さん推しなのでどうしても王城さんの話をしちゃうんですけど、練習試合が始まる前に王城さんが「気合い入れてくぞォ!!」って言うコマあるじゃないですか。原作12話。あのシーン、私アニメで見るのすごく楽しみにしてたんですよ。あのシーンに声がついたらどうなったんだろうって。でもアニメでカットされてしまってすごいショックで。だから、舞台ではカットせずきっちりやってくれて嬉しかったです。あのシーンを、生きた人間の声で聞くことができた瞬間に、「舞台化してくれて良かった」と心の底から思えました。王城さんは運動部の部長でカバディチームのキャプテンで1人のスポーツマンでアスリートなんだって思える大好きなシーン。穏やかな部長の再現度も高かったのですが、ステ城さんはふんわりした穏やかさと激しい炎のようなカバディ選手らしさを二面性として描かず、同じ人間の中にちゃんと同居させていたのもすごく好きです。解釈大一致なのよステ城さん……。あの萌え袖も生身の肉体でやることで王城さんの可愛さ爆発で良かったよね……舞台って最高だよね……。

 話が逸れました。

 もうひとつ、生身の肉体がもたらしたものを書いておきたいです。

 それは試合中のタイムアウト。井浦さんが王城さんが攻撃に出ることを止め、王城さんが次のレイドを宵越に託すシーン。ここの王城さんの手の表現が好きすぎる。
 この手の表現は、画面やコマの大きさといった制約がない舞台だからこそできること。常に視界にキャラクターの全身を収めることができ、吹き出しに遮られることもない。舞台でしかなし得なかった表現です。ここの細かいお芝居もすごく上手いよなあ……。王城さんの手の動きのひとつひとつに、井浦さんと積み重ねてきた時間の重みやカバディへの想い、攻撃に出ることのできない悔しさ、宵越に託すという選択の重みがすべて詰まっていて。あの手だけで「王城正人」の解像度を上げてくれたことが強く印象に残っています。

 舞台の世界ではご贔屓様には少しでも良いお役がついてほしいし、たった一言でも台詞は多く言って欲しいし、1小節でも多く歌ってほしいし、1秒でも長く眺めていたい。それと同じで、贔屓しているプレイヤーには、やっぱり1回でも多くレイドをしてほしいんです。これはもう愛でも恋でもなくて、シンプルにただそのプレイヤーを「贔屓」しているから。アンティでいえば、やっぱりキャッチもタックルも1回でも多く見たくなってしまう。「贔屓」するって、たぶんそういうことなんです。
 だから私は王城さんのレイドは1本でも多く見たい。多く見たいからこそ、宵越にレイドを託すシーンがより一層の重みを伴って胸に落ちてくるようでした。このシーンを演劇として観ることができて、本当に良かったです。

おわりに

 私もリアルカバディはハマったばかりでそんなに詳しくないのですが、カバディはやっぱりリアル試合を観てほしいです!リアルカバディの試合はキャントが聞こえるくらいの至近距離で観戦できるし、いつハマっても常に最前線で日本代表を応援することができます。攻撃や守備が決まった瞬間の盛り上がりと会場の一体感も魅力的。日本カバディ協会の公式YouTubeチャンネルでは過去の大会のアーカイブも配信されているのでそちらもおすすめ。私が生で観戦した大会は昨年の全日本大会とチャレンジカップだけですが、どちらもすごく楽しかったです。ベテラン選手も多く出場しまさしく国内最高峰の熱戦が繰り広げられた全国大会、若手の選手が多く、フレッシュなチームも参加したチャンレンジカップ。どちらも見応えたっぷりなので、YouTubeでぜひ。「灼熱カバディ」のキャラクターと同年代の高校生チームも活躍しており、リアル「灼熱カバディ」です。
 

 演劇にしてもスポーツにしても、生で観ることがまだまだ難しい時期ではありますが、演劇の灯もカバディの灯も絶えないことを願いつつ、本日の感想文はここで結びたいと思います。本日もお付き合いいただきありがとうございました。
 


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