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ベトナムで学んだアレコレとこれからについて

2021年の年末、日本へ帰ってまいりました。

2018年6月にベトナムに行ってから、あれよあれよとあっという間に約3年半が経ってしまい、ベトナムに来たばかりの頃や1年経った時に書いた備忘録を見返しながら(自分なりに)こんなに長く住めるとは思わなかったなぁ...と改めて感じます。

本当は帰ってくる前に帰国エントリー的なこと書きたかったけれど、なんか帰国って大変で色々やること多いのですよね。会社を退職するのでも引継ぎやらなんやら、あとはバイク売ったり、ジム解約したり、銀行口座閉じたり、アパートメント解約したり、友達とかお世話になった人に色々挨拶したり、PCR検査やらドキュメント用意やらなんやらで、とても時間がなかった!ある意味での終活でした。

帰国して4ヶ月経って日本の感じにも馴染みつつあるので、またこの時の心境を忘れないよう記録としてしたためておこうと思います。

2020年コロナ騒動からの2年

思えば在住期間の半分はCOVID-19との戦いでした。

2020年時点では大きな騒ぎにはなりましたが、ベトナム政府による迅速な国境封鎖や規制を駆使してのゼロコロナ政策が上手く効き、台湾やスウェーデンと並んでコロナ政策に成功した国として世界でも報じられていました。しかしそんな成功体験から一転、2021年には北部や南部でも、中国やカンボジアからの陸路での密入国などの要因から徐々に感染者数が増えていきます。

日本ではお目にかかれないようなホンマもんのロックダウンを経験したのは良い経験にはなったものの、半年間ほぼ家から全く外に出ない生活はヘビロテどころじゃない無機質な生活の無限ループで感受性が死にかけていました。合間合間で東京オリンピックをVPN繋いでネット観戦したり、NetflixやAmazon Primeの無限エンタメをぐりんぐりんに回して箸休めしながらなんとかして乗り切った感があります。

多くの国でロックダウンが発令されて街から人が消え、日本でも自粛期間がありました。欧米程の強制力はないものの(一部地域では完全外出禁止期間がありました)ベトナムでもバイクだらけの国でそれが街から消えるという異様な光景を目にしました。東南アジアなんてわちゃわちゃこそが価値なのに、それがなくなったらどうするの?って感じ。

定常運行時
ロックダウン時

仕事も任されることはある程度自信を持ってできるようになった実感がついてきた一方で、来年(2022年)には30歳を迎えるにあたってちょっと年齢的なものも意識するように。コロナ禍で身動きが取り辛くなってきてから1年、何か今の現状を変えたいかもという気持ちが少しずつ芽生えてきました。それが2021年の5月くらいのこと。日本のGWと同じ時期にベトナムでもちょっとお休みがあったので、台湾人の友達と数日間、北部のハノイとハイフォンでゆったり時間を過ごしました。母国を離れて外国に暮らす時に何を思ってどういうふうに生活して生きてる?将来どうするのー?みたいな話をしたりして。コロナ禍の影響もあって皆母国に帰ろうかなって気持ちが強くなってる話も聞きました。事実自分の周りの友達でも、肌感6〜7割は母国に帰っちゃったと思います。そんなこんなの話もあって旅の道中でもベトナムを噛み締めよう的な感じの心境になっていました。

旅行から帰ってきて仕事再開。
と思いきや、北部・中部に行ってきた人はオフィス来るな司令が入ってリモートワークが始まりました。今だと当たり前な感じですが当初はなんかぎこちなかったですよね。慣れないし。最初は確か3週間くらいの予定だったのに、同時にホーチミンでもチラホラ感染者が増えてきたので、社会的隔離措置が発令されました。でもここホーチミンだし、ベトナムで一番大きい都市だしフードデリバリーは流石に止まらないっしょ。また1~2ヶ月で終わるっしょ。と思っていましたが、今回のは一昨年のとは様子が違う。急病とか緊急の用がない限り外出は基本禁止、お店もコンビニもスーパーも全て閉鎖。最初は1ヶ月とか集中的に抑え込む計画でしたが、それでも感染者は減らず、数週間~1ヶ月の期間の延長。期限が来ても改善されずまた延長。その繰り返しで結局、約半年間も続くことになろうとは、最初の時点ではとても想像できませんでした。

そのロックダウン中の確か2ヶ月目?くらいで上司に退職する旨を伝えました。コロナの今の状況と自分のキャリアや今後について思うことがあり、タイミング的に今かなと思って日本に一旦帰ろうと思います、と。驚かれましたが、驚かれるだろうとも事前に思っていたので、あと半年間の間で会社の期末までの目標未達部分を達成させて、引き継ぎも全部責任持ってやりますと伝えて了承していただきました。辞める半年も前に先に伝えたのは、その時点で煩雑な手続きなしですぐに日本に帰れる状況ではなかったのと(後に当時の外務大臣が日本人も帰ってこないでーとか言うしね、すぐに撤回されましたが)、辞める意向を固めてそれを秘めたまま仕事するのがしんどいなと思ったので正直に伝えようと。またそれを受け止めてくれる上司でもあったので幸いでした。

帰国する2021年12月までの半年間、あの時間はなんとも言えない空虚さとの戦いでした。厳しかったのはフードデリバリーが止まった2ヶ月?くらいの一番ハードな時期に食べるものもないしどうしようって中で、アパートメントのオーナー家族が昼夜料理を作ってくれて「一緒にご飯食べよー。困った時はお互い様だよ。」なんて言ってくれて、日本ではあまり聞かれる機会がなくなったその言葉で本当に救われました。デリバリー停止期間が終わった後も帰国するまでずっと作り続けてもらいました。お金払おうとするとニコニコしながら首を横に振る。結局半年間タダ飯食ってたなぁ。飯の恩って一生忘れないですよね。マジで。

印象的だったのは帰る前日に友達が自分のバイクを買ってくれて家まで取りに来てくれた時、急にオーナーの叔母さんが泣き始めたこと。その叔母さんが食事の用意、部屋の掃除、洗濯まで全てやってくれたのですが、英語が話せなかったので僕のそのベトナム人の友達に「Yukiに伝えてほしい。本当に家族の一部のように今まで思っていた。今の状況で日本に帰っちゃうのは、私たちに何か足らないところがあったから?もしそうだったら本当にごめんね。息子のように思ってたから本当に寂しい。」と伝えたそうで、後で通訳してくれました。いやそれどない!むしろ今日まで生き延びれたのはあなた方ファミリーのおかげでしかないのに。まずオーナーの嫁さん(彼女は英語話せる)に、いやいや全然みんなのせいで帰るわけじゃないからね誤解しないでね、と急いで伝えました。人懐こっさと早とちり、良い意味でのお節介さがアイコンです。

帰国する当日お花を渡しました。感謝を込めて。

ベトナム生活で得たかけがえのないもの

アパートメントのオーナー家族だけでなく、出会った友達にも本当に助けられることがたくさんありました。SIMの購入と手続きを手伝ってもらったり、アパートメント探しを手伝ってもらったり、バイク探しを手伝ってもらったり、風邪を引いた時には消化の良いものをデリバリーしてもらったり。頼んでもいなくてもこれはどう?あれはどう?と勧めてくるのです。これは僕だけの体験談ではなく、ベトナムに住んでいる殆どの日本人から聞かれるエピソードでもあります。彼らにはデフォルトで備わっている能力なのです。彼らにとっては人助けですらなく、安易なお礼(ありがとうの言い過ぎ、お金系、飯奢る系)もよそよそしい感じがするようでいらないってかなりの確率で言われます。友達だったら当然でしょという感じです。少しでも、見返りなんて全く考えない手助けができるように自分もなっていきたいです。道端で困っていそうな外国人見つけたらお節介してみようと思います。

日本に帰ると伝えた時も、みんな全力で悲しむのですよね。いやそこまで!?って言うくらいに。帰ると決めたのに、帰国日が近づくにつれてマジで帰りたくない気持ちが強くなっていきました。笑 日本以外でも心の底から親しみと感謝を感じられる友達やオーナー家族に出会えたこと。そしてそこに確かに絆を感じられるようになったこと。ベトナムに来たのは本当にタイミングと偶然の出来事でしたが、今回のチャレンジは自分でも珍しく、はっきりと成功と言える経験となりました。アナザースカイです。普通にまたふらっと行くと思います。これからはちゃんと外にでて、人と会って、日々に感謝しながら生きていきたいな。

日本に帰ってきてからの今後

日本に帰る決断をしても、日本に帰りたいという気持ちは正直ありませんでした。最後は揺らいじゃいましたが、一旦ベトナムでの生活に区切りをつけたかった。そして、落ち着いたらまたすぐに海外に出たいなという気持ちもありました。ですが結論を言うと、これから外資系のIT企業に日本で就職し、またフリーでもマーケティング関連の案件をもらいながら2刀流での仕事生活をしていく予定です。

ここに至る決め手としては、コロナ禍の影響もまだ少なからずあって、海外で自分の望むような条件や環境や場所に現時点で行く手段があまり見つからなかったこと。その外資系企業では今後海外キャリアが拓けるチャンスや可能性があったこと。また何かあって突拍子もなく一人でやっていくことになっても、やっていけるような力をつけるチャンスをフリーで仕事している小中の同級生から一緒にやらない?と声をかけてもらったこと。それらが重なってこのような判断をしました。自分が創業した会社のメンバーとも話しましたが、一緒に仕事するタイミングは今じゃなさそうだねとお互いに気持ちを確認できたので、それぞれの道でまた30半ばくらいまで頑張っていくかという話になりました。日本での就職経験は実は初めてで、しかも外資系の大企業。その時点で俺やっていけるの?って感じです。まぁベトナム行く前も思ってましたけどね。

COVID-19が世界に広がってから2年以上、また世界中で同時多発的にこんなにも大きな問題を抱え、共有することになるなんてほんとこの世界はわからないものです。その状況もちょっと落ち着いてきたかなと思ったら、戦争を始める国もある。ますます世界の混沌さが増していく一方ですが、その中でしなやかに軽やかに自由に生きていきたいです。というかそれ以外のマインドセットでこの世界を生きていける?って境地です。ロシアにもウクライナにも友達がいるので、本当何とも言及し難い状況が続いていますが、自分ができることを躊躇なくできるよう意識して行動して行こうと思います。とにかく、一日でも早く世界に普通の日常が戻るよう、私も一地球人として切に願います。

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