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断ること。興味ないことを興味ないということの大切さ

「今日、短歌をやめよう」と思い立った。
何度か句会(?)で発表した短歌はなかなかの評判で「入会するでしょ?」「はいします」みたいな話まできていた。

来月のお題と、会誌に発表する10首がスマホの「ジャーナル」にたまったところで準備をはじようと思った。
まず、この10首を手書きで原稿用紙に書くところで心が折れた。
おまけに入会申込書一式をなくしてしまってた。雑誌にはさんだまま「資源ゴミ」に出してしまったようである。
「ああ、もう今日しかない。面倒だ、やめよう!」と思って、紹介者にメールした。
 「忙しいとキャパオーバーになってしまう。今年は介護保険の改定の年だから年度末年度はじめが無理。やっぱり無理です、ごめんなさい」と送った。

「せっかく上手にできてたのにもったいない」と返信されて、「え?そうかな? もったいないかな?」と思ったけれど。ゆっくり考えて違うことに気づいた。
せっかく上手にできてる人が入らなくなってもったいないのは「会」の方である。
わたしは、この機会がなくなってもぜんぜんもったいなくない。

自分の時間は自分だけのものなんだから。
自分のやりたいように使ってもぜんぜんもったいなくない。

むかしから器用貧乏なんでいろんなものに誘われてきた。マルチまがいの洗剤の会員、生命保険のなんとかレディ。
「お願い、面接面談だけでいいから」と言われて、断りきれずに生返事をして、そしてしばらくして断るという、相手にとってはちょー迷惑な断り方を何度もしていきた。
まあ、今回もそうであった。
すまない。

でも。

できるから、やればいいんじゃないんだよ。
わたしがやりたいことをやるんだよな。

もう、がまんして何かをやる年齢ではなくなった。
やりたいことだけをやっていかないと、それこそ人生そのものがもったいなくなってしまう。
あとでこういうグチを言わなくてすむように、はっきりと断るのが次からの目標です。

写真は、そういうグチを延々と語りながら友人と食べた「おしるこ」です。
言語化してしまわないと気が済まないので、グチは延々と長かったです。スマナイ。


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