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ニューロダイバーシティ:発達障害は色である

発達障害大全を読みました。大変勉強になる素晴らしい本でした。「やっぱりそうだったか」、「あっ、そういうことだったのか」などなど、感じることがたくさんあった書籍でした。これから数回にわけて、この書籍を読んで感じたことを綴りたいと思います。

発達障害は色である

発達障害は色に例えるとイメージがわく

発達障害には「重なり」と「濃淡」がある。それはグラデーションという言い方の方があうかもしれません。発達障害にはASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)、LSD(原曲性学習障害)などがあります。また初めて知ったことですが、最近ではDCD(発達性協調運動障害)という、所謂「不器用」や「運動が苦手」というのが含まれるようです。そして、これらの症状が重なりあい、その濃淡も様々というのが発達障害であるということです。
ゆえに、「発達障害は色である」という表現が最もぴったりと感じました。ある症状があれば発達障害といえるわけではなく、検査等の絶対値があるわけでもない、また発達障害は「脳の個性」とも考えられる、中々捉えようがなく、表現が難しいなと感じていたのですが、「色」と例えられると、「腹落ち」しました。「重なり」は混ぜることだし、そのことで「濃淡」がでますよね。その結果、特性として現れる。

発達障害が増えているのは仕事が管理化されたため?

仕事の管理化が進んだことで、個人の自由で働ける環境が少なくなったことが発達障害の方にとって、生きづらさを感じさせている原因の1つではないか、ということです。確かに、昔は個人の酒屋さんや薬屋さん、八百屋さんとかたくさんありましたよね。それらがコンビニやドラックストア、大型スーパーにこの数十年の間に置き換わっていきました。世の中が効率化を求めて、仕事を管理する仕組みを多くの企業が学び、実践し、会社としての成長を遂げ、それを通じて、社会がより発展していったのだと思います。その結果、仕事における個人の裁量の範疇が小さくなりました。効率化された仕事の枠組みにおいては、定型発達の方々にとっては効率的に物事を進めるには良かったのだと思いますが、その枠組みには対応が難しい発達障害を持つ方々には、生きづらさを感じさせることになり、その結果、発達障害と診断を下される方々が増えてきた、ということです。
これは以前、私の Note 「障害は社会が作っている」 で書いた点と合致していると感じました。
一方、最後はなぜかうまくいくイタリア人 に面白いことがかいてありました。イタリアの社会では、日本における効率化のような考えはほぼなく、皆が自己の裁量で動いているようです。例えばバーのようなところであれば、ちょっとした料理をする担当と、配膳する担当は分けた方が効率的な面もあるはずですが、彼らはそんな事をお構いなしに、自分の好きなように動いて、結果的に顧客を待たせることもよくあるそうです。そのことを顧客も特段、問題視することもなく、むしろ従業員も顧客も一緒になって談笑し、「そこにいる今を楽しむ」ことが特段意識することなく、社会に根付いているのだと思います。

考察

考えてみると、「色」という表現は、発達障害の方々だけの話ではなく、定型発達の人だって特性としての重なりや濃淡があるので、結局全ての人の特性は「色」という表現が良いのではないかと思います。そして、仕事が管理化が強化されていったことで、特定の色に染まるように求められ、その色になり切れない場合においては、生きづらさを感じてしまう、そのような社会の仕組みを作り出してしまったのではないかと思っています。全ての人がありのままで、楽しく生きられる社会、そして今を楽しむ社会にしてきたい、そんな思いでこのNoteを続けたいと思います。

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