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エンジニア起業家のStory 2話 最初の起業とアメリカインターン

1話の大学入学まではこちら

映画サークル。無いなら作るか

大学1年生ってのは大学生活にまだ慣れないよね。課題にサークルに。でも、2年にもなるともう友だちもいるし新しいことも始められるようになる。

じゃあ映画サークル作ろう。

見るの好きで、見るの好きだけど撮ったこと無かった。どっちかというと見るならやりたくなる。スポーツも見るぐらいならその時間で自分がやりたい。だからスポーツも見ないし料理番組も見ない。
だけど早稲田の理工にはあまり魅力的な映画サークル無い。いや、ごめんあったのかもしれないけどあんまり興味なくて作ろうと。

友達にも映画好きはいたので、そこで友達と作ったのがSkywalkerっていうサークル。
カメラと編集ソフトをお金出しあって買って、コンテストに出したり学園祭で出展してた。これはコンテスト向けのショート。社会問題を提起するといった問題提起のコンテストだった。

ただ、結局そんなに撮ることもなくて、秋の学園祭の動画を最後に活動してない。けど、2年のひと夏 毎日のように公園に行っては学園祭向けの映画を撮ってたのは良い思い出かもね。

iPadすごい!アプリ開発を始める

意外なことに、僕はPCオタクじゃない。だからメモリとかCPUとかGPUとか興味持てないし、自分でPCを組み上げたこともない。動けばいいっていう、まるでおじいちゃんが「ペンなんて書ければ何でもいいんだよ」って言って50円ぐらいのペン使ってるのと同じ感じ。

だけど、衝撃だったのがiPadだった。
なんでだったのかもう忘れたけど、当時はAppleのスティーブ・ジョブズがまだ生きてて新商品発表をやっていた。日本時間だと午前2時ぐらいなんだけどそれを生で見てiPadを初めて見た。もともとiPod Touchは持ってたし、iPhoneってのがあるのも知ってたけど、はじめてみたiPadは次元が違う商品だったね。
「タッチパネル付きのPCとか、ポータブルデバイスとか前からあったじゃん」って言う人いるけどナンセンスだね。PalmとiPhoneが違うのと同じように、iPadはPCには見えなかった。人とコンピューターの全く新しい関わり合い方だと思う。
もちろん予約したよ、すぐに。当時は塾講師のバイトもしてて多少は余裕があって発売日に届くようにしていた。

学校にも持って行ってたんだけど、今のobnizの共同創業者である同級生の木戸から「俺ならmacbook買ってアプリ作るな」って言われて、そんな事考えてなかったけど、2人で5万ずつ出してmacbookを買ってiPadアプリを作り始めた。

Macbookを買いにAppleStoreに買いに行くと
店員「どういった目的で」
うちら「iPadアプリを作りたくて」
店員「最近そういうお客様大変多いんです」

どうやら、似たことを考えてる人がたくさんいたらしい。そりゃそうだよね。自分たちは2番手3番手の後発だと思ってたし、すごいアプリ作るってのは先輩がたくさんいる中だから難しいなと。でも、そんなことはなくてそれでも流行のアプリは作れたわけだし、何だって結局世間が話題にした後だって全然潮流に乗れるんだなと後から思ったね。始めるのに遅いなんてこと無いんだなと。
2023年の今でもブロックチェーンをはじめても遅くないし、メタバースをはじめても遅くない。もちろんアプリを作り始めてもね。

買ったMacをマック(マクドナルド)で開けた写真。そのために結構歩いた

mixiで知り合ってpapelookを作る

早速色々なアプリを作っては出したり、Twitterアプリを受託したりと活動していた。当時はmixiっていうSNSみたいなのが流行ってて、日記を書いて交流するシステムだった。知り合い中心だけど意外と知らない人とも出会うことができて、ある日「学生なんだけど、アプリ作れる人を探してて」と小澤さんという人から連絡があった。
こういう出会いってすごく好きで、何かが起きそうな気がしてワクワクするよね。新宿のモード学園とか入ってるコクーンタワーにカフェがあるんだけど、そこで話を聞くことに。
ブログの写真がイケてないからもっとイケてるアプリを作ろうという話だった。自分でもアプリの勉強しているといって、時計アプリを見せてもらったけど「これは時間かかりそうだな」というまだまだ始めたばかりという感じだった。アイディアも面白いし、やってみよう!と一緒に作ることに。

写真加工アプリ

開発自体も意外と難しい。1枚の写真の中に複数の写真を含める「コラージュ」って言ったりするもので、アルバムとかスクラップブックにも近い。お気に入りの写真をハサミで好きな形に切って1枚に仕上げたりするけど、それのスマホ版。
そしてそれをSNSとしてリリースする。Twitterのようにお互いをフォローできるようにしてね。フォローしてると自分のタイムラインにでてくる。拡散させるために「リパペ(リツイートと同じ)」という仕組みも用意した。
SNS機能に特別なものはないけど、画像加工のポイントは「写真を切り抜けること」と「自由に配置できること」で、特に切り抜けるというのがポイントだった。
当時僕は大学の研究室で画像解析をやっていて、画像解析を使った内出血に関する研究だったからOpenCVなども触っていて切り抜きもできそうだと思ってた。(最終的にOpenCV使わなくてもUIImageだけで事足りた)

みんな大好きホワイトボード

AppleStore銀座でタイアップイベント

銀座のアップルにはイベントスペースがあって、そこで小澤さんリードでファッション系の会社とコラボしたイベントを開催した。壇上でpapelookを使ってもらうというイベント。Appleストアでできるとはなんて光栄な!
しかし、予期せぬことが
実はユーザーが増えてきていてサーバーのDB処理が追いつかなくなってきていた。SNSだから、画像を手元で編集した後に投稿するのだが、その投稿がエラーになるようになっていた。
しかもよりによってイベントの日に調子が悪くなっていた。
そこで、作戦。
僕が壇上で作成者に切り抜き方のフォローなどをしてエラーが出たら(でそうになったら)木戸にサーバーリロードを依頼する。木戸がリリードすると正常に戻るという超その場しのぎの対応でなんとかイベントは終了することができた。

インキュベーション施設はありがたい

早稲田大学にはインキュベーション施設がある。ちょっと離れた都電の方なんだけど、月1万円で教授の推薦があれば借りられる。法人化する前からTokoTokoSoftとして(木戸との活動名)借りていて、そこでpapelookとしても活動することに。
もちろんただパソコン触ってればいいことだから、仕事は家でもいいんだけど、集まれるのはすごく大事で議論ができる。最初の頃ってのはより一層議論が大事だから集まるのがすごく大事になる。それに、やる気をキープするためにもね。
こういう場所が月1万円で借りられるのはすごくいい。部屋はないけど、シェアスペースを使えた。屋根と電源とWi-Fiがあれば完璧。

そのうち、法人化する話になった。
もちろん大事だよね。出資も受けようと思っていたわけだし。
ただ、法人化するってなったときには木戸はいなくて、僕と小澤さんと、その後参画した松浦さんと3名で立ち上げることに。

えっ、アメリカのインターン?行きます!

当時からLivedoorの堀江さんが好きで、彼が始めていたTwitterも彼のツイート見たさに始めてた。

そのときにTwitterで発見したのが「アプリ作ってくれたらシリコンバレーにつれていくインターン募集」という投稿。
アプリを作ったらアメリカに行ける?!行きたい!
当時はもうpapelookも作っていたし、アプリは何個も作ってて自信満々。シリコンバレーにも興味津々。すぐに返信して面接を受けた。
今はもうない小さな会社なんだけど、記事まとめアプリを作ろうとしていてそれができればOKというものだった。
もちろんできます余裕ですと答えて合格した。それで夏に2週間シリコンバレーに。初の海外!
現地では社長の賃貸している家に彼の家族と一緒に過ごすというもの。

初のシリコンバレー

海外旅行自体が初めてだったからパスポートを作るところから。
当日の朝、当時付き合っていた彼女が朝から急に行ってほしくないといい出して、遅れに遅れ、最終的には家を飛び出して出発。社長と合流できず乗りたい特急に乗れず超ギリギリで空港に着くところから2週間がスタートした。

着いたときというか、着く前から世界は広いなと思ったね。
まず飛行機から見えた海の色が違った。エメラルドグリーンみたいな。
海の色って違うの?青しか知らない。

そこから移動して家につくまでの間だけでも僕がびっくりしたことをリストアップすると

  • 電光掲示板多すぎ

  • チケット販売の機械がメカメカしい。塗装もない。金属っぽいし使いにくい

  • 駅の時計がズレてる

  • 電柱が木で出来てる

  • 電車のホームが低い(線路に降りれる!)

  • 車掌が次の駅を覚えてない。「多分XXX駅だと思う」とか放送で言ってる

  • シリコンバレーと言ってもとにかく田舎

考え方がこんなにも違うのかと思ったね。
一言でいうと「これでいいの?」というものが多かった。
とにかく人に優しくない。

アプリやインターネットから感じるアメリカの印象と全然違った。
恐ろしくUI・UXが悪い。

でも僕はそれがすごく気に入った。
「やれることたくさんあるじゃん」って思ったし特に電車のホームが低かったり電柱が木で出来ているのがいいよね。

だって、失敗を前提としている。

ホームが低いと、ホームに落ちやすいけど、その代わり戻りやすい。
電柱も同じで、倒れやすいけど、作りやすいし立てやすい。

日本だと倒れないようにコンクリートで作るけど、そういう考え方じゃないところがすごく気に入った。

ピストルを持った男が学校に入ったときの対処法もそうだね。日本だと銃を禁止するけど、米国では「だから銃を持とう、そういうやつは必ず発生するから」って意見が出るらしい。

カルトレイン。ちなみに手前と奥の時計はズレていた

HackerDojoに2週間

もちろん旅行ではなく仕事できてる。
現地で何をするかというと、実は現地法人はない。
歩いていける場所にHackerDojoっていう場所があり、そこが確か当時は1日$10で使い放題のシェアスペースだった。
平日はそこに行って毎日黙々とプログラムして帰る。というだけ。
住所がアメリカになっただけ!だから何もしなければ現地の人と一言も話さずに帰ることになる。

借りていた1部屋

町で歩いている人なんていなくて、皆が自動車。
僕はトコトコ歩いてHackerDojoに。

もちろん、黙々と作業だけするなんていうそんなもったいないことはしないよ。
HackerDojoには色んなイベントがあり、それに参加した。
ピッチを見たり、自分が作ったものを見せ合うイベントにも参加して「写真加工のアプリ作ってるんだ」って話たりしていた。

アメリカの人はファシリテートがうまかったね。女性がその会の主催者で「Sato。皆に分かるようにあなたが作っているアプリについてシェアしてくれない?」という一言が今でも印象的で、そういう 背中を押すような進行は日本ではなかった。「じゃあSatoさんの番です」とか「Satoさんは何してるんですか」とかが多いけど、明らかに「自分」「他の人」「ファシリテーター」という3者を意識する発言ですごくやりやすかったし、こんなに違うのかと思った。
「英語苦手で」って言ったら「私の日本語より上手よ」って言ってたから普通に優しい人でもあるんだろうけど。なんか、こう複数人で話すときの慣れと進行のレベルが違うと思った。

その期間中偶然の出会いもあって、現地の日本人2名と知り合うことが出来た。
その後もあったり今でもやり取りすることもある。

連れてきてくれた社長も色々なところに連れて行ってくれて、例えばプラグアンドプレイでもピッチイベントがあり、そこに参加した。聞くだけだけどね。
PIRIKAっていうサービスが印象的で、今もサービスしてる。ゴミを拾って、拾ったらその写真をシェアするというサービス。当時は稼げなさそうだから続かないんじゃないかと思ってたけど甘かった。すごいよね。ビジネスはそんな単純じゃないね。

Plug and Playのピッチイベント

僕はただただ、シリコンバレーは刺激的な場所だなと思いながら、自分が最先端より後ろの方にいるなぁと思ってた。自分は登壇していないし、ろくに英語話せないし(英語はまだ苦手だからね。詳しくは1つ前のnoteを)。

それでも、「いや、まだできることたくさんあるな」ってのはすごく感じて帰国した。

とにかくアメリカに来て感じるのは未完成な感じ。
日本だと、なぜか知らないけど僕は「完成」した感じを受けてあまり自分がやることがないような印象がどうしてもあるんだけど、シリコンバレーにはそれはなかった。

papelookも法人化して大学卒業。卒論はソフトに

アメリカにいる間にもpapelookと関わることも。
NHKだったかWBSだったか忘れたけど、テレビの取材があった。
テレビクルーが日本のpapelookチームを取材して、僕はリモートで参加。
これで「アメリカにいる人もチームに参加してるグローバルなアプリチームだ!」ってのを演出できるからね。

ちなみにこれが4年生の話。このときにpapelookは法人化していた。でも収入源はまだない。

なんとか収益化したい。企業の広告収入を狙っていたけどそれはまだ。
まずは卒業後もバイトでもしながら続けて、、というのが考えていたことだけど、それよりも先に考えなきゃいけないのがそもそも卒業すること。

papelookも楽しいし、休学を一番考えていたけど、親の「休学したら多分戻らないんじゃない?」の一言で「確かに。まぁ、、、もうちょっとだし卒業するか」と思い直した。

卒業までの話とpapelookを辞めるまでの話は次回



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