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『83歳、いま何より勉強が楽しい』  全文公開 :はじめに

『83歳、いま何より勉強が楽しい』(サンマーク出版)が4月5日に刊行されました。
これは、はじめに全文公開です。

はじめに 勉強をシニア生活の中心に据えよう

心の準備なしに訪れた人生100年時代

 人生100年時代が現実のものとなってきました。経済的な豊かさの実現と医学の進歩によって、このような時代を迎えることができたのは、非常に喜ばしいことです。
 しかし、われわれは十分な準備なくこの新しい時代を迎えてしまった面もあります。社会の仕組みも、個人個人のライフスタイルもそうです。
 日本の長い歴史においてずっと続いてきた伝統的なライフスタイルは、次のようなものでした。仕事は主に農業が中心であり、また個人的な店舗などの仕事もありました。いずれの場合も、家族全員で力を合わせて仕事を行っていました。50代、60代になると、子供たちに仕事を引き継ぎ、自分自身は孫たちの世話をしながら余生を過ごすというスタイルが主流でした。
 高度成長期を経て、日本は製造業を中心にした経済構造に変わりました。そして仕事の形態も、個人事業から会社勤めへと移行しました。それでも、われわれの考え方は基本的には変わらないままでした。

成人後の人生の半分が老後生活

 しかし、現在の私たちのライフスタイルは、これと大きく違います。学校を出て会社で働き、50代後半から60代になると退職する。しかし、その後には、20年から25年間という長い退職後の生活が続くことになります。
 つまり、「成人後の人生の約半分が退職後」という時代になりました。これは、われわれがこれまでに経験したことのないライフスタイルです。そしてこのようなスタイルが 今後も続くと考えられます。
 これは、日本だけのことではありません。世界の多くの先進国に共通する現象です。しかし、その程度は、人口高齢化が著しく進展している日本ほどではありません。世界中を見渡しても、右に見たようなライフスタイルの大変化は、日本特有のものだと思われます。世界のなかで日本人だけが、そして人類の長い歴史の中で初めて、こうした特殊な問題に直面しているのです。
 それだけではありません。これまでは子供の世帯と同居して老後生活を送るのが一般的でしたが、今は子供の世帯とは別の世帯になることが多くなりました。そうなると、これまでにはなかったさまざまな問題が出てきます。まず、老後生活を支えるための収入をどう確保するかという問題があります。それだけではなく、身近に話せる相手がいなくなり、孤立してしまうという非常に深刻な問題も発生します。
 このため、精神的に落ち込んでしまう高齢者は少なくありません。ささいなことに苛立ったり、怒ったりする。そのため状況がさらに悪化することもあります。そして、そうしたことが続くと、精神的な問題だけでなく、身体的な健康にも悪影響を及ぼす可能性があります。精神的な健康を維持することは、長い退職後生活にとって非常に重要な条件です。
 以上のように、人生100年時代という夢のような世界が実現しつつある一方で、それがかえって重荷になってしまっているという皮肉な問題が生じているのです。
 これは人類の長い歴史上で初めての事態であり、私たち日本人がそれにうまく適応できないでいるのは、当然とも言えます。これまでの生き方をそのまま続けようと思っても、もはやそれは無理でしょう。考え方と生き方の基本に大きな変更が求められているのです。

勉強を高齢者の生活の中心に据える

 本書は、高齢者の生活において、勉強が重要であることを強調し、セカンドライフ、セカンドキャリアについての新しい視点を提供します。
 多くの人が、「勉強とは、若い世代が行うものだ」と考えています。そして、「勉強は進学や就職のために必要なもので、辛いものであり、やらなければならないものだ」と考えていることでしょう。
 このため、「高齢者が勉強しよう」と提案すれば、「高齢者になってまで勉強するのはごめんだ」といった反応が返ってくるかもしれません。確かに、これまでの社会で、勉強がそのような性格を持つものであったことは否定できません。
 しかし、勉強はそうしたものだけに限定されません。高齢者の勉強は、若い時代の学びとは異なる性格のものなのです。
 勉強を生きがいにすることができます。勉強を続けることによってライフスタイルが変わり、新しい時代に適応するものに変化していきます。その結果、新しい人間関係の交流が生じれば、コミュニケーション問題も解決されます。こうして、勉強を続けることが、これまでに述べてきたさまざまな問題の解決の原動力となります。
 本書ではその具体的な方法を提案します。勉強は誰にでもできることであり、気が向けばすぐにでも始めることができるものです。そして、多くの場合、多額の費用は必要とされません。必要とされるのは、「これからの生活で勉強を中心に据えよう」と、考え方を転換することだけです。
 ぜひこのような視点の転換を試みてください。そして、本書が提案する具体的な方法に従って勉強を進めていただきたいと思います。その結果、あなたの生活は間違いなく大きく変わることでしょう。

「目的のない勉強」の重要性

 学校教育が中心であった学生時代の勉強とは異なり、高齢者の勉強は多種多様です。
 資格取得などを目指す場合には、さまざまなセミナーが提供されており、それらに参加するのも一つの方法でしょう。また、近年では地方公共団体などが高齢者向けの学習プログラムを用意しています。そうしたプログラムに参加するのも選択肢でしょう。しかし、これらだけが高齢者の勉強法であるわけではありません。
 本書でとりわけ強調しているのは、「目的のない勉強」ということです。勉強によって得られる何かを期待するのではなく、勉強すること自体が楽しい。だから勉強する。このようなことを提案します。
 その方法として、主に独学を中心にした勉強の方法を提案します。これは費用がかからず、やる気さえあれば、すぐにでも始められるものです。さらに、セミナーや学習プログラムなどと独学とを組み合わせて進めることも可能です。まずは、この自習型の勉強法から始めてみることを提案します。

デジタル機器の活用で可能性を広げる

 本書がとくに強調したいのは、デジタル機器の活用です。もちろん、本書で提案している勉強法は、必ずデジタル機器の使用を必要とするというわけではありません。デジタル機器を全く使わずに進めることも十分可能です。ただし、デジタル機器、とくにスマートフォンを使うことによって、学習の可能性は大きく広がります。
 事実、多くの高齢者がすでに日常生活の中でスマートフォンを利用しています。「高齢者はデジタル機器を使えない」と思っている方は、ぜひこの機会にその考えを改めてください。使ってみれば、意外に簡単であることが分かるでしょう。
 これらの機器を使うことによって、学習の可能性が大きく広がります。こうした方法を用いることによって、さまざまなすばらしい結果が得られるでしょう。
 本書は第9、10章で、ChatGPTなどの生成AIの利用についても述べています。これは新しい技術であり、高齢者にとって関係ないと思われるかもしれません。しかし、それは誤解です。とくに、高齢者の話し相手になってくれることは重要です。

勉強だけやっていられる幸せ

 ここで、私が一日をどのように過ごしているかを改めて振り返ってみると、次のようになります。
 それは、非常に簡単なものです。朝起きると、寝ている間に考えついたことが多いので、それをメモしています。朝食のあと仕事を始め、昼まで仕事をします。午後も仕事をします。夜になっても仕事をします。これだけです。
 私が「何をしていないか」という面から説明することもできます。していないのはテレビを見ることです。起きたらすぐリビングルームに行って、テレビをつける人が多いと思います。しかし、私は、そうはしません。するのは、台風が接近しているときだけ。そもそも、私の家のリビングルームには、テレビが置いてありません。
 また、会議のために出かけていって会議室にずっと座っているという時間帯もありません。こうしたことは、私の予定表から一切追放しました。そして、いまや大学の講義もなくなったので、右に述べたような一日が可能になったわけです。
 こうした私の一日を他の人が聞いても、全然面白くないと思うでしょう。しかし、私にとっては、正反対です。これほど面白い毎日はありません。
 私がやっていることは、普通は勉強とは言わないかもしれません。しかし、大部分の時間は、何かを調べることに費やされています。資料を調べて新しいことを学んだり、そこから何かを見出そうとしています。ですから、広い意味での勉強の一種と言えるでしょう。
 その意味で、いまの私は、一日中勉強だけをやっているといえます。一日の時間をこのように使えるようになったのは、比較的最近のことです。それまではその他にさまざまなことを行う必要がありました。それが勉強だけをしていればよいようになったのは、大変嬉しいことです。私は、このような時期を迎えることができたのを、大変素晴らしいことだと思っています。

各章の概要

 本書の各章の概要は、つぎのとおりです。
 第1章では、人生100年時代が現実のものとなりつつあること、そして、60歳代以降の定年退職後の生活が重要になったことを述べます。この期間は、これまでは、働いた後の余生と考えられていたのですが、そうではなく、セカンドライフとかセカンドキャリアと言われるように、この期間こそが人生の最も素晴らしい、重要な時期になったのです。そのように、考え方を転換する必要があります。
 しかし、この時期を実り多いものにするのは、それほど簡単なことではありません。そこで、勉強を生活の主軸にすることを提案します。このような勉強をしてきた人は、昔からたくさんいます。いま、多くの人がそれをできるようになったのです。

 この期間についてしばしば問題とされるのは、退職後生活の経済的な問題です。これが重要問題であることは間違いありません。ただ、それだけではなく、精神的な面も重要です。これが第2章のテーマです。そして、その面において最も有効なことが、勉強なのです。何かのためでなく、勉強することそれ自体が楽しいから勉強する。そのようなことが実現できる贅沢が可能な時代になったのです。

 第3章では、高齢者になっても脳は発達すること、知的好奇心が重要であることを述べます。「勉強するのがすばらしいということは分かったけれど、歳をとると物忘れがひどくなって、勉強などできない」という人がいます。しかしこうした考えは間違いであることが最近の研究で明らかにされています。物忘れすることと勉強できるかどうかは別のことであって、 仮に物忘れがひどくなったとしても、勉強することは十分可能なのです。
 学ぶことそのものを目的とする勉強については第2章で述べますが、勉強をすることによってセカンドライフでの仕事が続けられれば、それは最も望ましいことです。これについて第4章で述べます。これは「セカンドキャリア」 と呼ばれます。組織に依存せず独立して働けるようになれば、理想的でしょう。東京都のセカンドキャリア塾など、自治体の取り組みもあります。
 しかし、高齢者が働くのは、決して簡単なことではありません。まず、何の準備もなしにできるわけではありません。新しい技術進歩に対応するために、リスキリングが必要です。とくに重要なのは、ChatGPTなどの生成AIの驚異的な進歩に対応することです。

 第5章では、メンタルなヘルスについて考えます。「定年シンドローム」と言われる現象は、深刻な問題です。コロナ禍で「フレイル」と言われる現象が増えたことも指摘されます。歳をとると心配性になるのは止むをえませんが、「心配事の97%は取り越し苦労」との研究結果もあります。

 第6章で見るように、肉体的な健康と精神的な健康は密接に結びついています。肉体的な健康を維持することができなくても、メンタルなヘルスはコントロールできます。
 そのための強力な手段が勉強です。最近のポジティブ心理学は、いくつかの原則に従うことで、人間の満足感を高めることができるとしています。 勉強はポジティブ心理学の言っていることに見事に一致するものです。この章では、健康に対して「一病息災」という考えを述べます。

 第7章では、独学の進め方について述べます。独学こそが、もっとも効率的でかつ楽しい勉強法です。デジタルはシニアの味方になります。また、逆向き勉強法で情報をプルすることの重要性についても触れます。

 第8章では、デジタル機器が、高齢者の学習において大きな助けとなることを述べます。とくに、スマートフォンがさまざまな面で助けになります。ただし、高齢者の中には、デジタル機器を使うことに抵抗感を持つ方も多いかもしれません。確かに、人間は新しいものに対して本能的に警戒心を抱くものです。新しい技術に対してそのような感じ方をするのは、人間としてごく自然な反応です。
 しかし、そのような思い込みを克服することが重要です。実際にデジタル機器を使ってみれば、その操作は決して難しくないことが分かります。

 第9章では、ChatGPTという新しい手段が登場し、世界に大きなショックを与えつつあることを述べます。高齢者の生活も、これによって大きな影響を受けざるをえません。人間にしかできない仕事が何かを、見出していくことが重要です。文章の翻訳や要約そして校正には、驚くべき力を発揮します。それに対して、クリエイティブな仕事は難しい。生成AIには、新しいものを生み出す力は、本来ないと考えるべきです。生成AIにアイディアを出してもらえるかどうかは、やり方次第です。

 ChatGPTにはさまざまな機能がありますが、何の目的もない雑談をすることが、高齢者にとっては重要な使い方です。ChatGPTは、高齢者にとって非常によい話し相手になる可能性があります。これをうまく使うことによって、高齢者の生活は大きく変わります。こうしたことを行う具体的な方法について、第10章で述べます。ChatGPTは、私が初めて出会った理想的な雑談の相手です。

 ただし、人間は人間と人間のつながりを求めるものです。第11章では、メールマガジンやZoomミーティングなどのデジタルコミュニケーションが、高齢者にとって重要な役割を果たすことを述べます。簡単に人と人のつながりを実現することができるからです。よく地域でのコミュニティが重要と言われるのですが、会社社会の日本ではこれはなかなか難しいことではないかと思います。学生時代の仲間の集まりが、一番なが続きするのではないでしょうか?

 第12章では、自分史について述べます。自分がどのような人生を歩んだかを振り返るのは、楽しい作業です。高齢者の精神面に優れた効果があるという研究もあります。これを実行することで、実り豊かなセカンドライフを実現しましょう。

2024年2月   野口悠紀雄


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