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裏返る葉っぱと誰にも盗まれないもの

10月。悲しみは静かに訪れた。ばあちゃんが息を引き取り、97年間の旅路を終えたのだった。

「食欲が落ちていて水分をとるのもままならないんです」
入所していた施設の職員さんから父がそう連絡を受けたのは夏のこと。
これは大変と、病院に入院することになってから3ヶ月。嚥下機能のリハビリも受けたけど、どうしても口から栄養をとることが難しい状態が続いた。
ナースステーションまで自力で「私の部屋はどこ」とたずねに行けるくらい、足腰は丈夫で体力も残されていたこともあり、希望を託して胃ろう造設手術を受けることが計画された。しかし軽微な肺炎の症状が出て手術の予定は延期になったまま、悲しみは訪れた。

嚥下リハビリや点滴治療と並行して、主治医の先生からいくつかの選択肢を示された時。
父や叔母たち、私たちきょうだいみんなで話し合った時、みんな同じようにおばあちゃんにとって負担の大きい処置は望まないと言った。それでも1日でも長く生きてほしい、とも言った。この2つの願いは矛盾しているようで、どちらも本当の気持ちだった。
認知症だったばあちゃんが胃ろうを望んだか望まなかったか。意思を確認することは難しく、体調が思わしくなく結果として手術に踏み切れなかったこと、そのまま帰らぬ人となったこと、その事実だけが残った。

コロナ禍の最期はやるせない。唯一面会が許された両親と叔母に孫たちはボイスメッセージを託した。ありがとう、大好きだよと、なるべく明るい声を振り絞った。孫やひ孫たちの声がその耳に届いてから、息を引き取ったそうだ。

痩せた体は元々小柄だったばあちゃんをいっそう小さく見せた。
でも、笑ってるような、今にも喋り出しそうな顔のばあちゃんと対面して、姉と一緒に泣き笑いした。通夜のあとは音もなく霧雨が降った。

ばあちゃんは昔から雨と仲良しだった。
「お天気の文句を言うもんじゃない。雨は恵みの雨じゃけぇ」
「山の葉っぱを見てみ、裏返ってたらもうすぐ雨が降るんで」

ばあちゃんは、プライドの高い末っ子気質でもあった。
女学校を出たというステータスは確実にばあちゃんを支えていた。
「ばあちゃん小さかったから、女学校行く途中で一回”かばんが歩いとるわ”って言われてな!何よんなら!って言い返したんで」「向かいの子の部屋の窓に明かりがついとったら、負けられん!ゆうて必死に勉強したわ」
負けん気の強さがばあちゃんを奮い立たせていた。
そして、耳にタコができるほど聞かされたたこと。「ゆきちゃん、泥棒が来ても盗まれんものがあるよ。それは教養。誰にも盗まれんものをこれから身につけるんよ。勉強しなさいね。」
華やかな青春時代を戦争に奪われたばあちゃんの言葉には説得力があった。

まだ若い頃(といっても60代?)のばあちゃんはうっすら色付きのレンズに、ゴールドのフレームが印象的なマダムな眼鏡を愛用していた。首もとに巻いたスカーフはいつも上品だった。
感情をバリバリ表に出すタイプのばあちゃんだったから、三世代同居の我が家では嫁姑のピリピリムード吹き荒れる食卓もなくはなかった。
保育園のお迎え。せがんだらしぶしぶ抱き抱えてくれた実は強い腕。
編み物が大好きで編んでくれた模様編みのセーター。真っ白な毛糸に映える可愛いゴールドの縁にパールみたいなまるい形のボタン。

私が大学生になって、一人暮らしを始めてからは、ばあちゃんとの文通が始まった。
心細い私を心底あたためてくれた達筆なばあちゃんの文字。文末にはいつも「ゆきちゃん、早く帰っておいで」の言葉。
一人暮らしを強気で謳歌しているつもりだったけど、ゆるやかな手紙のラリーがいつでも私を「甘えんぼうのゆきちゃん」に戻してくれた。
大学2年生になった。久しぶりに受け取ったばあちゃんからの手紙。
ほくほく顔で封筒を握りしめた私を強烈な違和感が襲った。差出人の郵便番号のところに自宅の電話番号が書かれていた。
思えばその頃からばあちゃんには認知症の症状が出始めていた。

筆まめなばあちゃんは認知症と診断されても、毎日日記をつけていた。
帰省するたびに「まあ、ゆきちゃん?よう帰ったね」とほほ笑んでくれるばあちゃんは何も変わっていなかった。
大学3年生のころ、「分からんようになってしもうた・・・」と眉を寄せるばあちゃんの険しい顔を見ることが増えた。日記に書かれるのは日付と「薬飲んだ」の一言だけになった。

ばあちゃんは上品なスカーフも色付きの眼鏡も大好きだった編み物も手放した。
ふわふわパーマだった髪型は、白髪のショートカットになり、色白だった肌はよく日に灼けるようになった。
(毎日、家の周りを散歩していた)
ぼんやり佇む食卓では、無心にエアピアノを弾いていた。ねぇ、何弾いてるの?と聞くと、歌ってくれたそれは女学校の校歌だった。

通夜の夜。寝ずの番では、20年ぶりにきょうだい3人で川の字になった。
遠方に住む姉とは実に3年ぶりの再会だったわけだけど。
話す内容は、お互い完全におじさんとおばさんのそれになった。

太ったね、痩せたね、税金がどうの、政治がどうの、子どもたちはどう、父さん3日寝てないみたいだよ、母さんも疲れを出さなきゃいいけどね、せっかくだから開けちゃおうか、プシュ。明日のためのヘパリーゼ買ってきとこうよ、おつまみはいらないかな、えっビールもう5本目だよ。ねえ、ばあちゃんにも怒られちゃうよ。

飲めない私は、酔いどれの姉と弟を眺めているだけで面白い。
線香を替えながらこんな時きょうだいがいて良かったと思った。
深夜2時。線香が途切れないように、アラームをかけて横になった。
ばあちゃんと一緒に過ごす最後の夜。

夜のうちに雨は上がり、朝が来た。
俺、朝は強いからと豪語していた弟が全然起きなくて笑えた。
これ良いよって高級美容液を渡してくれる姉。
続々と斎場に現れる親族(家族葬)。穏やかな晴れ間の中、葬儀が終わった。
ばあちゃんのおかげで、しばらく会えていなかった叔母やいとこにも会えた。みんな元気そうだった。
ばあちゃんが教えてくれた。最後は誰もが何ひとつ持っていけない。だけど私たち一人ひとりが、ばあちゃんが生きた証。
葉っぱが裏返ったら、また雨が降るよ。
最後のひと息まで、微笑んでくれてありがとう。

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