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貧乏コンプレックス と 東京への憧れ


カメラを使い始めてなんだかんだ今年で15年。
今では無趣味だった人生を大きく変えてくれた大切なツール。

ストレージの中には主な被写体である東京の街を撮影してきた膨大なデータが。写真を撮っているというよりも東京を撮っていると言った方がしっくりきます。
飽きもせず、こんなに続いたのは醜いほどの執着心だったり、嫉妬心や欲求が自身の中で渦巻いていたからではないかと今となっては思ったり。
多少なりとも誰もが何かしらのコンプレックスを抱えながら生きていると感じますが、私の場合は貧乏コンプレックスでした。
(大人になってから気付いた事実)

子供の頃を振り返ると、両親がお金のことで言い争いをする声がたまに聞こえてきたり、親戚から貰ったお年玉も気付いたら家の生活費に消えていくから我慢することが基本だったし、かなり早い段階でうちの家は裕福でないと悟ってました。

何より普段からよく遊んでいた近所の友達が中学1年にしてNIKEのエアジョーダンIやエアマックスを履いていたから、どこに行っても一目置かれる様子を隣で羨ましそうに見つめてました。
ゆえに子供ながらにどうしても生まれた家の境遇を比べちゃうわけで… 何度も思いましたね、友達の家の子供になりたいと。

そういう環境にいたからか、何かに憧れを抱く感情が人一倍強くなっていったという自己分析結果です。

友達と比較しながら日々を過ごしていた少年時代の私は、叔母が都内に住んでいたことや兄が一時的に都内の病院に入院したことでのお見舞い、母の同級生が都心で開業医をしていたことなどが重なって次第に東京を訪れる機会が増えていきました。
だから、東京に行く回数は周りの同級生と比べても多い方だったと思う。

当時は東京まで電車で片道70分くらい。
東京に着くと、とにかく人人人、車車車、ビルビルビルで街全体が躍動しているかのように見えたもの。
初めて新宿のアルタとか都庁を見た時の感動は今でもよく覚えてる。叔母にご馳走してもらえるからと六本木のパスタ屋さんでここぞとばかりに頼んだ2500円の高級パスタ。

すごいな東京…外国人もいるじゃん…いいなぁ東京…

東京で過ごす時間が増えれば増えるほど憧れる対象は友達ではなく、自然と大都会に移っていきました。
例えるなら、半径5m圏内で誰かと比較していためちゃくちゃ狭い世界から一気に世の中の広さを知ったような感覚。
もっと広い世界が外にはあったんだ、と。

そうなると友達と遊ぶ中でもちょいちょい東京での自慢話をしてみたり。
もちろん誰もピンと来ないから、君たちにはまだわかんないよね笑 と心の中で必死にマウントをとってみたり。
誰よりも東京を経験してる、というのが周囲より優位になれるたった一つの事柄だった気がします…

時を経て、たまたま好きな街とカメラという手段が結びついて、東京での写真撮影が初めての趣味に。切り取った長方形の中だけは自分の世界にできるのが写真の良さです。

大人になった自分が撮っていたのは、目の前に見えるキラキラした華やかな世界に憧れる気持ちと死にたいくらいに夢見た街を少しでも自分のものにしたいという願望と欲求に他なりません。
その気持ちを満たせるのはギラギラした東京の都心にしかありませんでした。東京ならどこでもいいというわけではなく、強い光が放たれる場所。

東京は永遠に自分のものにはできないけど、貧乏育ちでも写真で切り取った東京は自分のものにできたんです。

"憧れ"という感情を抱く心理には羨望や嫉妬心が含まれているんですよね。今の自分にはないからそれを欲しようとする欲求…
都心に住むことはできないけれど、東京のど真ん中で光が煌めいてる写真を撮ればあたかもその中に自分も溶け込んでいる錯覚に入り込めました。
キラキラした写真の裏側には羨望や嫉妬の入り混じったコンプレックスがあったとは知らずに。
目の前で煌めいてる光景を1枚でも多くカメラに収めれば何かが満たされていく感覚。

過去にこんなツイートをしてました。

表現することが自己救済だとしたら、今まで撮ってきた写真の多くは不憫な思いをしていたあの頃の自分に見せたいものだったりします。
きっと泣いて喜ぶと思う。



色んなことが1周して、やっとコンプレックスを抱えることは決して悪い方向に進むものではない、と言えるようになれたと思う。
事実として、このコンプレックスが自分にとって"撮る"という行為の原動力になっていたことは確かで、色々な方に撮影の場を提供していただくための交渉をしたり、結果的にたくさんのいいねを貰えてフォロワーの方が増えたり。(決していいねの数=良い写真とは思ってません)
コンプレックスがモチベーションになる場合もあるんですよね。

だから、もしそれが完全に無くなったとしたら撮りたいと思う欲求も減ってしまうんじゃないかというのも正直なところで。
それに、単に東京に住んでるから東京を撮ってます、というよりも子供の頃に憧れた破片を大人になって回収してます、っていうストーリーの方が客観的に見たら面白いんじゃないかと思ったり…笑

さらに去年、半年間のリハビリを強いられる程の大怪我をして日常が変わった時にふと思いました。身の丈に合わない多くを求めるより今の自分で最高と思い込んでいい。足るを知る、です。
無いものねだりばかりではキリがないので。
憧れるのはいいけど、憧れすぎて執着するのはあまり良くないですね。


写真を始めた頃に知った「写真は撮る人の心を写す」という言葉。
今となっては言い得て妙だなぁと心底感じます。


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