文化の違い(支援の続き)

クワを持って大切に耕している畑に
「これがいいのよー!!」
と言って耕運機でウネを蹴散らし、大切に育てていた苗に農薬をぶっかけるようなことをした人がいました。

※例え話のフィクションです。

その畑ではみんな、クワを持って一つ一つの苗を大切に大切に見守っているとても静かな畑でした。
まっすぐ育っていく苗ばかりではありません。
それも個性です。
そもそも、まっすぐ育てることを目的とした畑ではありません。
苗たちがみんなが大きく育つことを楽しみに、ゆっくりゆっくり耕している畑です。
その畑に、ある日突然、耕運機を持った人が現れました。
クワを持って働いているみんなより、少しだけ権力のある人でした。
耕運機を持ち込まれて、農薬をぶちまけられて、クワを持っている人たちは本当に驚きました。
いえ、本当は少しだけ心配していたのです。
その人が来ると聞いてから。
耕運機を1人で使ってきた人には、クワを持ってみんなで耕している畑が受け入れられないのではないか、と心配していたのです。
そして心配は的中してしまいました。
クワを持つ人たちは始め、その人をどうやって受け入れていこうかみんなで相談しました。
でも、どんな提案も耕運機の人には届きませんでした。
クワを持つ人たちは、自分たちの苗を守ることに一生懸命になりました。
耕運機から、農薬から、過度な肥料から、自分たちの大切な苗を守ることにしたのです。
できるだけ苗たちと距離をとってもらい、耕運機は自分の好きな、苗たちには影響のないところで使ってもらえるように。
でも、耕運機が1番だと思っている人にはなかなか伝わりません。
クワを持っている人たちは、耕運機の人を受け入れようと頑張りました。
でも、耕運機の人は、クワを持っている人の言葉を聞き入れようとしませんでした。
 
そこで、耕運機を使う人を受け入れられない人が出てきました。
それが僕です。
耕運機を使う人から離れるよう、農薬をぶちまけるところを見ないで済むよう、距離をとりました。
それでも、僕の苗以外の苗には、耕運機の人は関わっていきます。
担当の苗以外も全部を自分の苗だと思って大切にしてきた僕には耐えられないことでした。
それでも、加算のため、お金のため、と言って地主は何もわかってくれません。
どれだけ大切な苗なのか、クワを持つ人たちがどれだけ大切に畑を耕していたのか。
地主は全くわかっていませんでした。
僕は畑の長(おさ)に何度も話をしました。
長も地主に何度も話をしてくれました。
それでも、地主も、耕運機の人も何も変わりませんでした。

時間は流れ、僕が担当していた苗が揃って巣立つことになりました。
僕はもう、この畑でクワを振るっていくことができないくらいボロボロになっていました。
『担当の苗たちを見送って、僕は新しい畑を探そう』
長に相談すると、長も
『ここまで言っても地主は何も変わらない。あなたが輝ける畑に行くといいよ、私もそうするから』
と言ってくれました。

僕は自分に合った畑を探す旅をしています。
農耕民族と思いきや、放浪の旅をしているのです。

せっかく自分に合った畑を見つけたのに、離れることはとても苦しいことでした。
でも、その畑はもう、僕に合った畑ではありませんでした。
だから僕は自分に合った畑を探す旅に出ました。

畑は一つではありません。
でも、この仕事ができる畑はきっと一つだけ。
他の畑の仲間に助けてもらいながら、僕は旅を続けました。

今たどり着いた畑は、みんなが一生懸命クワを振るっています。
無農薬の有機栽培です。
とっても居心地が良くて、ずっとここでクワを振るっていきたい、と思っています。

でも、ここにも耕運機の人はいました。
クワを振るう人たちと、苗たちとで態度が違うのです。
些細なことかもしれませんが、僕は敏感にわかってしまいます。
「明らかに区別している」
そんな不自然さがある人なのです。
ここでは敢えて「区別」と言います。
猫撫で声でご機嫌を伺うのは、苗にとっていいことなのでしょうか?
僕は、自分と同じ立場で、自分も苗だと思って話をしています。

耕運機で通じる世界にいる人はそこにいる方がずっと幸せだろうし、クワを振るっている人にとっても平和です。
耕運機が必要な現場も、きっとあるでしょう。
その人はそこで輝いてくれればいいです。
僕の畑は、クワでゆっくり耕して、みんなで毎日の小さな成長を喜び合う場所だと思っています。


「自分とは違う、支援してあげないといけない人」
と思ってしまったら、その瞬間に畑は崩壊します。
僕の知っている、居心地のいい畑ではなくなってしまいます。
今の畑の地主さんは、クワを振るうことの意味をわかっている人のようです。
だから、まだここにいたい。
でも、もしもここがまた、耕運機や農薬にまみれた畑になってしまったら、、、
僕はきっとまた、自分の畑を探して旅に出ると思います。
そうして見つけた自分らしくいられる畑で、生きていきたいのです。

農耕民族と旅人は、もしかしたら同じ場所にいるのかもしれません。
旅をして、「たどり着いたところがいい場所なんだよ」僕はそう思います。
だから、その場所が変わってしまったら、また旅に出ればいいんです。
ただ、それだけ。

いい場所にたどり着けないなら、たどり着くまで旅すればいい

これが僕の持論です。

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