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うちのサンタさんって

わたしは、とにかくおりこうさんだった。

おりこうさんすぎた幼少期をひどく後悔しているぐらいに、
おりこうさんだった。

わたしが小学時代の大半を過ごした平成時代でも、
小4ぐらいになると、
「サンタさん、まだ信じてる?」
とかいってくる、女子がいた。

そんな子には、「信じてないよ。」とさらっと言いながらも、
こころのなかでは密かに信じてるこどもだった。

そんなわたしのこころのなかは、もちろん親にも見透かされていた。

うちの母親は、女子を5人も育てているから、子育てのプロみたいなもんだ。(父は、ほとんど家にいなかったから、アマ中のアマ)女子のちょっとした嘘なんか、あっという間に気づいて指摘してくる。(めんどくさい)

ちなみに、サンタさんが選ぶプレゼントにも、家庭の経済状況が反映しているようにも思えた。

3番目の姉までは、高校卒業までサンタがきていたのに、
わたしは中1までしかこなかった。
残念なことに、中2のクリスマスは、姉と3人、親戚がいるアメリカで過ごしたのだ。
サンタさん、アメリカまでちゃんと来てくれると信じてたのに。

そんなわたしは、毎年必ずサンタさんに手紙を書いていた。
日本語で書いても、サンタさんは英語(筆記体)で返事をくれた。
ちいさいころは、英語で書かれたお返事が読めなかったから、母になんて書いてあるのか、きいていた(英文科卒)。

サンタさんに手紙を書いていると、母が「何にしたの?」ときいてくる。
「自転車」というと、「それは持ってこれないんじゃない?」とか、うまい具合に誘導されていたなと、あとから気づいた。

さすがにサンタさんの存在にうすうす気づき始めた小5のクリスマス。
なぜか、サンタさんからのプレゼントは、テディベアとセットのくまの絵が描かれたバッグだった。

小5でテディベアはない。
全私がつっこんだ。
たしかにかわいいぬいぐるみだったけど。

後から聞いた話。
当時の私はゆめのない子供だったらしく、わたしの行く末を心配した母が、姉がにテディベアを買ってくるように指示したらしい。

ちょっとはゆめのあるオトナになれたかな。

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