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『入門 米中経済戦争 』:全文公開 第6章の5

『入門 米中経済戦争 』(ダイヤモンド社)が11月17日に刊行されました。
これは、第6章の5全文公開です。

5 「共同富裕」に中国の企業や富裕層が怯えるのは十分な理由がある

「共同富裕」が現実の政策目的に
 習近平中国国家主席は、2021年8月17日、経済問題を協議する重要会議、中央財経委員会で「共同富裕は社会主義の本質的な要求」と表明した。「共同富裕」とは、貧富の差をなくして、すべての人が豊かになることだ。
 共同富裕という考えは、いま初めて出てきたものではない。鄧小平は「豊かになれる者から先に豊かになる」という「先富論」を唱えたが、1992年の南巡講話では「先に発展した地域が遅れた地域を引き上げ、最終的に共同富裕に到達する」とも述べた。
 17年10月の第19回党大会では、今世紀中頃までに「人民の共同富裕を基本的に実現する」という目標を掲げた。20年秋の五中全会(中国共産党中央委員会第5回全体会議)では、浙江省を先行モデル区に指定して、35年までに共同富裕を実現することが提起された。
 21年7月1日、中国共産党創立100周年の祝賀で、党の長年の目標だった「小康社会(人々がややゆとりのある生活を送れる社会)」の全面的な実現が宣言された。そこで、つぎの目標として、共同富裕が取り上げられたと言われる。

IT企業規制の最大の理由は格差是正だった
 本章でこれまで見てきたように、IT企業に対して規制強化や多額の罰金措置などが続いていた。こうした強硬政策がとられる理由として、いくつかのことが考えられるのだが、分配問題が決定的に大きいことが分かった。
 一方において、目覚ましい発展をするIT企業がある。しかし、その成長の恩恵が国民に及ばない。もはや、現状を放置できないのだ。
 中国では貧富の格差が大きい。中国の調査会社が発表する世界長者番付「胡潤百富(フルン・レポート)」によると、2020年に10億ドル以上の資産を持つ中国人は1058人となり、アメリカの696人を上回った。一方で、中国には月収1000元(約1万7000円)程度で暮らす人が約6億人もいる(日本経済新聞、21年8月27日)。
 17年の中国のジニ係数は0・467だ(日本経済新聞、18年2月13日)。社会騒乱多発の警戒ラインは0・4と言われているが、これを大きく超えている。格差は、ゼロ・コロナ政策によってさらに拡大する傾向にある。
「小康社会が実現できたから、より高次の目的として共同富裕に向かう」というよりは、「国民の不満が強まっているので、強力な所得再分配政策を行なわざるをえない」ということではないだろうか?

第3次分配? 寄付?
 共同富裕は、抽象的に考えれば、望ましい目標だ。問題はそれを実現する手段だ。
 2021年8月17日の会議では、共同富裕を実施する手段として、「1次分配(市場メカニズムによる分配)、再分配(税制、社会保障などによる分配)、3次分配(個人や団体が寄付や慈善事業などで富を第三者に分け与える)を協調させて、基礎的な制度を準備する」という考えが示された。
 注目すべきは、3次分配という手段が前面に押し出されていることだ。
 これに応えて、テンセント(騰訊)は、500億元(約8500億円)を、農村振興や低所得者向けの医療・教育支援事業などに充てる計画を直ちに公表した。これが発表されたのは、政策公表からわずか26時間後だ。異常な速さと言える。他社も追随するだろう。

中国では税制を通じての再分配ができない
 本来であれば、所得の再分配は税制で行なわれるべきだ。共同富裕にも、形式的には税が使われることになっている。しかし、十分に機能するかどうか、疑わしい。
 まず、中国の個人所得税は規模が小さい。財政収入のうち、所得税収入の比率は極めて低い。
 こうなるのは、一つには国民の大多数の所得水準が低いことだが、高所得者層の所得の捕捉率が低いことも理由だ。その上、2019年からは大幅な減税が行なわれている。
 では、法人税はどうか? 中国には、日本の法人税に相当するものとして、「企業所得税」がある。事業活動によって取得する所得が課税対象で、基本税率は25%だ。
 ただし、ハイテク企業には優遇措置があるので、負担率は25%より低い。この優遇措置を廃止して、負担率を25%に近づける可能性はあるが、それだけでは十分でない。
 また、固定資産税や相続税を導入するとの観測もある。しかし、総じて、税を活用する余地は少ないと考えられる。

民主主義国家の寄付は「啓発された利己主義」による
 寄付制度は、日本も含めて、民主主義国家にも広く存在する。ただし、それは、寄付行為を市場が肯定的に評価するという条件下で機能している。
 法人が寄付をすれば、株主に対する配当が減るから、寄付行為は本来は株主の利益に反する行為だ。しかし、それにもかかわらず企業が寄付するのはなぜか?
 これに関して最も説得力のある理由づけは、「企業が寄付をすれば、社会的なイメージが高まり、長期的な利益最大化のためにはそれが役立つ」というものだと思う。つまり、寄付は、イメージ向上を通じて、利益を最大化するための手段なのである。
 1950年代に、IBM初代社長のトーマス・J・ワトソンは、「enlightened self-interest」という概念を提唱した。これは「啓発された利己主義」と訳せるだろう。この概念は、IBMのその後の発展に重要な寄与をしたと考えられる。
 企業が社会に奉仕するのは、それ自体が目的だからではない。それによって企業のイメージが向上すれば、長期的には企業の収益に貢献するからである。寄付もその意味で役立つのだ。
 ここで重要なのは、寄付の評価はマーケットが行なっていることだ。消費者は、寄付をする企業の製品を購入するし、投資家は寄付をする企業に投資する。
 しかし、中国の場合、その評価をするのは政府・共産党だ。形式的な目的は貧しい人々の所得を増やすことだが、実際には、企業や富裕層をコントロールするための手段として用いることになるだろう。寄付が不十分と判断すれば、なんらかの制裁措置を加える。しかも、十分か不十分かの判断は恣意的に行なわれる。

毛沢東の亡霊がアリババを潰す?
 アメリカでは、1870年代から1900年代にかけて、工業化が急速に進展した。石油の鉱脈が開発され、大陸横断鉄道で東海岸と西海岸が結ばれた。鉄鋼業などの重工業が発展し、大企業がつぎつぎと生まれた。
 19世紀末から20世紀の初めにかけてのアメリカ社会を、マーク・トウェインは「金ぴかの時代(Gilded Age)」と呼んだ。「Gilded」とは、無垢の金ではなく、表面だけに金が塗られている「金メッキ」のことだ。新しく誕生した大企業経営者が空前の富を蓄積したことを、皮肉を込めてこう呼んだのだ。
 この時代に活躍したのは、つぎのような人々だ。「鉄道王」のコーネリアス・ヴァンダービルト、「鉄鋼王」のアンドリュー・カーネギー、「石油王」のジョン・D・ロックフェラー、そして、「自動車王」のヘンリー・フォード。
 他方で、貧しい移民がアメリカにやって来て、格差が拡大した。それに対処するため、独禁法・連邦所得税の導入、連邦遺産税・贈与税の導入など、さまざまな改革が行なわれた。そして、金ぴか時代が終了した。
 中国でも、いま金ぴか時代が終了しようとしている。
 しかし、アメリカと中国では大きな違いがある。アメリカでは、所得再分配のルールは分かっている。寄付が十分か否かを判断するのは市場だ。企業や富裕者が怯えることはない。
 中国では、本来は自発的行為であるはずの寄付が、事実上強制される。ルールは不明であり、寄付が十分か否かは、権力者の恣意的判断に委ねられる。
 負担を迫られる富裕層や大企業の間で警戒感が高まり、動揺が生じている。また、投資家は狼狽している。こうした恐怖は十分根拠があるものだ。
 アリババの創業者ジャック・マー氏は、2020年10月下旬に上海市で開催されたカンファレンスの講演で「未来を規制するために昨日の方法を使うことはできない」と言った。
 誠に正論だと思う。しかし、いまや毛沢東の亡霊が蘇ろうとしているのだ。それがアリババを叩き潰したとしても、少しも不思議ではない状況になっている。
 中国に対する投資は重大な転換点を迎えた。



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