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MMTとは何か?どこが問題か?

◇注目を集めるMMT
 MMT(Modern Monetary Theory:現代貨幣理論)という考えがアメリカで注目を集めている。日本でも、国会で議論された。
 これは、自国通貨建てで政府が借金して財源を調達しても、インフレにならないかぎり、財政赤字は問題ではないという主張だ。ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授などによって提唱されている。
 この考えに対して、主流派経済学者や政策当局者は、異端の学説として強く批判している。

◇マネーがマネーになるのは、人々がマネーとして認めるから
 MMTは、いくつかの理論を根拠としている。一つは、ドイツの経済学者ゲオルク・クナップによって20世紀初頭に唱えられた貨幣理論(「チャータリズム」と呼ばれる)だ。これは、貨幣は素材の価値があるから通用するのではなく、国が価値があると宣言するから通用するという考えだ。
 もう一つは、20世紀中頃のアメリカの経済学者アバ・ラーナーの主張だ。内国債は、国から見れば債務だが、民間の国債保有者から見れば資産だ。両者は帳消しになる。したがって、「将来時点で、外国に支払いするために国が使える資源が減る」という意味での「国債の負担」は発生しない。この点で、内国債と外国債は経済効果が異なる。
 さらに、ケインズ経済学がある。これは、経済が不完全雇用にあって遊休資源があるなら、財政赤字によって財政支出を増やすべきだとする。MMTが「インフレにならない限り」と言っているのは、「不完全雇用なら」というのとほぼ同じだ。だから、これはケインジアンの理論そのものだ。

◇MMTの考えは新しくない
 ところで、以上で述べた理論は、いまでは経済学者に広く受け入れられており、格別新しいものではない。
 クナップのチャータリズムは、金本位制が万能と考えられていた20世紀初頭の世界では異端の考えだったかもしれないが、管理通貨制に移行した現代の世界では、ごく当たり前のものだ。
 本書でも、「マネーがマネーとして機能するのは、その素材に経済的な価値があるからではなく、政府がそれをマネーとして認めるからではなく、人々がそれをマネーとして認めるからだ」ということを強調した。
 金貨のように素材に価値がなくてもマネーとして通用することは、中世のイタリアの商人たち(=初期の銀行家)が証明したことだ。国家がいくらマネーだと宣言してもマネーとして通用しなくなることは、ジョン・ローの事件、第1次大戦後のドイツのインフレ、ソ連のインフレなどで実証されたことだ。
 ラーナーの考えは、いまでも一般には理解されていないことが多い。財政赤字を家計の借金と同じようなものと見なして、「負担を将来世代が負うから問題」という考えは、マスメディアではごく普通に見られる。しかし、経済学者の間では、内国債が自分自身への借金だという考えは、既に1940年代に確立されており、正統的なものだ。ポール・サミュエルソンは、この考えを、「戦争の費用を内国債で戦後に転嫁することはできない」と表現している。
 ケインズ経済学も、多くの経済学者によって広く受け入れられている。
 
◇財政赤字を継続的な財源とすれば、多くの問題が起こる
 以上で述べた限りでは、MMTは「モダン」と称してはいるものの、あまり目新しい考えではない。では、どこが新しいのか?
 それは、財政赤字を、長期的な施策の継続的な財源としていることだ。
 いまMMTが論争となっているのは、アメリカ民主党左派にグリーンニューディール( 地球温暖化対策)や国民皆医療保険などの大型の歳出拡大が必要との意見があり、その財源としてMMTが提唱されているからだ。
 そして、民主党の急進左派を中心に支持者が増えている。これが、アメリカの大統領選挙で争点となる可能性がある。
 ケインズ経済学で財政支出を増やすという場合に考えられているのは、短期的な需要を調整するための一時的な支出だ。これらは、経済が完全雇用になれば、すぐにやめることが想定されている。
 ところが、上に述べたような施策は、完全雇用になったからといってすぐにやめられるものではない。
 「インフレにならなければ問題ない」というのだが、政策をすぐにやめられなければ、インフレになる可能性がある。そうなれば、大きな問題が生じる。
 ケインジアンと見なされている論者までもがMMTに反対を表明しているのは、このためだ。
 「インフルにならなければよい」と言うが、過去の歴史を見る限り、それが難しかったのだ。インフレになれば、人々はマネーをは認めなくなり、このシステムは動かなくなる。
 MMTは、単なる仮定の上に成り立っているものでしかない。現実には機能しないのだ。

◇ハーヴェイロードの仮定
 さらに、インフレが生じない場合においても、問題がないわけではない。無駄な歳出が行われる可能性が高いからだ。
 イギリスの経済学者ロイ・ハロッドは、ケインズの理論は「ハーヴェイロードの仮定」に立っているとした。これは、財政支出が賢人たちによって決められるということだ。しかし、現実の政治プロセスでは、この仮定は満たされず、大衆迎合的な決定がなされる。
 このことは、ジェイムズ・ブキャナンなどによって、1960年代から70年代に指摘された。ブキャナンの理論はノーベル経済学賞を受けた。
 問題はこのように、純粋に経済的な問題というよりは、政府支出に関する政治的なメカニズムの問題なのである。
 簡単に言えば、増税でまかなうとすれば反対が強くて実行できない政策でも、財政赤字でまかなうとすれば通ってしまうということだ。例えば、増税して戦費を賄おうとしても政治的な抵抗が強くてできないが、財政赤字で賄うことにすれば、負担が意識されないので財源が調達できてしまい、実際に戦争が起きる。
 こうしたことによって資源配分が歪められれば、将来の生産力が低下する。このような意味において、「国債の負担」が発生しうるのである。

◇MMTは異端の学説だが、影響力を軽視すべきでない
 日本はすでにMMTを行なっているという指摘がある。これは、日本銀行の異次元金融緩和政策によって、大量の国債を市中から買い上げたことを指している。国会の議論でも、こうした指摘が行われた。MMTを主張する人たちのなかにも、そうした指摘をする人がいる。
 ここで注意すべきは、日本の場合、大量の国債が購入されたのは事実だが、まだ貨幣化までは至っておらず、日銀当座預金が増加したままの状態になっていることだ。これは、MMTの主張者が言っていることそのものではない。
 ただし、市中から国債が減少した結果、財政赤字に対する危機感が弱まったことは否定できない。現在の日本でインフレが起きているわけではないが、財政規律が失われていることは間違いない。
 第1に、これまでは、金利が上昇すると、銀行保有国債の価値が減額し、これが銀行(とくに地方銀行)のバランスシートで問題を起こすと懸念されていた。銀行保有国債が減った結果、この問題への関心は薄れたように思う。
 第2は、国債利子の支払いや償還金だ。まず金利が低下した結果、新発債の利子負担が減少した。
 さらに、既発債についての負担も、つぎの理由で減少した。国債を民間主体が保有している場合、国が支払う利子や償還金は、民間に対する支払いになる。ところが、国債を日銀が購入してしまうと、これらは日銀納付金を通じて国に環流する。だから、国庫にとって負担がないような状態になってしまった。
 以上を考えると、今後の日本で、「財政赤字は問題ないのだから、歳出を拡大(あるいは減税)せよ」という声が強まる危険は否定できない。

◇財源の裏打ちがない社会保障の拡大
 実際、財政赤字縮小への努力は、すでに閑却されている。
 政府は、財政再建目標を立てたが、達成できていない。それにもかかわらず、これが重大な問題だとして議論されているわけではない。
 社会保障制度では、制度を支える財政的な基盤は確立されていないままに、将来の給付が約束されている。年金もそうだ。医療保険もそうだ。
 消費税率の10%への引き上げは、これまで2回延期された。また、将来の社会保障費増大の影響を考えると、消費税の税率をさらに引き上げる必要があると考えられるが、そうした議論は、まったく行われていない。
 年金財政について、2014年の財政検証は、保険料率を引き上げなくても、今後の年金財政に問題は生じないとしている。これは、実質賃金が非現実的なほど高い率で伸びると想定されているからだ。
 異端の学説であるからといってMMTの影響力を軽視するのは、危険なことだ。

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