「良いこと言ったろー感」への苦手と憧れ
そもそも「良いこと言ったろー感」とはなんだろう?
人が集まる場所での挨拶、飲み会の締めであったり
結婚式での言葉にそれを感じるかというと、感じない。
「良いこと」を言うことを求められているから。
良い雰囲気を取り繕うために求められているから。
取り繕う。求められる。
SNSで唐突な感謝の言葉。
いかにも量産型自己啓発本に書かれていそうな言葉。
良いことには違いないけど、
体験に紐付いていない(ように見える)薄っぺらい言葉。
そこには、言葉通りの思いだけがあるの?
感動や知見の共有だけの思いなの?
飾りじゃないの?
せめて、もうちょっと上手く隠してよ。
求めてないよ。
飾りのためのコミュニケーションに人を付き合わせるなよ。
おい、You。そんな話に付き合ってんじゃないよ。
Youはその人にとってアクセサリーなんだよ。
飾り。打算。ブランディング。
良いことを言った時の利益が優先されているような感じが苦手。
ただ、「良いこと言ったろー感」で言葉を放つことへの
憧れはある。
羨ましいと感じる。
飾ることを考えた時、私の脳は見事なまでにフリーズする。
なんなら取り繕う必要がある時さえ、フリーズしている。
飾れた方が生きやすいと感じる。
そう感じる私は、ひねくれているかしら?
日勤&夜勤変幻自在のオンシーズンも
ひとまず今日で一段落。年末までオフシーズン。
土日も問答無用、20時間くらい営業してそうな感じには変わりないけど。
これから自律神経を取り戻すべく岩盤浴に行ってくる。
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