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#政治経済&歴史ネタ集

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毎日更新しているエッセイをテーマ別にまとめてみました♪
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#戦争

カルタゴが残したもの ~腐ったら、ただの腐った鯛。

これは388回目。紀元前146年、地中海でも(ということは、当時にあっては世界的にも)トップに…

続・傭兵たちの挽歌

これは380回目。第二次大戦後、現地にとどまって新たな戦争に参加していった日本人たちの物語…

D-デイ~勝利の女神がほほ笑んだのは・・・

これは353回目。第二次大戦中、連合軍が仕掛けた史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦のお…

一発必中

これは334回目。狙撃手(スナイパー)のお話です。兵士の中でもかなり特殊な立ち位置の人たち…

コードネーム『桐(きり)』~(4)日中和平工作の軍人たち

これは324回目。いよいよ、『桐工作』です。日米開戦直前から、敗戦間際まで、ぎりぎりの交渉…

コードネーム『桐(きり)』~(3)日中和平工作の軍人たち

これは323回目。上海で、北京で、あいついで和平派軍人たちが不慮の死を遂げていく中で、かな…

コードネーム『桐(きり)』~(2)日中和平工作の軍人たち

これは322回目。上海に続いて、北京郊外の盧溝橋で、日中両軍が衝突します。これを現地軍は必死で停戦に持ち込みました。今井武夫もその最前線で交渉に立っていた一人です。 ::: この白川の殉職を受け、白川の腹心だった田代皖一郎(かんいちろう)参謀長が、白川の後を受けて事態収拾をし、これもまた内外から高く評価された。人物は温厚で、部下から非常によく慕われた。 (田代皖一郎) この直後、7月7日、ついに盧溝橋事件が勃発する。北京郊外で、日中両軍が激突したのである。田代(佐賀県

コードネーム『桐(きり)』~(1)日中和平工作の軍人たち

これは321回目。流れに抗して孤高の言論を貫くのは尋常ではありません。日中戦争が泥沼に陥っ…

幻の艦隊決戦

これは320回目。戦艦大和のお話です。最近の子は、「やまと」と言うと、宇宙戦艦ヤマトが頭に…

ゲティスバーグの黄昏(たそがれ)

これは、315回目。 ::: これまでもいくつか、戦争に関するテーマで書いてきました。司令…

侵略の定義

これは307回目。先年、ロシアがクリミア制圧をしたのは記憶に新しいところです。当時、ヒラリ…

遅すぎた切り札

これは297回目。大戦末期、米軍を震え上がらせた、日本海軍の局地迎撃戦闘機・紫電改の話です…

運命の選択

これは283回目。フランスの二人の勇将、名将の選択が、かくも悲劇的な結果を招いた例です。運…

それは、海だけが知っていた

これは280回目。英国海軍軍人が、生涯に渡って感謝の念を抱き、尊敬してやまなかった日本の軍人がいました。 ::: 2007年12月7日、8日の両日、元英国海軍士官サミュエル・フォールが来日した。フォールは、旧帝国海軍の駆逐艦「雷(いかずち)」の故工藤俊作艦長を偲ぶ墓前祭と顕彰式に出席するために来日したのだ。工藤俊作は185cm、89kgという大男であった。人柄から「大仏」と呼ばれていた男だ。 (工藤俊作) ことの発端は、遡ること第二次大戦。開戦翌年である。1942年昭