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交差しない世界

 「あなたはいつも覚えていないって言うじゃないか」
彼はうつむきながら、なんとか聞き取れるくらいの声でそう呟いた。私が聞こえていなくても構わないといったふうに。
 彼は私と口論になるといつだってこの言葉を言う。だからって私が記憶力がないとかそういうことではない。一方で、彼は彼自身が覚えておこうと思った言葉しか覚えていないんじゃないかと思うくらい、私が言ったことはてんで覚えていない。私が彼にあの時こう言った、こう約束したと言っても、そこは、知らない、覚えていない、わからないの3点セットで応じてくる。私が覚えておいてほしいことは全て忘れて、私が全く覚えていないことばかり、ああ言った、こう言った、と頑なに繰り返してくる。
 特に、怒った、拒否した、という事を鮮明に覚えているらしかった。なぜ怒ったのか、なぜ拒否したのか、という理由は全く覚えていない、というよりも皆目見当がつかないというのだ。わからないならばどうしてかと問わないというのも腑に落ちない。

 どんな場面で相手がどう怒ったかは、私にしてみればセットになのが当たり前と思っていたから、彼の口から
「あなたが言ったんだから、あなたが覚えてないんならこっちは知らないよ」
なんて投げやりに言われても、怒ったのも覚えてないんだから理由なんてそんなのわかるわけもない。お互いに知らないよー、の応酬になる。
 拒否された、という話だって詳しく聞いてみたら、私自身はそれを拒否とは思いもしなかった事が多かった。
 一般的に「拒否」というと、とてもインパクトの強い言葉だと思うけれど、彼にとっては、彼から出された提案に私が「うん」と言わなかった事が「拒否」らしい。もちろん私が頭ごなしに拒んだというわけでは全くなく、それもいいけれどこうしてみてはどうだろうかと提案しても、彼の案が肯定されなかったという一点において本人にとっては「拒否」になるようだ。

 どうしてこうも極端なのか。話を聞いて面食らってしまうことが少なくない。今まで私が関わってきた人たちの中にはいなかったタイプの人間だ。
 話し合いができない、提案は拒否と捉える、歩み寄りができない、どこまでいっても彼は「怒った、拒否した」としか取らないし、そこで押し黙り完結してしまう。私は話し合いをしてお互いの思うことを伝えあって、必要なら妥協案や代替案を出してうまくやっていきたいと思っていた。それは何年も伝わっていなかったのだとわかって脱力した。
 知り合って5年余り経った今頃知るなんて、どういうことなんだろうか。少なくとも3年前まではそんな極端ではなかったと思っていた。

 これは完全なコミュニケーションエラーなのだけれど、どう解決すればいいのか、というのが問題だ。

 彼に歩み寄るとか話し合う気がなければ、全てがそこで止まってしまう。もちろん私は、彼が絶対に妥協したくないことがあるならそこは慎重に話し合いをしたいと思う。ただし、その妥協できないことが何なのかを言葉にしてくれない。

 言葉というコミュニケーションツールは、意思疎通を図るためのツールなのに、相手に意思疎通を図ろうとする気持ちがないときには使えない。
 ただ、彼は私とコミュニケーションを取ろうとしていないわけではないと思うのだ。けれど言葉が機能していない。

 言葉が機能するには、相手と自分が同じ言葉で同じことを理解できるだろうという前提があって、そもそもその前提が全く違う事に気づかなければ、どんなに話し合おうとしても話し合いにすらならないのではないかと、今回のことで少しわかった気がする。

 同じ国で生まれ育ち、同じ日本語を話し、近い生活圏(地域的な文化的土壌が近い)にあっても理解できないとかわからないことはあるのだ。
 これは個性と言うのとはまた違うんだろうと思う。
 生まれ育ってきた環境の中でのいわゆる常識だったり、もしかしたら認知機能的な部分、あるいは発達状況(脳の機能と言い換えていいと思う)というグラデーションの中で、相手の普通と、自分の普通が、全く予期しないものだったり、グラデーションが重なる部分が無ければ、こういったコミュニケーションエラーが起こる可能性は誰にでも起こり得るかもしれない。


 どんなに言葉を尽しても難しい場合もあるかもしれない。もしくは計り知れない忍耐と工夫と努力が必要になるかもしれない。

 それでも関わり続けられる相手なのか、関わり続けたい相手なのか、ということを悩み考えながら、どうしていけばお互い幸せになれるのか、考えていかないといけないのだなと、春めいてきた陽射しを感じながら、ため息まじりに頭を痛めている。

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