コードネーム『桐(きり)』~(2)日中和平工作の軍人たち
これは322回目。上海に続いて、北京郊外の盧溝橋で、日中両軍が衝突します。これを現地軍は必死で停戦に持ち込みました。今井武夫もその最前線で交渉に立っていた一人です。
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この白川の殉職を受け、白川の腹心だった田代皖一郎(かんいちろう)参謀長が、白川の後を受けて事態収拾をし、これもまた内外から高く評価された。人物は温厚で、部下から非常によく慕われた。
(田代皖一郎)
この直後、7月7日、ついに盧溝橋事件が勃発する。北京郊外で、日中両軍が激突したのである。田代(佐賀県